ボアのもこもこパジャマを羽織っていた結愛のお腹は6ヶ月になって、だいぶ大きくなっていた。歩くのも一度腰を落とさないとぎっくり腰になりそうだった。昼寝をするのも、寝返りがしにくくなっている。ソファからキッチンに立ち上がって温かい
ルイボスティーでも飲もうかと、電気ポットにスイッチを入れると、玄関のチャイムが鳴った。こんな時間に誰だろうと不思議に思うと、インターフォンのモニター画面に見たくない顔がドアップで映っていた。結愛は音はミュートにずっと沈黙のまま立ち去るのを待った。

「……」
「もしもーし。石原結愛さんの自宅ですか?」

 他人行儀な話口調で話しかけてくるのは、マッチングアプリで出会った太客の坂本敏彦だった。メールアドレスや携帯電話の番号を教えた覚えはない。やり取りはいつもアプリの機能のみだった。本名を明かした覚えもないし、もちろん住所を教えてもいないはず。どうして、ここがわかったのか。不思議で仕方ない。背筋が凍るくらい恐怖におびえた。妊娠していることを嗅ぎつけてきたわけじゃないよなと冷静に判断する。思い返すと、坂本と碧央とともに会っていた時期がかぶっていた時もあったかもしれないと、リビングの床を行ったり来たりとうろうろして、口を手で隠しながら、冷や汗をかいた。どうすればいいかわからなくなる。鼓動が速くなる。

「いないんですかー?」
 その一言を言って、坂本は立ち去ろうとすると、後ろから朝日碧央の姿が見えた。

 坂本が隣でじーっと見つめながら、碧央はなんだこのおっさんと言いたげそうな顔をして、結愛の部屋のインターフォンを押した。

 結愛は、まだ坂本が隣にいる。碧央にどんな言葉をかけられても、返事ができなかった。坂本にここにいることがばれてしまう。

「おーい、石原さーん。いませんか?? 結愛??」
 ピンポン連打で何度も声をかける。隣でじっと見つめる坂本は帰ろうとしない。碧央の声を聴いて、目を見開いている。

「なんだよぉ。居留守使ってるんのかな。まぁ、いいや。あとで来るからなぁ?」

 しつこい男は嫌われるかなと考えていた碧央はたばこを吸いながら、その場を後にした。せっかく、久しぶりの結愛に会えると思って興奮していた。近所の公園で時間つぶしでもしようとアパートの階段をおりていこうとすると、ぱつんぱつんのスーツを着た小太りの男性に声をかけられた。よく見ると、どこかで見たことのある人だと指をさした。

「あ、あんた。あの時の!!」
 結愛と一緒にタクシーを乗っていた瞬間を見たことがあった。メラメラと嫉妬心が燃えてくる。坂本を睨みつけた。

「あ、あんた、石原結愛さんを知ってるのか?」
「……そういうあんたこそ、誰なんだよ」
「わ、私は、通りすがりのサラリーマンだ」
「は? そんなわけないだろ。名前を言わないなら、こっちも言えないね!! んじゃ、通りすがりのおっさんは帰りな」

 明らかに身長も顔のきれいさも負けているなと感じた坂本は小さくなって、これ以上聞くのを諦めた。マッチングアプリの着信拒否とメッセージのやり取り禁止の状態になっていたため、妻だと嘘ついて探偵を雇い、突き止めた結愛の自宅だったが、連絡先も着信拒否されている時点でだめなんだろうなと落ち込んだ。なおさら、かっこよすぎる人が近くにいるならと、とぼとぼと鳩が集まる石畳の通路を歩いた。ぱさぱさとイチョウの葉が落ちていく。

 碧央は、公園のベンチに座って、たばこの煙を天に仰いだ。飛行機がまっすぐのびているのがわかった。

 ベランダから外を眺めていた結愛は、碧央がいる公園のベンチの方を眺めた。碧央が近くにいるのに遠く感じた。今出て行ったら、坂本に住所を知られてしまうことを恐れた。これ以上、近寄ってはいけないだろうかと思うと涙が出る。妊娠中であることもありホルモンバランスが崩れて、ちょっとしたことで落ち込むようになった。

 本当の父親がわからないままだ。