「ママのいびきがうるさくて全然眠れなかったんだけど」
苦笑いする小学校五年生の長女から、そんなことを言われてしまった。恥ずかしさと、わずかな怒りのせいで、すぐには言葉が出てこなかった。
原因に心当たりがある。今は二月の上旬。アレルギー性鼻炎がひどくなる季節だった。日によって、鼻呼吸がうまくいかない夜が、あるのだと思う。
ちょうど薬を切らしてしまい、ああ、耳鼻咽喉科に行かなければ……いつ行こう……とは思っていた。土曜日は午前中まで診察を受け付けているが、今日はすでに日曜日だ。もうすぐ小学校の参観会があったはずだから、その日に行けるだろう。スマホでスケジュールアプリを開くと、学校行事のために半日休暇をとるのは、二週間後の予定だった。
タイミングとしては最悪で、休みを取りにくい。繁忙期というものは無いのだけれど、変更をし難い「観測実験」で予定が詰まってしまっている。家族に詳細は言っていないのだが、プロジェクトの一環として、心霊現象が発生しやすい場所で、決められた項目を観測しなければならない。気候関係、それに、音声、映像、空気試料の採取。
突飛な仕事だと思われるだろうか?
通常の業務は測定機器のリース事業だ。機器を製造する企業と、機器を使用したい企業との、橋渡しをしている。機材の知識を活かしたプロジェクトの募集があったから、興味のあるテーマで企画書を作り応募したのだ。子供の頃から心霊現象に興味があった。面白半分のノリで立案した企画だったが、専務の一人がオカルトマニアであることが幸いし、社長の承認まで取りつけてくれた。
「目標はイグ・ノーベル賞だ」とありがた迷惑な発破をかけられ、通常業務と並行して、プロジェクトを進めている。
普段の仕事とはまったく異なることを、会社公認で堂々と出来る喜びは、忙しさなど気にならないやりがいが感じられる。何よりも、マニュアルを熟知した機器類を自分の手で使用することが、結果的に本業に役に立つことがうれしい。
「……そんなにひどいかな? 私のいびき」
私が平静をよそおい娘に尋ねる。
「パパもうるさいけど、ママの方がひどい」
ショックだった。パパはそれを聞いてフフンと笑い、私に対する優越感をあらわにする。妙〜に悔しい。
「ねー、ママのいびき、ひどいよね!」
もともと娘を溺愛しているパパは、少しでも娘に構ってもらいたくて、娘の肩を持つ。小学校高学年にもなると、パパに対する態度が大人びてくる。「パパ! 抱っこ!」と走り寄ってくる幼少期のかわいらしさへの未練。このままドライになっていく娘の態度に、危機感を煽られているらしい。
「パパだって寝ていてわからないでしょう」
私はパパに、つっかかる。
「夜中にパパと笑ってたんだよ」
にやっと笑った娘の一言に、ショックを受けた。私のやかましいいびきで娘とパパが夜半起こされて、二人で顔を見合わせ笑っていたというのだ。とても信じられなかった。
「おじいちゃんのいびきとどっちがひどい?」
娘に確認したくて、そうたずねた。パパには負けた。次の対戦相手は、父だ。
「うーん。おじいちゃんと、同じくらいだったかも」
父のいびきの威力を私はよく知っている。「むごー」から始まって、次第に音が大きくなっていく。最後は地鳴りのような大音量になり、息が止まるかと思うような「ぶごっ」という音声でしめくくる。そして、「むごー」に戻る。以降、繰り返しだ。
私は悔しかった。
信じたくなかった。
自分のいびきがそんなにうるさいだなんて、本当だろうか?
気になって調べてみると、ひどい鼻炎が無呼吸症候群の原因になることがわかった。そして、酸素の供給が滞ることにより、血の巡りが悪くなり、心筋梗塞や脳梗塞といった重大な疾患につながることすらあるらしい。
検索すると、いびきの状態を含めた睡眠状況を記録するアプリが、たくさん見つかった。とりあえず試してみようという気持ちになり、レビューがいちばん多く評価が高いものを選んで、ダウンロードした。