ここまで、この文書をお読みいただきありがとうございます。㝎と申します。
私は一部に手を加えた上でこの「ノベマ!」にこの文書を投稿した者ですが、文書の元々の執筆者は私ではありません。
一部文中にも登場した「K」さんの手によって書かれた資料からの引用部分もあるようですが、ほとんどの部分を執筆されたのはそのKさんの後任の「担当者」の方です。前任者を「K」さんと呼んでいた文中での方針にならって、ここでは「Y」さんとお呼びすることにします。
私、㝎は、そのYさんのさらに後任、ということになります。私は2024年の9月に新しい「事業活動保護広報」の担当者となることになりました。
ここまでこの文書を読んでくださった皆さまであれば、どうして担当者の交代が起こったのかについては説明せずともお分かりになっているかと思います。「留意事項」に書かれていたようなことには当然Yさんご自身も気を付けていらっしゃったと思うのですが、残念ながらそういう結果になってしまいました。
私がこの文書を「ノベマ!」に投稿したのは、「伊呂金信仰」に関して、もっと多くの人に、もっと詳しい内容について触れてもらいたいと感じたためです。
Yさんも文中で書かれていたように、我々の業務には「伊呂金信仰」に関する情報を知っている人を増やす活動が含まれます。
こうした活動として、Yさんは動画投稿サイトを使う方法を考案されました。このいわゆる「施策3」は、正確な検証こそできていませんが、一定の効果が見込めるものであったようです。
しかし、動画サイトを使う方法には、そこまで詳細な情報を紹介することができないという問題点がありました。機密の問題と、会社からのPRとして自然な形に着地させなければいけないという二重の枷が存在するからです。
そこで私が考えたのが、Yさんから引き継いだ資料をインターネット上に公開してしまうという方法でした。
これを思いついたのは、この「ノベマ!」という小説投稿プラットフォームが、ちょうど「モキュメンタリーホラーコンテスト」なるものを開催していたからです。
今この文章を読んでいる方には改めて説明するまでもないとは思うのですが、モキュメンタリーという言葉は、おおむね「まるで本当にあったことを紹介するドキュメンタリーのように見えるよう作られたフィクション」というような意味を持ちます。
ですから、この文書を「モキュメンタリー」として公開すれば、読んだ方も「あくまでフィクションである」として受け取って下さるのではないかと考えたのです。いくら詳細な情報を広く周知したいからといって、「現実に本当に起こっていること」としてこの文書に書かれているような内容を公開してしまったら大変なことになります。だから、あくまでフィクションとして、エンターテイメントとしてこの文書を読んでいただける今回のような機会は、私にとって願ってもないものだと感じました。
もちろん、文書の中に登場する地名や社名といった一切の固有名詞は、すべて架空のものに差し替えました。それから、社の主要業務がクロムの採掘であるというのも全くのフィクションです。私の所属する企業が行っているのは鉱業ですらありません。こればかりは、万が一にも全く無関係の人や会社に迷惑がかかってしまうようなことがないよう、ここではっきりと断言させて頂きます。
そのほかの細部にもところどころ改変を加えているので、もしも偶然文中の記述と似たスポーツやアプリや動画や会社や場所があっても、この文書とは全く無関係です。その点についてはくれぐれもご留意ください。
固有名詞を正確に把握していない状態でこの信仰にまつわることの構造のようなものだけを知っている人が増えても果たして効果があるのか、というところについては不透明ですが、まあ、名前や場所については正しく紹介されていて、本当の構造については立ち入っていない施策3の成果物とちょうど対になるようなものだと言えるかもしれません。そういう意味ではこれも、「一定の効果を期待できる」ものなのではないでしょうか。
ちなみに、この文書の公開は、実は「事業活動保護広報」の業務として行ったものではありません。私が個人的に実行しました。
いくらモキュメンタリーというパッケージに入れてフェイクを織り交ぜた上で、とは言っても、この機密文書をインターネット上に公開することを上長が了承するとは思えません。実際に提案してみたわけではありませんが、さすがにリスクが高すぎると言われてしまうでしょう。その判断自体には、私も納得できます。
しかし、そうしたリスクがあるとしても、個人的な時間を大いに犠牲にしてでもこの文書を公開したい理由が私にはありました。
突然業務の引き継ぎを命じられ担当者となって以来、私はYさんの作られた資料と記述のもとになっている文書とを突き合わせながら読む作業を進めてきました。
そうするうちに、一つ気になるところを見つけました。それは初期の「引水舞」の様式についての記述です。
初期のこの儀式は今に伝わるものとは異なり、一人の「籠持ち」がそれを取り囲む舞手の帯を小刀で引き裂き、最後に籠から果実を落とされる、という様式のものであったとあります。また、「籠持ち」を囲む舞手は、礼服の上に色とりどりの小袖を身に着け、裾をたくし上げて細帯を締めた格好だったとされています。
私が不思議に思ったのは、この、他の舞手の格好です。現在の儀式では法被に置き換わっていますが、13世紀当時に用いられていたこの小袖という着物は、このころ貴族以外の庶民が普段着として着ていたものでした。貴族は下着のように着ることもあったようですが、庶民は小袖のみを着て外を出歩いていたようです。
神社の秋祭りというハレの日にわざわざ普段着を着るというのだけでも少し違和感があるのですが、さらに言えば、この小袖を「裾をたくし上げて着る」というのも奇妙です。
引水舞の舞手となるのは伝統的に男性です。しかし、当時男性が小袖を身に着ける場合、下に袴を履きます。
小袖の裾をたくし上げて着るのは、当時の女性の普段着の着こなしと全く同じなのです。
つまり、「引水舞」の舞手は、「籠持ち」以外全員が女性の格好をしていることになるのです。
それを踏まえて手順を見てみると、少し雰囲気が違って見えてきます。
小袖を着た「籠持ち」以外の舞手が表すものは、おそらく村の女性そのものだと考えていいでしょう。すると「籠持ち」は、「何人もの女性の帯をどんどん解いていく男」ということになります。
また、儀式の最後に背負った籠から落ちる熟柿や柘榴は、まず間違いなく首、頭を象徴していると考えていいでしょう。これらの果実は昔から人の血や頭、肉に例えられた例がいくらでもあります。それを籠から落とすというのは、「籠持ち」自身の首を切り落とすことを示しているのではないでしょうか。舞手が果実を落とす前に小袖を脱ぐのは、首を落としたのはその女性自身ではなかった、ということを示しているのかもしれません。
次々に村の女の帯を解かせた男が、それを見つけた村の男の手によって首を落とされる。
こう見ると、この儀式が表しているのは、なかなか不穏な出来事であるように感じられてきます。
また、当時の価値観のことはそこまで詳細にはわかりませんが、同じ村に住んでいた女性の何人もに手を出したからと言って、それだけで相手の男の首を取ってしまうというのは少しやりすぎにも感じます。
恐らくは、「籠持ち」の男が手を出した女性というのは、首を落とした男の妻だったのではないでしょうか。
考えすぎだと思われるかもしれませんが、こう考えれば、あの祭詞に「この村一つの美丈夫に侍り奉る」という、祝詞としては少し違和感のある一節が含まれているのも頷けます。
これはおそらく、一種の嫌味のようなものだったのではないでしょうか。
無理やりに、なのか、同意の上で、なのかは分かりませんが、村の女性の何人もに「帯を解かせ」た男の首を落とし、続いてその男を「この者がこの村一番の美男子だ」と声を揃えて紹介するという行為からは、何か強い悪意が感じられるように思います。
どうしてそんな悪趣味な儀式を行うのか、ということを考えると、やはりこの舞の動作は、実際にあったことを元にし、それを模したものだったのではないでしょうか。
例えば、最初は裁判のようなものであったということも考えられます。
ある時、村の人妻に何人も手を出す男が現れ、その男がその夫たちの手によって捕らえられたとします。夫たちは舞を踊ることでその男の悪行を「伊呂金さま」に伝えようとし、囚われた男は強制的にそれに協力させられて「伊呂金さま」の裁きを待つことになっていた……ということもあり得るのではないでしょうか。
古くから祟りをもたらすこともある神として知られた伊呂金さまに罪状を説明し、なんらかの力によって数日以内に被疑者が死ねばそれによって断罪が為されたことになる、そういう役割を持った儀式であったと考えることができます。裁判のような手続きとして儀式的なものが用いられる、という例は日本でも古代から多く存在しています。
ただし、これがそもそもの引水舞の発祥だったと考えるには、少し違和感の残る部分があります。それは、最後に舞手の一人によって「籠持ち」の首が落とされてしまっているという点です。
一連の儀式が裁判のようなものであったのであれば、その結果が出る前に被疑者が首をはねられるようなことはあってはならないはずです。また、そもそもこの一連の儀式によって死の要否が決定されるのに、舞の中に殺害が連想される動作が組み込まれているというのも奇妙に感じられます。
こうしたことを踏まえると、もっと穏やかでない推測ができるようになってきます。そもそも引水舞の発祥当初は、「伊呂金さま」は捧げものを要求するような存在ではなかったのではないでしょうか。
「引水舞」の動作を最初から最後まで一続きに解釈すれば、「何人もの人妻に手を出してきた男が、恐らくはその夫のうちの一人とみられる男に首をはねられる」ということになります。
そして、歴史上のどこかの時点で、この一続きの事件そのものが実際に起こってしまったことがあったのではないでしょうか。
あるいは、「首をはねた」というのは、「籠持ち」の男こそが罪人であるという意味合いを付け加えるための脚色かもしれません。ただし、いずれにせよ、その狼藉者の男が夫のうちの一人に殺される、という事件が実際に発生したという解釈は可能です。
そしてその殺人を隠ぺいする、あるいは正当化する方便として、この「伊呂金さま」が利用されたのではないでしょうか。
まず最初に「引水舞」の元となった一連の事件が存在し、しかし男が死んだ理由は明かされずに「あの男は美丈夫だったから『伊呂金さま』の捧げものになった」と表向きには語られた、それがあの舞と祭詞の発祥だったのではないでしょうか。
いわば、祟り神であった「伊呂金さま」の権威と性質を殺人の隠ぺいのために利用し、偽証のために儀式的な部分が後付けされたということです。仮にそうだったとすれば、祭詞の言葉が他の同じようなものに比べてかなり簡素であることも、にもかかわらずわざわざ「美丈夫」であることが強調されていることも納得できます。
もう少し想像を膨らませるのであれば、こうして生まれた「引水舞」という儀式が、村の運営上都合の悪い者を「捧げものにする」ことで排除するためにその後も使われ続けていた、などということも想定できます。
古い時代の「引水舞」に関する資料に事案の対象者の様子を示す記述が確認できないのは、当時の「事案」は人の手によって発生していたものであり、そのために遺体にあの特徴的な様相が現れていなかったからだ、と推測するのは少々考えすぎでしょうか。
ここまで書いてきた内容は想像の上に想像を重ねたような話で、根拠などを示せるものではありません。しかし、こうした前提に立てば、もう一つ理由付けが可能になることがあります。
それは、歴史上のどこかで、事案の対象となる舞手の属性が入れ替わっているということです。より古い記録では「籠持ち」のみが対象になり得るとされているのに、時代が下ると逆に最も活躍した「籠持ち」以外から対象が選ばれることがある、と伝承がすり替わってしまっていました。この不可解な変化にも、ある一つの説明が提示できます。
先ほど述べたように、事案の対象者に特徴的な死亡時の様相がはじめて記録されたのは16世紀になってからのことです。そしてこの特徴が認められる場合には、その死に何か人智を超えた力が関与しているのは間違いないと言っていいでしょう。全く外傷も病変も残さずに死を引き起こすというのは人間が作為的に行えるようなものではありませんし、また、頻度とそれぞれのケースの関連性を踏まえれば、全くの偶然が何度も起こっているとも考えにくいでしょう。
そしてこうした死が発生するようになった16世紀という時期は、事案の対象者となる舞手の属性が入れ替わった時期と一致しています。事実、この二つの変化を確認できる最も古い記述は、どちらも同一の文献に記録されています。
そして先ほどの想像に基づけば、最も活躍した「籠持ち」以外、つまり祭詞を読み上げる側の舞手というのは、元々は妻に手を出された夫たちということになります。先ほど述べたような前提に立てば、それは同時に、相手の男を手にかけながらもその死を「伊呂金さま」によるものだと騙った者ということにもなるのです。
事案の対象が入れ替わったのと同時期に、死亡時の様相も明らかに人智を超える存在の関与が疑われるようなものに変わっている。この事実が示すのは、この時期に事案の「下手人」が変わったということではないでしょうか。
つまり、それまでは「伊呂金さま」を騙る人間たちによって引き起こされてきた「事案」が、そうした冒涜行為に怒った本物の神、あるいは怪異のような存在によって起こされるようになったのがこの時期である、と考えることができるのではないでしょうか。
元々そうした力のある存在に人間たちの悪行が伝わったのがこの時だったのか、あるいは人間がそうした行為を続けてきたことでそのような存在が新しく生まれてしまったのかは定かではありませんが、この時期にこの「伊呂金信仰」の形に大きな変化が起こったということは間違いないと思われます。
「伊呂金さま」と呼ばれる存在が自分への、あるいは自分の信仰への冒涜に怒って災厄を引き起こしたとみられるものについては他にも例があります。
文書中では「事故」という言葉を用いて説明していた出来事です。実際には鉱山内での採掘活動ではありませんが、これらはすべて、「伊呂金神社」の境内にも近い、いわゆる「神域」と呼ばれるような場所の近くに立ち入った人間を対象にして発生しています。
もちろん立ち入ったものすべてがこうした目に遭う訳ではなく、まだ分かっていない何らかの要因が他に存在するのでしょうが、それでも、「神域」の近くで何かを行うことが「冒涜」とみなされた結果ああいうことが起こってしまったと考えるのが一番自然なように思えます。
この発想自体は、「引水舞」を再開することで「事故」を抑止することを最初に訴えたかつての会長とも同じ意見と言えるでしょう。神域への立ち入りを伴う何らかの冒涜により神が怒っていると考え、「引水舞」を再開することでその怒りを鎮めようとしたというのが、そもそも事業活動保護広報という業務が生まれる最初のきっかけとなった出来事でした。
一方で私は、個人的には、事故と事案それぞれによる死が別の要因によって引き起こされている、とは考えていません。
そもそもこの二つは「神域の近くで、業務時間中に」起こるか、「それ以外の場所で、夜間に」起こるかの違いしかありません。
この死に方を最も特徴づけている、心臓の停止以外に一切の異常が認められないという様相も全く同じです。
事故のほうがより頻度が高く、一度に多数が被害に遭いうるという違いこそありますが、これは例えば、単により神の力が及びやすい場所にいるからだとか、冒涜の度合いが大きいからだとか、様々な理由が想定されます。事故よりも事案のほうが発生具合をよりコントロールできている、ということを意味するとは限りません。
そもそも、明らかに人間の知識では説明のできない方法で多くの人の命を奪ってしまえるような存在を相手にしているのですから、何らかの儀式や手順を踏むことで意思疎通ができたり、コントロールすることができると考えること自体が不自然なようにも感じられます。
それよりは、あの存在はずっと一貫して自分への冒涜に対して怒り続けていただけで、事故と事案はそれぞれ冒涜の形が違っただけに過ぎない、と考えるほうがまだ納得できそうです。
「引水舞」は人間が考えていたようなものではなく、実はただいたずらに怒りを思い出させるだけの儀式だったのではないでしょうか。
事案を起こせば事故が起きなくなったり、施策2を実施すれば施策1による死者が、3を実施すれば2による死者が減っていたりしたのは、単にそうした新しい犠牲が何かガス抜きのように作用していただけなのではないでしょうか。
ただし、事案による犠牲者は、新しい施策を実施するたびに少しづつ増加しているようにも見えます。何がその要因になっているかを推測することはしませんが、あるいは、そのガス抜きのような働きにもだんだん限界が来つつあるのかもしれません。
もしくは、事案の対象を全国に拡大していったこれまでの施策のせいで、あの存在の力のようなものが増えていたり、怒りがより高まっていたりするという可能性もあります。とはいえいずれにせよ、実際の要因が何であるかを考えることにはあまり意味がないでしょう。
「冒涜に対する怒り」が事故や事案を発生させていたと考えた場合に説明がつく出来事がもう一つあります。KさんやYさんの死去です。
KさんもYさんも、自分が事案の対象者に選ばれてしまわないように、細心の注意を払って行動していたはずです。特にYさんは、Kさんの死を受け、独自にその要因を考察し、それを懸命に避けながらこの業務にあたっていたことが文書からもうかがえます。
しかし、それでも駄目でした。期間でいえば、YさんはKさんの半分くらいの期間しかこの業務を担当できなかったことになります。
私がYさんとちゃんと話したのは彼が「水音」を聞いてから3日目、この引継資料を手渡されるときの一回だけだったのですが、明らかに顔色が悪く、恐らくは夜もよく眠れていないのだろうな、とすぐにわかるような様子でした。
独身だったYさんはその後残っていた有給を使って旅に出て、その旅先で息を引き取られたそうです。
自分が捧げものとみなされない方法を必死に考え、実行していたYさんでも、そんなやるせない目に遭うことになってしまいました。これは、ああいった現象が、捧げものを供えられたとみなされて起こされていたものではなく、単に冒涜への怒りから起こされていたものだからなのではないでしょうか。
そして、KさんやYさん、そして私が行うこの業務自体が、あの存在にとって冒涜とみなされる行為だからなのではないでしょうか。
考えてみれば、私たちがやっていること、そしてやろうとしていることは、本来無関係な人々をあの存在の前に差し出し「これはかつてあなたを冒涜したものの仲間です」と騙るような行為です。
その嘘が見抜かれてしまった場合には、これが冒涜的な行為だとみなされることは疑いようもないでしょう。KさんとYさんがこの業務の担当者で居られた時間は、その嘘をあの存在が見抜くまでにかかった時間というだけなのではないでしょうか。
そしてそれが意味することは、私自身にもいずれ、そう遠くないうちに、あのような死が訪れるということです。この業務の担当者になった以上、あの存在を冒涜し続けることからは絶対に逃れられません。
もしもここまで私が書いたようなことがすべて真実であり、そしてそれが認められたとしても、今のところ「事案」を引き起こし続けることで「事故」の発生を抑止できることには変わりありません。社の主要業務の継続という命題が国や世界というレベルのあまりにも大きなものを背負ってしまっている以上、我々にとって「事故」の抑止以上に優先されるものなどないのです。
そこで、私は考えました。施策1や2による犠牲者は、恐らくは「かつてあの存在を冒涜したものの仲間」とみなされて命を奪われてしまったのでしょう。しかし、施策3による犠牲者については他の可能性も考えられます。
もちろん、「伊呂金信仰」について知っている、考えているということ自体が「そうしたものの仲間である」とみなされる原因になったということもあり得ますが、それと同時に、それらの情報をちょっとした「面白い話」として、コンテンツとして消費したことが冒涜とみなされたと考えることもできるのではないでしょうか。
動画で紹介したような内容は、「伊呂金」の住民であれば民話として大半が知っているようなものに留まっています。だから、これについて知っていたり考えたりしていることだけが条件になるのであれば、住民全体から無作為に事案の対象者が度々選ばれるようなことになっていてもおかしくありません。しかし、実際にはそうはなっていません。
動画の視聴者と住民との間に差があるとすれば、信仰心や畏敬の念のようなものをささやかにでも感じているかどうか、という部分になるように思われます。もちろん、現代において心から「伊呂金さま」の実在を信じている住民はかなり少数でしょうが、それでも、ほとんどの住民は地元の神さまとしてなんとなく親しみや信仰心のようなものを感じていると考えられます。
だからこそ、地元の住民は、子供の頃に聞いた民話を単なるコンテンツとしては取り扱わないでしょう。そうしたことを踏まえるとむしろ、施策3の犠牲者は、また新たな形であの存在への冒涜を行ったために怒りを買ってしまった、と考えるほうが自然なように感じられます。
そして、この冒涜による怒りは、冒涜を行うものが増えれば怒りを向ける対象が分散していくことが分かっています。
また、おそらくは、冒涜の程度が甚だしいものほど高い確率で命を奪われることになるのでしょう。施策2や3によって何百人、あるいは何万人という単位で増えた候補者の中でKさんとYさんが狙われるように選ばれたのは、恐らくは偶然ではなく、そうした理由によるものなのだと考えられます。
これまでに実行した施策では、この業務の担当者一人がより多くを知り、より程度の甚だしい冒涜を行い続けることを余儀なくされてきました。だからこそ怒りを買うことになり、そう遠くないうちに殺されてしまうことが避けられない運命になってしまっていました。
それでは、今までよりも激しく冒涜を行う人間が大きく増加すればどうなのでしょうか。もちろん、どうあろうとも担当者である私と同程度の冒涜を行う人間を増やすことはできません。ただ、より多くの人が、今までよりももっと酷い冒涜を行うような形を作ることはできるのではないかと思ったのです。そしてそれを続けていけば、少なくともしばらくの間は「ガス抜き」のような理屈で私自身が助かることができるのではないかと考えたのです。
考えてみてください。あの存在は、神域に立ち入りなんらかの行為を行うことを自身への冒涜とみなしました。自分たちに害を為したものを自ら手にかけながら、「捧げものになった」と騙ってその罪をなすりつける行為も大きな怒りを買いました。そして、あの存在自身やその信仰に対する知識を得ながら、それを単なるコンテンツとして、面白い話として消費するのも、恐らくはそうみなされるような行為であったと考えられます。
であれば、あの存在について人間が知り得るほとんどの情報を手に入れながら、それでもその実在を信じず、その話をあくまでフィクションとして、エンターテイメントとして、ホラーモキュメンタリーとして消費する行為はどうでしょうか。これは施策3の犠牲者がしたような行為よりも、比べ物にならないほどにひどく冒涜的な行為だとは感じませんでしょうか。
この文書を公開することにした理由について、私は一つ嘘をつきました。
実際には、もっと詳しい内容に触れてほしかったという表現はあまり適切なものではありませんでした。
私は、私と一緒になって、あの存在をひどく冒涜してくれる人を増やしたかったのです。
そうすることで、怒りの矛先が私以外に逸らされることを期待していたのです。
この文書を「ノベマ!」上に公開してからおよそ3週間ほどが経ち、非常にありがたいことに、思ったよりも多くの方に読んでいただくことができました。
中には感想をレビューやSNSへのリプライとしてくださる方もあり、それらはこの文書を「ホラーモキュメンタリー」というジャンルのフィクションとしてお楽しみいただけたことがよく分かるような内容で、私としては非常に安心できました。
最初の公開から時間が経って改めてこのあとがきを追記することにしたのは、そうした感想を見て、このような内容を書き加えてもなおこの文書をあくまでフィクションとしてお楽しみいただけるのではないかと考えたからです。
モキュメンタリーというジャンルに属する形で発表されている以上、たとえ作者からの呼びかけが文中に登場しようと、フィクションではないことを主張する記述が何度も登場しようと、読者の皆様はそれを演出の一環として読んでくださるのではないでしょうか。
そういう意味で、この「ノベマ!」にて「モキュメンタリーホラーコンテスト」が開催されていたのは、私にとって願ってもない機会でした。
実際、ここまで読んでもなお、これが実際の話であるとお考えの方はほとんどいらっしゃらないのではないでしょうか。今この文章を目にしていても、ほとんどの方はこの一連のお話を、あくまでフィクションとして、エンターテイメントとして、モキュメンタリーとして消費されているのではないかと思います。
そしてそれはまさに私の本意に沿う受け取られ方であり、そうしていただいていることは私にとって願ってもない状況です。
どうか皆様におかれましては、このお話をあくまでフィクションとしてお楽しみいただき、読了後もそのように考え続けていただければ非常にうれしく思います。
また、もしも気が進むようであれば、お友達などにこのお話をご紹介いただければ幸いです。
信じるにせよ信じないにせよ、そうやってこのお話に触れる方が増えていくことは、私にとっても皆様にとっても、何より安心できることなのではないでしょうか。
それでは、再度お礼を申し上げ、このあたりで筆を置かせて頂きたいと思います。
このお話をここまでお楽しみ頂き、誠にありがとうございました。
私は一部に手を加えた上でこの「ノベマ!」にこの文書を投稿した者ですが、文書の元々の執筆者は私ではありません。
一部文中にも登場した「K」さんの手によって書かれた資料からの引用部分もあるようですが、ほとんどの部分を執筆されたのはそのKさんの後任の「担当者」の方です。前任者を「K」さんと呼んでいた文中での方針にならって、ここでは「Y」さんとお呼びすることにします。
私、㝎は、そのYさんのさらに後任、ということになります。私は2024年の9月に新しい「事業活動保護広報」の担当者となることになりました。
ここまでこの文書を読んでくださった皆さまであれば、どうして担当者の交代が起こったのかについては説明せずともお分かりになっているかと思います。「留意事項」に書かれていたようなことには当然Yさんご自身も気を付けていらっしゃったと思うのですが、残念ながらそういう結果になってしまいました。
私がこの文書を「ノベマ!」に投稿したのは、「伊呂金信仰」に関して、もっと多くの人に、もっと詳しい内容について触れてもらいたいと感じたためです。
Yさんも文中で書かれていたように、我々の業務には「伊呂金信仰」に関する情報を知っている人を増やす活動が含まれます。
こうした活動として、Yさんは動画投稿サイトを使う方法を考案されました。このいわゆる「施策3」は、正確な検証こそできていませんが、一定の効果が見込めるものであったようです。
しかし、動画サイトを使う方法には、そこまで詳細な情報を紹介することができないという問題点がありました。機密の問題と、会社からのPRとして自然な形に着地させなければいけないという二重の枷が存在するからです。
そこで私が考えたのが、Yさんから引き継いだ資料をインターネット上に公開してしまうという方法でした。
これを思いついたのは、この「ノベマ!」という小説投稿プラットフォームが、ちょうど「モキュメンタリーホラーコンテスト」なるものを開催していたからです。
今この文章を読んでいる方には改めて説明するまでもないとは思うのですが、モキュメンタリーという言葉は、おおむね「まるで本当にあったことを紹介するドキュメンタリーのように見えるよう作られたフィクション」というような意味を持ちます。
ですから、この文書を「モキュメンタリー」として公開すれば、読んだ方も「あくまでフィクションである」として受け取って下さるのではないかと考えたのです。いくら詳細な情報を広く周知したいからといって、「現実に本当に起こっていること」としてこの文書に書かれているような内容を公開してしまったら大変なことになります。だから、あくまでフィクションとして、エンターテイメントとしてこの文書を読んでいただける今回のような機会は、私にとって願ってもないものだと感じました。
もちろん、文書の中に登場する地名や社名といった一切の固有名詞は、すべて架空のものに差し替えました。それから、社の主要業務がクロムの採掘であるというのも全くのフィクションです。私の所属する企業が行っているのは鉱業ですらありません。こればかりは、万が一にも全く無関係の人や会社に迷惑がかかってしまうようなことがないよう、ここではっきりと断言させて頂きます。
そのほかの細部にもところどころ改変を加えているので、もしも偶然文中の記述と似たスポーツやアプリや動画や会社や場所があっても、この文書とは全く無関係です。その点についてはくれぐれもご留意ください。
固有名詞を正確に把握していない状態でこの信仰にまつわることの構造のようなものだけを知っている人が増えても果たして効果があるのか、というところについては不透明ですが、まあ、名前や場所については正しく紹介されていて、本当の構造については立ち入っていない施策3の成果物とちょうど対になるようなものだと言えるかもしれません。そういう意味ではこれも、「一定の効果を期待できる」ものなのではないでしょうか。
ちなみに、この文書の公開は、実は「事業活動保護広報」の業務として行ったものではありません。私が個人的に実行しました。
いくらモキュメンタリーというパッケージに入れてフェイクを織り交ぜた上で、とは言っても、この機密文書をインターネット上に公開することを上長が了承するとは思えません。実際に提案してみたわけではありませんが、さすがにリスクが高すぎると言われてしまうでしょう。その判断自体には、私も納得できます。
しかし、そうしたリスクがあるとしても、個人的な時間を大いに犠牲にしてでもこの文書を公開したい理由が私にはありました。
突然業務の引き継ぎを命じられ担当者となって以来、私はYさんの作られた資料と記述のもとになっている文書とを突き合わせながら読む作業を進めてきました。
そうするうちに、一つ気になるところを見つけました。それは初期の「引水舞」の様式についての記述です。
初期のこの儀式は今に伝わるものとは異なり、一人の「籠持ち」がそれを取り囲む舞手の帯を小刀で引き裂き、最後に籠から果実を落とされる、という様式のものであったとあります。また、「籠持ち」を囲む舞手は、礼服の上に色とりどりの小袖を身に着け、裾をたくし上げて細帯を締めた格好だったとされています。
私が不思議に思ったのは、この、他の舞手の格好です。現在の儀式では法被に置き換わっていますが、13世紀当時に用いられていたこの小袖という着物は、このころ貴族以外の庶民が普段着として着ていたものでした。貴族は下着のように着ることもあったようですが、庶民は小袖のみを着て外を出歩いていたようです。
神社の秋祭りというハレの日にわざわざ普段着を着るというのだけでも少し違和感があるのですが、さらに言えば、この小袖を「裾をたくし上げて着る」というのも奇妙です。
引水舞の舞手となるのは伝統的に男性です。しかし、当時男性が小袖を身に着ける場合、下に袴を履きます。
小袖の裾をたくし上げて着るのは、当時の女性の普段着の着こなしと全く同じなのです。
つまり、「引水舞」の舞手は、「籠持ち」以外全員が女性の格好をしていることになるのです。
それを踏まえて手順を見てみると、少し雰囲気が違って見えてきます。
小袖を着た「籠持ち」以外の舞手が表すものは、おそらく村の女性そのものだと考えていいでしょう。すると「籠持ち」は、「何人もの女性の帯をどんどん解いていく男」ということになります。
また、儀式の最後に背負った籠から落ちる熟柿や柘榴は、まず間違いなく首、頭を象徴していると考えていいでしょう。これらの果実は昔から人の血や頭、肉に例えられた例がいくらでもあります。それを籠から落とすというのは、「籠持ち」自身の首を切り落とすことを示しているのではないでしょうか。舞手が果実を落とす前に小袖を脱ぐのは、首を落としたのはその女性自身ではなかった、ということを示しているのかもしれません。
次々に村の女の帯を解かせた男が、それを見つけた村の男の手によって首を落とされる。
こう見ると、この儀式が表しているのは、なかなか不穏な出来事であるように感じられてきます。
また、当時の価値観のことはそこまで詳細にはわかりませんが、同じ村に住んでいた女性の何人もに手を出したからと言って、それだけで相手の男の首を取ってしまうというのは少しやりすぎにも感じます。
恐らくは、「籠持ち」の男が手を出した女性というのは、首を落とした男の妻だったのではないでしょうか。
考えすぎだと思われるかもしれませんが、こう考えれば、あの祭詞に「この村一つの美丈夫に侍り奉る」という、祝詞としては少し違和感のある一節が含まれているのも頷けます。
これはおそらく、一種の嫌味のようなものだったのではないでしょうか。
無理やりに、なのか、同意の上で、なのかは分かりませんが、村の女性の何人もに「帯を解かせ」た男の首を落とし、続いてその男を「この者がこの村一番の美男子だ」と声を揃えて紹介するという行為からは、何か強い悪意が感じられるように思います。
どうしてそんな悪趣味な儀式を行うのか、ということを考えると、やはりこの舞の動作は、実際にあったことを元にし、それを模したものだったのではないでしょうか。
例えば、最初は裁判のようなものであったということも考えられます。
ある時、村の人妻に何人も手を出す男が現れ、その男がその夫たちの手によって捕らえられたとします。夫たちは舞を踊ることでその男の悪行を「伊呂金さま」に伝えようとし、囚われた男は強制的にそれに協力させられて「伊呂金さま」の裁きを待つことになっていた……ということもあり得るのではないでしょうか。
古くから祟りをもたらすこともある神として知られた伊呂金さまに罪状を説明し、なんらかの力によって数日以内に被疑者が死ねばそれによって断罪が為されたことになる、そういう役割を持った儀式であったと考えることができます。裁判のような手続きとして儀式的なものが用いられる、という例は日本でも古代から多く存在しています。
ただし、これがそもそもの引水舞の発祥だったと考えるには、少し違和感の残る部分があります。それは、最後に舞手の一人によって「籠持ち」の首が落とされてしまっているという点です。
一連の儀式が裁判のようなものであったのであれば、その結果が出る前に被疑者が首をはねられるようなことはあってはならないはずです。また、そもそもこの一連の儀式によって死の要否が決定されるのに、舞の中に殺害が連想される動作が組み込まれているというのも奇妙に感じられます。
こうしたことを踏まえると、もっと穏やかでない推測ができるようになってきます。そもそも引水舞の発祥当初は、「伊呂金さま」は捧げものを要求するような存在ではなかったのではないでしょうか。
「引水舞」の動作を最初から最後まで一続きに解釈すれば、「何人もの人妻に手を出してきた男が、恐らくはその夫のうちの一人とみられる男に首をはねられる」ということになります。
そして、歴史上のどこかの時点で、この一続きの事件そのものが実際に起こってしまったことがあったのではないでしょうか。
あるいは、「首をはねた」というのは、「籠持ち」の男こそが罪人であるという意味合いを付け加えるための脚色かもしれません。ただし、いずれにせよ、その狼藉者の男が夫のうちの一人に殺される、という事件が実際に発生したという解釈は可能です。
そしてその殺人を隠ぺいする、あるいは正当化する方便として、この「伊呂金さま」が利用されたのではないでしょうか。
まず最初に「引水舞」の元となった一連の事件が存在し、しかし男が死んだ理由は明かされずに「あの男は美丈夫だったから『伊呂金さま』の捧げものになった」と表向きには語られた、それがあの舞と祭詞の発祥だったのではないでしょうか。
いわば、祟り神であった「伊呂金さま」の権威と性質を殺人の隠ぺいのために利用し、偽証のために儀式的な部分が後付けされたということです。仮にそうだったとすれば、祭詞の言葉が他の同じようなものに比べてかなり簡素であることも、にもかかわらずわざわざ「美丈夫」であることが強調されていることも納得できます。
もう少し想像を膨らませるのであれば、こうして生まれた「引水舞」という儀式が、村の運営上都合の悪い者を「捧げものにする」ことで排除するためにその後も使われ続けていた、などということも想定できます。
古い時代の「引水舞」に関する資料に事案の対象者の様子を示す記述が確認できないのは、当時の「事案」は人の手によって発生していたものであり、そのために遺体にあの特徴的な様相が現れていなかったからだ、と推測するのは少々考えすぎでしょうか。
ここまで書いてきた内容は想像の上に想像を重ねたような話で、根拠などを示せるものではありません。しかし、こうした前提に立てば、もう一つ理由付けが可能になることがあります。
それは、歴史上のどこかで、事案の対象となる舞手の属性が入れ替わっているということです。より古い記録では「籠持ち」のみが対象になり得るとされているのに、時代が下ると逆に最も活躍した「籠持ち」以外から対象が選ばれることがある、と伝承がすり替わってしまっていました。この不可解な変化にも、ある一つの説明が提示できます。
先ほど述べたように、事案の対象者に特徴的な死亡時の様相がはじめて記録されたのは16世紀になってからのことです。そしてこの特徴が認められる場合には、その死に何か人智を超えた力が関与しているのは間違いないと言っていいでしょう。全く外傷も病変も残さずに死を引き起こすというのは人間が作為的に行えるようなものではありませんし、また、頻度とそれぞれのケースの関連性を踏まえれば、全くの偶然が何度も起こっているとも考えにくいでしょう。
そしてこうした死が発生するようになった16世紀という時期は、事案の対象者となる舞手の属性が入れ替わった時期と一致しています。事実、この二つの変化を確認できる最も古い記述は、どちらも同一の文献に記録されています。
そして先ほどの想像に基づけば、最も活躍した「籠持ち」以外、つまり祭詞を読み上げる側の舞手というのは、元々は妻に手を出された夫たちということになります。先ほど述べたような前提に立てば、それは同時に、相手の男を手にかけながらもその死を「伊呂金さま」によるものだと騙った者ということにもなるのです。
事案の対象が入れ替わったのと同時期に、死亡時の様相も明らかに人智を超える存在の関与が疑われるようなものに変わっている。この事実が示すのは、この時期に事案の「下手人」が変わったということではないでしょうか。
つまり、それまでは「伊呂金さま」を騙る人間たちによって引き起こされてきた「事案」が、そうした冒涜行為に怒った本物の神、あるいは怪異のような存在によって起こされるようになったのがこの時期である、と考えることができるのではないでしょうか。
元々そうした力のある存在に人間たちの悪行が伝わったのがこの時だったのか、あるいは人間がそうした行為を続けてきたことでそのような存在が新しく生まれてしまったのかは定かではありませんが、この時期にこの「伊呂金信仰」の形に大きな変化が起こったということは間違いないと思われます。
「伊呂金さま」と呼ばれる存在が自分への、あるいは自分の信仰への冒涜に怒って災厄を引き起こしたとみられるものについては他にも例があります。
文書中では「事故」という言葉を用いて説明していた出来事です。実際には鉱山内での採掘活動ではありませんが、これらはすべて、「伊呂金神社」の境内にも近い、いわゆる「神域」と呼ばれるような場所の近くに立ち入った人間を対象にして発生しています。
もちろん立ち入ったものすべてがこうした目に遭う訳ではなく、まだ分かっていない何らかの要因が他に存在するのでしょうが、それでも、「神域」の近くで何かを行うことが「冒涜」とみなされた結果ああいうことが起こってしまったと考えるのが一番自然なように思えます。
この発想自体は、「引水舞」を再開することで「事故」を抑止することを最初に訴えたかつての会長とも同じ意見と言えるでしょう。神域への立ち入りを伴う何らかの冒涜により神が怒っていると考え、「引水舞」を再開することでその怒りを鎮めようとしたというのが、そもそも事業活動保護広報という業務が生まれる最初のきっかけとなった出来事でした。
一方で私は、個人的には、事故と事案それぞれによる死が別の要因によって引き起こされている、とは考えていません。
そもそもこの二つは「神域の近くで、業務時間中に」起こるか、「それ以外の場所で、夜間に」起こるかの違いしかありません。
この死に方を最も特徴づけている、心臓の停止以外に一切の異常が認められないという様相も全く同じです。
事故のほうがより頻度が高く、一度に多数が被害に遭いうるという違いこそありますが、これは例えば、単により神の力が及びやすい場所にいるからだとか、冒涜の度合いが大きいからだとか、様々な理由が想定されます。事故よりも事案のほうが発生具合をよりコントロールできている、ということを意味するとは限りません。
そもそも、明らかに人間の知識では説明のできない方法で多くの人の命を奪ってしまえるような存在を相手にしているのですから、何らかの儀式や手順を踏むことで意思疎通ができたり、コントロールすることができると考えること自体が不自然なようにも感じられます。
それよりは、あの存在はずっと一貫して自分への冒涜に対して怒り続けていただけで、事故と事案はそれぞれ冒涜の形が違っただけに過ぎない、と考えるほうがまだ納得できそうです。
「引水舞」は人間が考えていたようなものではなく、実はただいたずらに怒りを思い出させるだけの儀式だったのではないでしょうか。
事案を起こせば事故が起きなくなったり、施策2を実施すれば施策1による死者が、3を実施すれば2による死者が減っていたりしたのは、単にそうした新しい犠牲が何かガス抜きのように作用していただけなのではないでしょうか。
ただし、事案による犠牲者は、新しい施策を実施するたびに少しづつ増加しているようにも見えます。何がその要因になっているかを推測することはしませんが、あるいは、そのガス抜きのような働きにもだんだん限界が来つつあるのかもしれません。
もしくは、事案の対象を全国に拡大していったこれまでの施策のせいで、あの存在の力のようなものが増えていたり、怒りがより高まっていたりするという可能性もあります。とはいえいずれにせよ、実際の要因が何であるかを考えることにはあまり意味がないでしょう。
「冒涜に対する怒り」が事故や事案を発生させていたと考えた場合に説明がつく出来事がもう一つあります。KさんやYさんの死去です。
KさんもYさんも、自分が事案の対象者に選ばれてしまわないように、細心の注意を払って行動していたはずです。特にYさんは、Kさんの死を受け、独自にその要因を考察し、それを懸命に避けながらこの業務にあたっていたことが文書からもうかがえます。
しかし、それでも駄目でした。期間でいえば、YさんはKさんの半分くらいの期間しかこの業務を担当できなかったことになります。
私がYさんとちゃんと話したのは彼が「水音」を聞いてから3日目、この引継資料を手渡されるときの一回だけだったのですが、明らかに顔色が悪く、恐らくは夜もよく眠れていないのだろうな、とすぐにわかるような様子でした。
独身だったYさんはその後残っていた有給を使って旅に出て、その旅先で息を引き取られたそうです。
自分が捧げものとみなされない方法を必死に考え、実行していたYさんでも、そんなやるせない目に遭うことになってしまいました。これは、ああいった現象が、捧げものを供えられたとみなされて起こされていたものではなく、単に冒涜への怒りから起こされていたものだからなのではないでしょうか。
そして、KさんやYさん、そして私が行うこの業務自体が、あの存在にとって冒涜とみなされる行為だからなのではないでしょうか。
考えてみれば、私たちがやっていること、そしてやろうとしていることは、本来無関係な人々をあの存在の前に差し出し「これはかつてあなたを冒涜したものの仲間です」と騙るような行為です。
その嘘が見抜かれてしまった場合には、これが冒涜的な行為だとみなされることは疑いようもないでしょう。KさんとYさんがこの業務の担当者で居られた時間は、その嘘をあの存在が見抜くまでにかかった時間というだけなのではないでしょうか。
そしてそれが意味することは、私自身にもいずれ、そう遠くないうちに、あのような死が訪れるということです。この業務の担当者になった以上、あの存在を冒涜し続けることからは絶対に逃れられません。
もしもここまで私が書いたようなことがすべて真実であり、そしてそれが認められたとしても、今のところ「事案」を引き起こし続けることで「事故」の発生を抑止できることには変わりありません。社の主要業務の継続という命題が国や世界というレベルのあまりにも大きなものを背負ってしまっている以上、我々にとって「事故」の抑止以上に優先されるものなどないのです。
そこで、私は考えました。施策1や2による犠牲者は、恐らくは「かつてあの存在を冒涜したものの仲間」とみなされて命を奪われてしまったのでしょう。しかし、施策3による犠牲者については他の可能性も考えられます。
もちろん、「伊呂金信仰」について知っている、考えているということ自体が「そうしたものの仲間である」とみなされる原因になったということもあり得ますが、それと同時に、それらの情報をちょっとした「面白い話」として、コンテンツとして消費したことが冒涜とみなされたと考えることもできるのではないでしょうか。
動画で紹介したような内容は、「伊呂金」の住民であれば民話として大半が知っているようなものに留まっています。だから、これについて知っていたり考えたりしていることだけが条件になるのであれば、住民全体から無作為に事案の対象者が度々選ばれるようなことになっていてもおかしくありません。しかし、実際にはそうはなっていません。
動画の視聴者と住民との間に差があるとすれば、信仰心や畏敬の念のようなものをささやかにでも感じているかどうか、という部分になるように思われます。もちろん、現代において心から「伊呂金さま」の実在を信じている住民はかなり少数でしょうが、それでも、ほとんどの住民は地元の神さまとしてなんとなく親しみや信仰心のようなものを感じていると考えられます。
だからこそ、地元の住民は、子供の頃に聞いた民話を単なるコンテンツとしては取り扱わないでしょう。そうしたことを踏まえるとむしろ、施策3の犠牲者は、また新たな形であの存在への冒涜を行ったために怒りを買ってしまった、と考えるほうが自然なように感じられます。
そして、この冒涜による怒りは、冒涜を行うものが増えれば怒りを向ける対象が分散していくことが分かっています。
また、おそらくは、冒涜の程度が甚だしいものほど高い確率で命を奪われることになるのでしょう。施策2や3によって何百人、あるいは何万人という単位で増えた候補者の中でKさんとYさんが狙われるように選ばれたのは、恐らくは偶然ではなく、そうした理由によるものなのだと考えられます。
これまでに実行した施策では、この業務の担当者一人がより多くを知り、より程度の甚だしい冒涜を行い続けることを余儀なくされてきました。だからこそ怒りを買うことになり、そう遠くないうちに殺されてしまうことが避けられない運命になってしまっていました。
それでは、今までよりも激しく冒涜を行う人間が大きく増加すればどうなのでしょうか。もちろん、どうあろうとも担当者である私と同程度の冒涜を行う人間を増やすことはできません。ただ、より多くの人が、今までよりももっと酷い冒涜を行うような形を作ることはできるのではないかと思ったのです。そしてそれを続けていけば、少なくともしばらくの間は「ガス抜き」のような理屈で私自身が助かることができるのではないかと考えたのです。
考えてみてください。あの存在は、神域に立ち入りなんらかの行為を行うことを自身への冒涜とみなしました。自分たちに害を為したものを自ら手にかけながら、「捧げものになった」と騙ってその罪をなすりつける行為も大きな怒りを買いました。そして、あの存在自身やその信仰に対する知識を得ながら、それを単なるコンテンツとして、面白い話として消費するのも、恐らくはそうみなされるような行為であったと考えられます。
であれば、あの存在について人間が知り得るほとんどの情報を手に入れながら、それでもその実在を信じず、その話をあくまでフィクションとして、エンターテイメントとして、ホラーモキュメンタリーとして消費する行為はどうでしょうか。これは施策3の犠牲者がしたような行為よりも、比べ物にならないほどにひどく冒涜的な行為だとは感じませんでしょうか。
この文書を公開することにした理由について、私は一つ嘘をつきました。
実際には、もっと詳しい内容に触れてほしかったという表現はあまり適切なものではありませんでした。
私は、私と一緒になって、あの存在をひどく冒涜してくれる人を増やしたかったのです。
そうすることで、怒りの矛先が私以外に逸らされることを期待していたのです。
この文書を「ノベマ!」上に公開してからおよそ3週間ほどが経ち、非常にありがたいことに、思ったよりも多くの方に読んでいただくことができました。
中には感想をレビューやSNSへのリプライとしてくださる方もあり、それらはこの文書を「ホラーモキュメンタリー」というジャンルのフィクションとしてお楽しみいただけたことがよく分かるような内容で、私としては非常に安心できました。
最初の公開から時間が経って改めてこのあとがきを追記することにしたのは、そうした感想を見て、このような内容を書き加えてもなおこの文書をあくまでフィクションとしてお楽しみいただけるのではないかと考えたからです。
モキュメンタリーというジャンルに属する形で発表されている以上、たとえ作者からの呼びかけが文中に登場しようと、フィクションではないことを主張する記述が何度も登場しようと、読者の皆様はそれを演出の一環として読んでくださるのではないでしょうか。
そういう意味で、この「ノベマ!」にて「モキュメンタリーホラーコンテスト」が開催されていたのは、私にとって願ってもない機会でした。
実際、ここまで読んでもなお、これが実際の話であるとお考えの方はほとんどいらっしゃらないのではないでしょうか。今この文章を目にしていても、ほとんどの方はこの一連のお話を、あくまでフィクションとして、エンターテイメントとして、モキュメンタリーとして消費されているのではないかと思います。
そしてそれはまさに私の本意に沿う受け取られ方であり、そうしていただいていることは私にとって願ってもない状況です。
どうか皆様におかれましては、このお話をあくまでフィクションとしてお楽しみいただき、読了後もそのように考え続けていただければ非常にうれしく思います。
また、もしも気が進むようであれば、お友達などにこのお話をご紹介いただければ幸いです。
信じるにせよ信じないにせよ、そうやってこのお話に触れる方が増えていくことは、私にとっても皆様にとっても、何より安心できることなのではないでしょうか。
それでは、再度お礼を申し上げ、このあたりで筆を置かせて頂きたいと思います。
このお話をここまでお楽しみ頂き、誠にありがとうございました。