花梨が火宮家にやってきて五日目の夜。みんなで夕食を囲んでいるときに、おもわず花梨は聞き返した。
「園内の家に、ですか?」
「ああ。式の相談をしたいし、きちんと挨拶をすべきだろう?」
「式……? 挨拶……?」
「結婚式だ」
「結婚式!」
その言葉にいちはやく反応したのは桃子だった。子どもであっても、結婚式には憧れがあるのだろう。
花梨だって、まだ家の状況を理解できていなかったときには、同じように花嫁衣装に憧れたものだ。
「俺たちの結婚が、総会で承認された」
「総会?」
「ああ」
日光地区当主である勇悟の結婚については、同じ日光地区の氏人らに認められる必要があるとのこと。
「つまり、認められる前に、勝手に私と結婚してしまった?」
「そうだな」
「ここで認められなかったら、どうされるおつもりだったのですか?」
この結婚に愛などないとわかっていても、結婚してから結婚を認めてもらうというのは、順番としていささかおかしいのではないだろうか。
「そんなの、権力を使ってでも認めさせるに決まっているだろう? 何も心配する必要はない」
そう言われても、花梨の気持ちはやはり複雑だった。へたをしたら、結婚して十日も経たないうちに離婚、バツイチという状態になったかもしれない。
その状態で園内の家に帰ったら、今まで以上の悲惨な生活が待っているだろう。
出戻り娘。当主に捨てられた女――。
唇をかみしめながら黙り込んだ花梨を、勇悟は心配そうに見つめてくる。
「なんだ? どうかしたのか?」
「ユウゴがデリカシーないからじゃない? 氏人がダメって言ったら、お母様と離婚しなきゃならなかったんでしょ?」
「表面上はそうなるな。だが、絶対にそうはさせない自信があったからな」
ふん、とユウゴは自信満々に笑った。
「あ~あ~」
急に柚流が声をあげたため、何事かと思って確認すれば、もっとハンバーグを食べたいと訴えているようだ。
「どうぞ、柚流さん」
花梨が自分のお皿から半分にしたハンバーグを移し替えると、「あいあい」と喜ぶ。
「俺がこいつを手放すと思うか?」
先ほどから勇悟は、花梨と柚流のやりとりをじっと見ている。
「思わない。わたしも花梨お母様じゃなきゃいや。ユズもだよね」
「あいあい」
「だからな。万が一のときはおまえたちの出番かと思ったのだが……その前に認められたっていうわけだ。よかったじゃないか」
そう言った勇悟は、ワインの入ったグラスを口につけ傾ける。
「それで、話を戻すが……」
勇悟は園内の家に足を運び、結婚式を挙げる算段を整えたいのだ。
「俺のほうから園内の家に連絡をいれても問題はないか?」
「……はい。お願いします」
花梨から連絡をしたとしても、無視をされるかもしれない。そして勇悟と一緒にいったとしても「約束もなしに訪れて」とかなんとか文句を言われるのだ。
「おまえたちは、留守番な」
桃子が「行きたい」と言うのを読んでいたかのようなタイミングで勇悟が言えば、やはり桃子は頬を膨らます。
「金で釣って、強引に結婚したからな。あちらから、あまりいい印象をもたれていないだろう?」
むしろ、厄介払いができたと喜んでいるような気がする。
「とにかく。おまえたちを園内の家に連れていくのはもう少し先だ。俺にも根回しする時間が必要なんだよ」
それでも桃子は納得いかないのか、唇をとがらせたままだ。
「おまえにも新しいドレスを準備してやる。それで我慢しろ」
そのひとことで、桃子の顔はぱっと華やいだ。やはりドレスには憧れがあるようだ。
それから数日後。花梨は勇悟と一緒に園内の屋敷を訪れた。久しぶりに目にした屋敷は、以前よりもどんよりとした雰囲気に覆われているように感じる。
数寄屋門の脇のインターホンを押すと、懐かしい使用人の声が聞こえた。。
すぐに門が開いて、二人は中に入る。
「堂々としていればいい。おまえは俺の妻なのだからな」
花梨がここでどのように暮らしていたのか。もちろん勇悟も知っている。
冷たくじめっとした地下室。与えられる食事は、冷えた残り物。
高校生になれば連絡を取るためのスマートホンを持つことは許された。しかし、その支払いは花梨自身でと言われ、今まで以上に家の仕事をやるように命じられたのだ。
だが、そのおかげでスマートホン上でのやりとりの制限はなかった。その結果、花梨はスマートホンで本を読むことができた。好きなシリーズは、新刊の配信を楽しみにしていたものだ。雑誌だって読める。
「ようこそいらっしゃいました」
父親の声に、花梨は身体を強張らせた。
「今日は突然の申し出にもかかわらず、受け入れくださってありがとうございます」
いつも命令口調の勇悟から、こういった穏やかな言葉が出てくると違和感を覚える。
「どうぞ、こちらに」
父親が案内したのは、畳敷きの客間だった。黒檀のテーブルとおそろいの椅子が並べられている。
「さあ、どうぞ」
促され、花梨は勇悟と並んで座った。
この部屋は、園内の屋敷にいたときには足を踏み入れたことのない部屋だ。いつもは地下室か、水回りにしか居場所がなかった。
だけど、家から離れた途端に、こうやって暖かな部屋に入れる。不思議な気持ちだ。
「すぐに妻と娘も来ますので」
どうやら七菜香もここにやって来るようだ。花梨の結婚の打ち合わせに、七菜香はいなくてもいいだろうと思うのに。
「お待たせして申し訳ありません」
気持ち悪いほどの猫なで声で部屋に入ってきたのは義母だ。そして、その後ろに七菜香いる。彼女らの姿を見て、遅くなった理由を理解した。
ようするに、着飾っていたようだ。
二人が席につくと、使用人がお茶を並べて出ていく。
「早速ですが、花梨さんとの結婚式について相談したく……」
話は勇悟主導で進んでいく。父親はよっぽど結婚支度金が嬉しかったのだろう。始終ニコニコとしながら、相づちを打ち、話を聞いている。
その間、花梨はチクチクと刺さる視線を感じていた。確かめなくてもわかる。七菜香が睨んでいる。
彼女は、日光地区当主の妻となった花梨を疎ましく思っている。そんな気持ちがひしひしと伝わってくるのだ。
「では、挙式は十月。式場は、こちらでよろしいですね?」
勇悟が確認のために念押しすれば、父親も「はい。よろしくお願いします」と大きく頷く。
「ドレスなどはこちらで手配させてください。私の衣装と揃える必要がありますからね」
両親は、勇悟の言葉に素直に従っていた。
「では、私のほうからは以上です。今日はありがとうございました」
「こちらこそ。わざわざご足労いただき、感謝いたします」
勇悟が席を立ったところで、花梨も立ち上がる。
「火宮さん。せっかくですから、家具工場を見学していきませんか?」
父親からの申し出に、勇悟はどうしたものかと花梨に視線を向けてきた。
「勇悟さん。お父様もこうおっしゃっていることですし、どうぞ見ていってくださいな」
花梨が後押しすれば、父親も満足そうに首を立てに振る。
「では、花梨さんが案内してくださいますか?」
勇悟がにこやかな笑みを浮かべて、花梨を見下ろす。
「……え? と……」
花梨は、案内できるほど工場に足を運んだことがない。
「お姉様はわたくしと。ね?」
七菜香が割って入った。
「お姉様と久しぶりに会えたから、もう少しお話をしたいのです」
ね? と、甘えたように首を横に倒す仕草は、以前から変わっていない。
できれば、七菜香と一緒にいたくない。だが、断る理由が見つからなかった。
父親と勇悟が部屋を出ていった。勇悟はよほど花梨が気になったのだろう。部屋を出るときですら、チラチラと何度もこちらに視線を向けてきた。
「園内の家に、ですか?」
「ああ。式の相談をしたいし、きちんと挨拶をすべきだろう?」
「式……? 挨拶……?」
「結婚式だ」
「結婚式!」
その言葉にいちはやく反応したのは桃子だった。子どもであっても、結婚式には憧れがあるのだろう。
花梨だって、まだ家の状況を理解できていなかったときには、同じように花嫁衣装に憧れたものだ。
「俺たちの結婚が、総会で承認された」
「総会?」
「ああ」
日光地区当主である勇悟の結婚については、同じ日光地区の氏人らに認められる必要があるとのこと。
「つまり、認められる前に、勝手に私と結婚してしまった?」
「そうだな」
「ここで認められなかったら、どうされるおつもりだったのですか?」
この結婚に愛などないとわかっていても、結婚してから結婚を認めてもらうというのは、順番としていささかおかしいのではないだろうか。
「そんなの、権力を使ってでも認めさせるに決まっているだろう? 何も心配する必要はない」
そう言われても、花梨の気持ちはやはり複雑だった。へたをしたら、結婚して十日も経たないうちに離婚、バツイチという状態になったかもしれない。
その状態で園内の家に帰ったら、今まで以上の悲惨な生活が待っているだろう。
出戻り娘。当主に捨てられた女――。
唇をかみしめながら黙り込んだ花梨を、勇悟は心配そうに見つめてくる。
「なんだ? どうかしたのか?」
「ユウゴがデリカシーないからじゃない? 氏人がダメって言ったら、お母様と離婚しなきゃならなかったんでしょ?」
「表面上はそうなるな。だが、絶対にそうはさせない自信があったからな」
ふん、とユウゴは自信満々に笑った。
「あ~あ~」
急に柚流が声をあげたため、何事かと思って確認すれば、もっとハンバーグを食べたいと訴えているようだ。
「どうぞ、柚流さん」
花梨が自分のお皿から半分にしたハンバーグを移し替えると、「あいあい」と喜ぶ。
「俺がこいつを手放すと思うか?」
先ほどから勇悟は、花梨と柚流のやりとりをじっと見ている。
「思わない。わたしも花梨お母様じゃなきゃいや。ユズもだよね」
「あいあい」
「だからな。万が一のときはおまえたちの出番かと思ったのだが……その前に認められたっていうわけだ。よかったじゃないか」
そう言った勇悟は、ワインの入ったグラスを口につけ傾ける。
「それで、話を戻すが……」
勇悟は園内の家に足を運び、結婚式を挙げる算段を整えたいのだ。
「俺のほうから園内の家に連絡をいれても問題はないか?」
「……はい。お願いします」
花梨から連絡をしたとしても、無視をされるかもしれない。そして勇悟と一緒にいったとしても「約束もなしに訪れて」とかなんとか文句を言われるのだ。
「おまえたちは、留守番な」
桃子が「行きたい」と言うのを読んでいたかのようなタイミングで勇悟が言えば、やはり桃子は頬を膨らます。
「金で釣って、強引に結婚したからな。あちらから、あまりいい印象をもたれていないだろう?」
むしろ、厄介払いができたと喜んでいるような気がする。
「とにかく。おまえたちを園内の家に連れていくのはもう少し先だ。俺にも根回しする時間が必要なんだよ」
それでも桃子は納得いかないのか、唇をとがらせたままだ。
「おまえにも新しいドレスを準備してやる。それで我慢しろ」
そのひとことで、桃子の顔はぱっと華やいだ。やはりドレスには憧れがあるようだ。
それから数日後。花梨は勇悟と一緒に園内の屋敷を訪れた。久しぶりに目にした屋敷は、以前よりもどんよりとした雰囲気に覆われているように感じる。
数寄屋門の脇のインターホンを押すと、懐かしい使用人の声が聞こえた。。
すぐに門が開いて、二人は中に入る。
「堂々としていればいい。おまえは俺の妻なのだからな」
花梨がここでどのように暮らしていたのか。もちろん勇悟も知っている。
冷たくじめっとした地下室。与えられる食事は、冷えた残り物。
高校生になれば連絡を取るためのスマートホンを持つことは許された。しかし、その支払いは花梨自身でと言われ、今まで以上に家の仕事をやるように命じられたのだ。
だが、そのおかげでスマートホン上でのやりとりの制限はなかった。その結果、花梨はスマートホンで本を読むことができた。好きなシリーズは、新刊の配信を楽しみにしていたものだ。雑誌だって読める。
「ようこそいらっしゃいました」
父親の声に、花梨は身体を強張らせた。
「今日は突然の申し出にもかかわらず、受け入れくださってありがとうございます」
いつも命令口調の勇悟から、こういった穏やかな言葉が出てくると違和感を覚える。
「どうぞ、こちらに」
父親が案内したのは、畳敷きの客間だった。黒檀のテーブルとおそろいの椅子が並べられている。
「さあ、どうぞ」
促され、花梨は勇悟と並んで座った。
この部屋は、園内の屋敷にいたときには足を踏み入れたことのない部屋だ。いつもは地下室か、水回りにしか居場所がなかった。
だけど、家から離れた途端に、こうやって暖かな部屋に入れる。不思議な気持ちだ。
「すぐに妻と娘も来ますので」
どうやら七菜香もここにやって来るようだ。花梨の結婚の打ち合わせに、七菜香はいなくてもいいだろうと思うのに。
「お待たせして申し訳ありません」
気持ち悪いほどの猫なで声で部屋に入ってきたのは義母だ。そして、その後ろに七菜香いる。彼女らの姿を見て、遅くなった理由を理解した。
ようするに、着飾っていたようだ。
二人が席につくと、使用人がお茶を並べて出ていく。
「早速ですが、花梨さんとの結婚式について相談したく……」
話は勇悟主導で進んでいく。父親はよっぽど結婚支度金が嬉しかったのだろう。始終ニコニコとしながら、相づちを打ち、話を聞いている。
その間、花梨はチクチクと刺さる視線を感じていた。確かめなくてもわかる。七菜香が睨んでいる。
彼女は、日光地区当主の妻となった花梨を疎ましく思っている。そんな気持ちがひしひしと伝わってくるのだ。
「では、挙式は十月。式場は、こちらでよろしいですね?」
勇悟が確認のために念押しすれば、父親も「はい。よろしくお願いします」と大きく頷く。
「ドレスなどはこちらで手配させてください。私の衣装と揃える必要がありますからね」
両親は、勇悟の言葉に素直に従っていた。
「では、私のほうからは以上です。今日はありがとうございました」
「こちらこそ。わざわざご足労いただき、感謝いたします」
勇悟が席を立ったところで、花梨も立ち上がる。
「火宮さん。せっかくですから、家具工場を見学していきませんか?」
父親からの申し出に、勇悟はどうしたものかと花梨に視線を向けてきた。
「勇悟さん。お父様もこうおっしゃっていることですし、どうぞ見ていってくださいな」
花梨が後押しすれば、父親も満足そうに首を立てに振る。
「では、花梨さんが案内してくださいますか?」
勇悟がにこやかな笑みを浮かべて、花梨を見下ろす。
「……え? と……」
花梨は、案内できるほど工場に足を運んだことがない。
「お姉様はわたくしと。ね?」
七菜香が割って入った。
「お姉様と久しぶりに会えたから、もう少しお話をしたいのです」
ね? と、甘えたように首を横に倒す仕草は、以前から変わっていない。
できれば、七菜香と一緒にいたくない。だが、断る理由が見つからなかった。
父親と勇悟が部屋を出ていった。勇悟はよほど花梨が気になったのだろう。部屋を出るときですら、チラチラと何度もこちらに視線を向けてきた。