七菜香は勇悟らの手によって捕らえられた。
すぐに園内の家へ連絡をし、両親を呼びつけたのも勇悟だ。その間、七菜香は先ほどまでと人が変わったかのように、身体を丸めて小さくなっていた。親指の爪をかみ、ぶつぶつと何かを呟いている姿は気味が悪い。
「おそらくですが、どうやら妖魔に魅入られてしまったようですね」
勇悟の言葉に両親も目を見開いた。
彼の隣に座る花梨も、ひゅっと息を呑む。そうであれば、七菜香の今までの異常な行動の説明がつく。結界の内側に入ってきてしまったのも、花梨の力によるものではないのだ。
「妖魔に……ですか?」
父親は唇を震わせつつ問い返す。園内は、ただの商売人の家系だ。妖魔という言葉を知っているだけの家柄。その妖魔がどのような悪さをするかだなんて、具体的なことは知らない。
妖魔は化け物。それを氏人らが討伐している。知っているのはそれくらい。
「妖魔は人の心の闇を糧とします。本来は日影地区にいる奴らですが、最近は、日影地区からちょくちょくこちらに来ているのが確認されておりまして、こちらとしても困っているのです。日影地区にはしつこくお願いはしているのですがね」
そこで勇悟は大げさに首を横に振った。
「運悪く、お嬢さんはその妖魔に気に入られてしまったようです」
「娘は……七菜香は、助かるのですか?」
先ほどからぶつぶつとわけのわからぬ言葉を呟く七菜香の姿が、親から見ても不気味に見えるのだろう。
「えぇ。これから取り憑いている妖魔を引き離す予定ですが。本来のお嬢様の様子がわからないため、お呼び立てした次第です」
つまり普段とおりの言動かどうか、を見極めてもらいたいらしい。
「わ、わかりました。お願いします」
妖魔と言われてしまえば、両親は出だしができない。火宮の力を借りるしかないと腹をくくったのだろう。
「では、佐伯。はじめよう」
勇悟の声のトーンが、一際低くなる。
その言葉に佐伯は頷き、七菜香の背後に立つ。そして勇悟は前面に。二人で七菜香を挟む形となった。
勇悟が印を結び、何やら呪文を口にする。それは聞き慣れぬ発音のもので、花梨も初めて耳にするもの。
ゆらりと、七菜香の身体が大きく動く。
「七菜香さん、わかりますか?」
佐伯がやさしく問いかける。その間も、勇悟は呪文を唱え続ける。佐伯がここにいる意味を理解した。
「あなたの心の闇はなんですか?」
こうやって直接的に問いただすものだとは思ってもいなかった。
「……憎いの。憎いに決まっているでしょ? お母様からお父様を奪ったあの女が!」
「あの女? それは、園内花梨。あなたのお姉様のことですか?」
「姉? わたくしに姉なんかいないわ。お母様の子は、わたくしだけですもの」
「では、誰が憎いと?」
「だからさっきから言っているでしょう? あの女よ。お母様からお父様を奪って、勝手に子どもを産んだあの女。子どもを産んだあとも、お父様の側から離れなかったあの女。あの女が憎いって、お母様はずっと言ってらしたわ。だから、憎いの。お母様を悩ませるあの女が。だからね、代わりにあの女の娘をいたぶってあげたの。いい気味だわ」
花梨はゴクリと喉を鳴らす。ドクドクと先ほどから心臓が痛いくらいに力強く音をあげている。
七菜香が言う、あの女。その相手はすなわち――
「でもね。あの女は子を産んだら、流行り病であっけなく死んでしまった。わざと薬をあげなかったってお父様がお母様に言っているのを聞いたわ。ざまぁみろ。わたくちたちからお父様を奪ったあの女、死んでしまったの。だったら、その子どもも死んだほうがいいのではなくて? そう思っていたのだけど、人間って意外としぶといのね。食べなくても数日は生きるし、寒いところに放り投げても、なんだかんだで生きているの。ねぇ、地下室は快適だった?」
「勇悟様!」
佐伯が名を呼んだタイミングで、勇悟は見えぬ何かに手刀を振り落とす。すると事切れたように七菜香が崩れ落ちた。
勇悟も佐伯も、彼女を支えるようなことはしない。床にへたりと横たわったままの七菜香は、まるで人形のようだ。
「七菜香!」
母親が席を立ち、七菜香の側へと駆け寄った。佐伯は、側にいた使用人に客室へ案内するように指示を出す。
顔を真っ青にしているのは、父親だった。
「お嬢様はご無事です」
「あ、あ……ありがとう、ございます……」
「しばらくすれば目を覚ますでしょう。あとは帰ってもらってけっこうです」
勇悟の言葉の節々から、怒りが滲み出ていた。
だけど花梨の胸はドクドクと音を立てており、呼吸もほんの少し苦しい。
「お嬢様の言葉。どこまで信憑性があるか疑わしいところではありますが」
にたりと笑った勇悟だが、その言葉は脅しである。
「あの言葉が真実かどうかは、後ほど火宮のほうで確認いたします。そう、気を落とさずに」
「はっ、はい……ところで、花梨との縁談のほうは……」
この期に及んで、父親が心配しているのは火宮家と園内家の結びつきなのだ。七菜香のせいで破談になることを恐れている。
そうなれば、結婚支度金として受け取ったお金も返さねばならないし、事業に対する火宮からの援助もなくなる。
「ご安心ください。今の話を聞いたら、余計に花梨を園内に返したくはなくなりましたから」
勇悟が花梨の背に手をまわし、抱き寄せた。
「あ、ありがとうございます」
父親は深く頭を下げる。
「心配ごとはそれだけですか? でしたらどうかお嬢様の元へと向かってください。私も、妻が大事なので。佐伯、案内を」
ゆっくりと腰を折った佐伯は、父親を連れて部屋を出ていった。
客間に勇悟と残された花梨だが、まだ気持ちは落ち着かない。
「術を解くためとはいえ、つらい思いをさせた」
「い、いえ……勇悟さんのせいではありません……」
「おまえは、いつもそうやって一人で耐えていたのか?」
その声が今までになくやさしく聞こえ、心をあたたかく包み込んでいく。
「え?」
顔をあげると、彼の視線に捕らわれた。
「出会った形はどうであれ、俺たちは今、夫婦だ。妻が悲しんだら、それを慰めたいと思うのは夫として当然だろう? おまえがあの子たちにしているように、今度は俺がおまえを慰めたい」
不意に勇悟がきつく抱きしめてきた。彼のたくましい身体に花梨はすっぽりと覆われる。
あたたかな熱に包まれ、花梨は声をあげて泣いた。年甲斐もなく、涙が涸れてしまうのではないかと思えるくらいに泣き続けた。
しばらくして目を覚ました七菜香は、どうして火宮の屋敷にいるのかわからない様子であった。
両親に連れられ園内の家へと帰っていった。
火宮の屋敷に、いつもの時間が戻ってきた。
「ユウゴ、予定より早かったんじゃないの?」
夕食の時間で、人参を避けながら桃子が言う。
「そうだな。おまえが寂しくて泣いているかと思ってな。俺がいなくて怖かったんじゃないのか?」
「そ、そんなことないでしょ! お母様もいるもん」
「そうか。俺のいない間も、柚流と二人で寝ていたんだな?」
「うっ……」
「あいあい、あいあい」
勇悟と桃子のやりとりは、柚流の明るい声で遮られる。
「柚流さんも、勇悟さんが戻ってこられて嬉しいのですね?」
「あいあい」
「桃子もな、柚流のように素直だったら可愛げがあるのにな」
「ごちそうさま」
いたたまれなくなったのか、桃子は席を立つ。
「おい、桃子」
「な、何よ!」
桃子が振り返れば、勇悟は子どもをあやすようにやさしく笑みを浮かべる。
「人参、残っているぞ?」
すぐに園内の家へ連絡をし、両親を呼びつけたのも勇悟だ。その間、七菜香は先ほどまでと人が変わったかのように、身体を丸めて小さくなっていた。親指の爪をかみ、ぶつぶつと何かを呟いている姿は気味が悪い。
「おそらくですが、どうやら妖魔に魅入られてしまったようですね」
勇悟の言葉に両親も目を見開いた。
彼の隣に座る花梨も、ひゅっと息を呑む。そうであれば、七菜香の今までの異常な行動の説明がつく。結界の内側に入ってきてしまったのも、花梨の力によるものではないのだ。
「妖魔に……ですか?」
父親は唇を震わせつつ問い返す。園内は、ただの商売人の家系だ。妖魔という言葉を知っているだけの家柄。その妖魔がどのような悪さをするかだなんて、具体的なことは知らない。
妖魔は化け物。それを氏人らが討伐している。知っているのはそれくらい。
「妖魔は人の心の闇を糧とします。本来は日影地区にいる奴らですが、最近は、日影地区からちょくちょくこちらに来ているのが確認されておりまして、こちらとしても困っているのです。日影地区にはしつこくお願いはしているのですがね」
そこで勇悟は大げさに首を横に振った。
「運悪く、お嬢さんはその妖魔に気に入られてしまったようです」
「娘は……七菜香は、助かるのですか?」
先ほどからぶつぶつとわけのわからぬ言葉を呟く七菜香の姿が、親から見ても不気味に見えるのだろう。
「えぇ。これから取り憑いている妖魔を引き離す予定ですが。本来のお嬢様の様子がわからないため、お呼び立てした次第です」
つまり普段とおりの言動かどうか、を見極めてもらいたいらしい。
「わ、わかりました。お願いします」
妖魔と言われてしまえば、両親は出だしができない。火宮の力を借りるしかないと腹をくくったのだろう。
「では、佐伯。はじめよう」
勇悟の声のトーンが、一際低くなる。
その言葉に佐伯は頷き、七菜香の背後に立つ。そして勇悟は前面に。二人で七菜香を挟む形となった。
勇悟が印を結び、何やら呪文を口にする。それは聞き慣れぬ発音のもので、花梨も初めて耳にするもの。
ゆらりと、七菜香の身体が大きく動く。
「七菜香さん、わかりますか?」
佐伯がやさしく問いかける。その間も、勇悟は呪文を唱え続ける。佐伯がここにいる意味を理解した。
「あなたの心の闇はなんですか?」
こうやって直接的に問いただすものだとは思ってもいなかった。
「……憎いの。憎いに決まっているでしょ? お母様からお父様を奪ったあの女が!」
「あの女? それは、園内花梨。あなたのお姉様のことですか?」
「姉? わたくしに姉なんかいないわ。お母様の子は、わたくしだけですもの」
「では、誰が憎いと?」
「だからさっきから言っているでしょう? あの女よ。お母様からお父様を奪って、勝手に子どもを産んだあの女。子どもを産んだあとも、お父様の側から離れなかったあの女。あの女が憎いって、お母様はずっと言ってらしたわ。だから、憎いの。お母様を悩ませるあの女が。だからね、代わりにあの女の娘をいたぶってあげたの。いい気味だわ」
花梨はゴクリと喉を鳴らす。ドクドクと先ほどから心臓が痛いくらいに力強く音をあげている。
七菜香が言う、あの女。その相手はすなわち――
「でもね。あの女は子を産んだら、流行り病であっけなく死んでしまった。わざと薬をあげなかったってお父様がお母様に言っているのを聞いたわ。ざまぁみろ。わたくちたちからお父様を奪ったあの女、死んでしまったの。だったら、その子どもも死んだほうがいいのではなくて? そう思っていたのだけど、人間って意外としぶといのね。食べなくても数日は生きるし、寒いところに放り投げても、なんだかんだで生きているの。ねぇ、地下室は快適だった?」
「勇悟様!」
佐伯が名を呼んだタイミングで、勇悟は見えぬ何かに手刀を振り落とす。すると事切れたように七菜香が崩れ落ちた。
勇悟も佐伯も、彼女を支えるようなことはしない。床にへたりと横たわったままの七菜香は、まるで人形のようだ。
「七菜香!」
母親が席を立ち、七菜香の側へと駆け寄った。佐伯は、側にいた使用人に客室へ案内するように指示を出す。
顔を真っ青にしているのは、父親だった。
「お嬢様はご無事です」
「あ、あ……ありがとう、ございます……」
「しばらくすれば目を覚ますでしょう。あとは帰ってもらってけっこうです」
勇悟の言葉の節々から、怒りが滲み出ていた。
だけど花梨の胸はドクドクと音を立てており、呼吸もほんの少し苦しい。
「お嬢様の言葉。どこまで信憑性があるか疑わしいところではありますが」
にたりと笑った勇悟だが、その言葉は脅しである。
「あの言葉が真実かどうかは、後ほど火宮のほうで確認いたします。そう、気を落とさずに」
「はっ、はい……ところで、花梨との縁談のほうは……」
この期に及んで、父親が心配しているのは火宮家と園内家の結びつきなのだ。七菜香のせいで破談になることを恐れている。
そうなれば、結婚支度金として受け取ったお金も返さねばならないし、事業に対する火宮からの援助もなくなる。
「ご安心ください。今の話を聞いたら、余計に花梨を園内に返したくはなくなりましたから」
勇悟が花梨の背に手をまわし、抱き寄せた。
「あ、ありがとうございます」
父親は深く頭を下げる。
「心配ごとはそれだけですか? でしたらどうかお嬢様の元へと向かってください。私も、妻が大事なので。佐伯、案内を」
ゆっくりと腰を折った佐伯は、父親を連れて部屋を出ていった。
客間に勇悟と残された花梨だが、まだ気持ちは落ち着かない。
「術を解くためとはいえ、つらい思いをさせた」
「い、いえ……勇悟さんのせいではありません……」
「おまえは、いつもそうやって一人で耐えていたのか?」
その声が今までになくやさしく聞こえ、心をあたたかく包み込んでいく。
「え?」
顔をあげると、彼の視線に捕らわれた。
「出会った形はどうであれ、俺たちは今、夫婦だ。妻が悲しんだら、それを慰めたいと思うのは夫として当然だろう? おまえがあの子たちにしているように、今度は俺がおまえを慰めたい」
不意に勇悟がきつく抱きしめてきた。彼のたくましい身体に花梨はすっぽりと覆われる。
あたたかな熱に包まれ、花梨は声をあげて泣いた。年甲斐もなく、涙が涸れてしまうのではないかと思えるくらいに泣き続けた。
しばらくして目を覚ました七菜香は、どうして火宮の屋敷にいるのかわからない様子であった。
両親に連れられ園内の家へと帰っていった。
火宮の屋敷に、いつもの時間が戻ってきた。
「ユウゴ、予定より早かったんじゃないの?」
夕食の時間で、人参を避けながら桃子が言う。
「そうだな。おまえが寂しくて泣いているかと思ってな。俺がいなくて怖かったんじゃないのか?」
「そ、そんなことないでしょ! お母様もいるもん」
「そうか。俺のいない間も、柚流と二人で寝ていたんだな?」
「うっ……」
「あいあい、あいあい」
勇悟と桃子のやりとりは、柚流の明るい声で遮られる。
「柚流さんも、勇悟さんが戻ってこられて嬉しいのですね?」
「あいあい」
「桃子もな、柚流のように素直だったら可愛げがあるのにな」
「ごちそうさま」
いたたまれなくなったのか、桃子は席を立つ。
「おい、桃子」
「な、何よ!」
桃子が振り返れば、勇悟は子どもをあやすようにやさしく笑みを浮かべる。
「人参、残っているぞ?」