伊呂金山のふもとに位置する伊呂金町は、2002年に合併により芦口市となるまでは芦口郡に属しており、古くからたたら製鉄が行われる場所として栄えた地域でした。
1916年に伊呂金鉱山が開山すると、国内最大のクロムの産地として知られるようになり、1972年には地域内の人口が1万2000人を超えて最盛期となりました。以降、生活スタイルの変化に伴う大都市圏への人口流出などの影響により人口は減少傾向ですが、それでも2020年統計では今なお8000人以上が居住し、15-64歳人口比率は全国平均を超える59%を保つなど、「元気な田舎」と言える地域です。
昭和期から鉱山の町として盛んに賑わいを見せた伊呂金町では豊かな文化も育まれ、『クローム賛歌』(詞:野間定、曲:倉橋裕司、歌:橋沢雪子)などの歌や『彩の庭』(木島遼太郎)といった文学作品の舞台ともなっています。
町内最大の神社である伊呂金神社(大字吹上36)では現在も春祭り、秋祭り、大祓などの年中行事が行われており、秋祭りの際には現在もこの地域に古くから伝わる神祇太鼓が奉納されます。
また、1990年代までは奉納行事として「引水舞」が秋祭りにて実施されていました。この引水舞は「舞」と名がつくものの、舞踊というよりは競技性のあるスポーツのようなもので、宗教行事としてこうした形態のものが現代まで残っているのは全国的にも珍しく、2008年に芦口市文化遺産に認定されています。
現在では残念ながら祭の際に実施されることはありませんが、芦口文化振興会によって保全継承活動が行われており、芦口市内の小学校で出前授業として体験会が行われているほか、興味を持ってもらうための入口としてルールを整備した「ドローイング」というニュースポーツが考案されるなど、様々な形での周知活動が実施されています。
こうした宗教行事の発祥については地域内に興味深い伝承が存在します。
古来より鉄を産出し、クロムを含有する色とりどりの鉱石が豊富に存在する伊呂金山は山自体が地域信仰の対象となっていましたが、そこに住まう神は「いろかねさま」と呼ばれ、時には祟りをもたらす荒神であるとして恐れられていました。
伊呂金山を水源とする丹栗川は大雨の後などに水が赤く濁ることがあり、そうした時に川の水を飲んだり生活用水として使ったりすると、手足などの皮膚に炎症や発疹が生じたり、場合によっては失明したりという健康被害が発生していたという内容が記録に残っています。
当時の伊呂金の人々はこの大雨とそれに伴う川の変化を「いろかねさま」の怒りによるものであると考え、捧げものをしたり祭を行ったりして怒りを鎮めようと考えました。
引水舞もこうしたなかで発達したものであるとされており、清らかな水を取り合って争っていた村々の住民同士が和解し、お互いの武勇を称え合って酒を酌み交わす様子を神様にお見せして御心を安んずる意味が込められているとされています。
また、引水舞の演舞では狭い範囲内を複数人が激しく入り乱れて動き回ることになるのですが、そのような動きによって地面につけられた無数の線に雨が降って新たな水路となり、そこを伝って各集落のもとへ清らかな水が運ばれていくことを願っているという言い伝えも存在しています。
ちなみに、当時の人々が祟りであると考えたこの川の褐変については、クロム鉱床の浸食により酸化クロムなどの物質が土壌から流出したことが原因であると現在では考えられています。
自然界に存在するクロムは大半が三価クロムと呼ばれる形で存在し、この三価のクロムについては人体に無害で必須微量元素であるともされています。
しかし、一方で六価クロムと呼ばれる形のクロム化合物もごく限定的に土壌中に存在しており、この六価クロムは人体に触れると強い酸化作用により健康被害をもたらします。
川の水が濁った後に健康被害が生じたとされる伝承は、土壌中に微量存在する六価クロムが大雨による浸食により流出し、川の水にとけこんで地域の人々の体に触れてしまったことが原因であると考えられています。
荻畑金属鉱業は、1967年より全国に先んじてこうした土壌・水質汚染問題に取り組んでおり、現在では丹栗川流域の水質を地域内28か所に渡って常時モニタリングしています。
土壌からの有害物質流出の対策にも力を入れており、1967年以降、周辺地域において六価クロムによる健康被害は一例も報告されていません。
1916年に伊呂金鉱山が開山すると、国内最大のクロムの産地として知られるようになり、1972年には地域内の人口が1万2000人を超えて最盛期となりました。以降、生活スタイルの変化に伴う大都市圏への人口流出などの影響により人口は減少傾向ですが、それでも2020年統計では今なお8000人以上が居住し、15-64歳人口比率は全国平均を超える59%を保つなど、「元気な田舎」と言える地域です。
昭和期から鉱山の町として盛んに賑わいを見せた伊呂金町では豊かな文化も育まれ、『クローム賛歌』(詞:野間定、曲:倉橋裕司、歌:橋沢雪子)などの歌や『彩の庭』(木島遼太郎)といった文学作品の舞台ともなっています。
町内最大の神社である伊呂金神社(大字吹上36)では現在も春祭り、秋祭り、大祓などの年中行事が行われており、秋祭りの際には現在もこの地域に古くから伝わる神祇太鼓が奉納されます。
また、1990年代までは奉納行事として「引水舞」が秋祭りにて実施されていました。この引水舞は「舞」と名がつくものの、舞踊というよりは競技性のあるスポーツのようなもので、宗教行事としてこうした形態のものが現代まで残っているのは全国的にも珍しく、2008年に芦口市文化遺産に認定されています。
現在では残念ながら祭の際に実施されることはありませんが、芦口文化振興会によって保全継承活動が行われており、芦口市内の小学校で出前授業として体験会が行われているほか、興味を持ってもらうための入口としてルールを整備した「ドローイング」というニュースポーツが考案されるなど、様々な形での周知活動が実施されています。
こうした宗教行事の発祥については地域内に興味深い伝承が存在します。
古来より鉄を産出し、クロムを含有する色とりどりの鉱石が豊富に存在する伊呂金山は山自体が地域信仰の対象となっていましたが、そこに住まう神は「いろかねさま」と呼ばれ、時には祟りをもたらす荒神であるとして恐れられていました。
伊呂金山を水源とする丹栗川は大雨の後などに水が赤く濁ることがあり、そうした時に川の水を飲んだり生活用水として使ったりすると、手足などの皮膚に炎症や発疹が生じたり、場合によっては失明したりという健康被害が発生していたという内容が記録に残っています。
当時の伊呂金の人々はこの大雨とそれに伴う川の変化を「いろかねさま」の怒りによるものであると考え、捧げものをしたり祭を行ったりして怒りを鎮めようと考えました。
引水舞もこうしたなかで発達したものであるとされており、清らかな水を取り合って争っていた村々の住民同士が和解し、お互いの武勇を称え合って酒を酌み交わす様子を神様にお見せして御心を安んずる意味が込められているとされています。
また、引水舞の演舞では狭い範囲内を複数人が激しく入り乱れて動き回ることになるのですが、そのような動きによって地面につけられた無数の線に雨が降って新たな水路となり、そこを伝って各集落のもとへ清らかな水が運ばれていくことを願っているという言い伝えも存在しています。
ちなみに、当時の人々が祟りであると考えたこの川の褐変については、クロム鉱床の浸食により酸化クロムなどの物質が土壌から流出したことが原因であると現在では考えられています。
自然界に存在するクロムは大半が三価クロムと呼ばれる形で存在し、この三価のクロムについては人体に無害で必須微量元素であるともされています。
しかし、一方で六価クロムと呼ばれる形のクロム化合物もごく限定的に土壌中に存在しており、この六価クロムは人体に触れると強い酸化作用により健康被害をもたらします。
川の水が濁った後に健康被害が生じたとされる伝承は、土壌中に微量存在する六価クロムが大雨による浸食により流出し、川の水にとけこんで地域の人々の体に触れてしまったことが原因であると考えられています。
荻畑金属鉱業は、1967年より全国に先んじてこうした土壌・水質汚染問題に取り組んでおり、現在では丹栗川流域の水質を地域内28か所に渡って常時モニタリングしています。
土壌からの有害物質流出の対策にも力を入れており、1967年以降、周辺地域において六価クロムによる健康被害は一例も報告されていません。