プロの腕前に、花梨は先ほどから驚きを隠せない。ほとんど手入れもできず、伸ばし放題のようなぼさぼさっとした髪は、今ではつやつやと輝き真っすぐに伸びている。
「傷んでいたところも多いから、思い切ってばっさり切ったわ。だけど、変に弄られていない分、素直な髪ね」
 腰まで伸びていた髪は、鎖骨あたりまで短くなった。
 担当した美容師の見た目は男性だが、話をすればするほど外見と内面にギャップを感じられる。ヘアアレンジだけでなく、化粧や服にも明るく、花梨のすべてをコーディネートするつもりらしい。
「ユウくんからは、そう頼まれたのよ」
 パチンとウィンクをしてみせた美容師は「マリって呼んでね」と言った。
 マリという女性的な名前とかけ離れた見た目だが、生まれ変わったら女性になりたい男性美容師のようだ。だから今は男性なのだとか。
 ちなみに、性愛の対象は人間ということで、そこに性別は関係ないらしい。花梨が聞いてもいないのに教えてくれた。
 ということは、勇悟も花梨もマリの恋愛対象となるわけだが「やぁねぇ。人のものには手を出さないわよ」とのことで、既婚者は対象外となるようだ。
「うわぁ。お母様、かわいい」
「あっ、あっ、あ~」
「いいから、おまえたちは落ち着け」
「マリちゃん、わたしの髪もやって」
「はいはい。モモちゃん。順番こよ」
 勇悟がマリを火宮邸に呼びつけたのだ。
 花梨が髪を切ってもらっている間に、桃子が学校から帰ってきて、昼寝から覚めた柚流を連れて様子を見に来たところ、そのまま居座っている。
「さて、と。今日はこんなもんでどうかしら?」
 立ってちょうだいとマリに促された花梨は、おどおどしながら立ち上がった。
「お化粧もお洋服も。カリンちゃんのやさしい顔立ちに合うようにしてみたわ」
 全身鏡の前で、カリンも後ろを向いたり横を向いたりと忙しい。
 髪の毛はローポニーテールにしてあるものの、サイドに編み込みがされていて落ち着いた華やかさがある。
「さすがマコトだな。俺たちの結婚式も頼む」
「その名前で呼ばないで。いくらユウくんでも起こるわよ」
「マリちゃん、わたしもやって~」
「はいはい」
 桃子がマリのもとに駆け寄れば、柚流がとてとてと花梨に抱きついてきた。
「あ~あ~」
「ユズ、お母様のこと、大好きみたい」
 花梨は抱っこをせがむ柚流を抱き上げる。マリが選んだワンピースは、子どもを抱っこするのも非常に楽なものだ。華美な装飾はないのに、どこかこなれた印象を受ける。
「できたわよ、モモちゃん。大好きなお母様とおそろいの髪型よ」
「うわ~かわいい」
 キャキャと子ども特有の甲高い声で、桃子ははしゃいでいる。
「ほんと、ユウくんにしては、よいこを選んだわ」
「どういう意味だ?」
 勇悟は目をすがめる。
「そのままの意味よ。子どもたちからも好かれ、素直な子。なによりも、ちょっとだけ特殊な力を持っているのでしょう?」
 マリの言葉に勇悟は返事をせずに、様子をうかがっている。
「ま、ご当主様も身を固めれば、氏人たちも安心するわね。あ、一部だけ騒ぐようなこところはあるかもしれないけれど。でも、あの子なら大丈夫よ」
 その指摘に心当たりがあるのか、勇悟はチラリと花梨に視線を向けた。
「結婚式の日取り、決まったら教えてね。仲間総出て、着飾らせてあげるわ。だって、当主様の結婚式だもの」
 今からその日が待てないとでも言うかのように、マリは満面の笑みを浮かべる。
「今日は急な依頼で悪かったな」
「あら。それだけの価値があったから、許してあ・げ・る」
 勇悟に向かって投げキッスをしたマリは、手元の道具を片づけ始め、それを手にして屋敷を後にする。
 そんなマリの姿を見送った勇悟は、桃子に向かって声をかける。
「宿題は終わったのか?」
「後でやる」
「今すぐやれ」
「え~ユズと遊びたい。お母様とも遊びたい。後でいいでしょ」
「そう言って。いつも寝る前になって、宿題やってないって騒ぐやつは誰だ」
「うぅ」
 反論できないのか、桃子は悔しそうに顔をゆがめている。
「桃子さん。一緒に宿題をやりませんか? 柚流さんにはご本を読んであげようかと思っていたところなのです」
 花梨の提案に桃子は「わ~い」と勝ち誇った笑みを浮かべている。
「おい。あまり桃子を甘やかすな」
「甘やかしているわけではありません。イヤイヤやるよりも、楽しくやったほうが身につくかと思っただけです」
 真っすぐに勇悟を見上げる花梨からは、初めて会ったときのような怯えた様子は感じられない。
「そうか。おまえがそう言うなら、二人を頼む。俺は部屋にいる」
「ユウゴもお仕事がんばってね~」
 桃子の言葉で、彼にも仕事があったのだと花梨は気づいた。つまり、彼は忙しい合間をぬって、花梨に付き合ってくれたのだ。
 それから夕食の時間まで、勇悟と顔を合わせることはなかった。
 佐伯に勇悟の様子を聞けば、書類仕事に追われているとのこと。
 忙しいのかと問うと。
「跡取りは省吾様だと思っていた方ですから。勇悟様はこういった仕事はあまり気乗りしないのですよ。後回しにしていたツケがまわってきただけです」
 先ほど、似たような話を聞いたばかりだなと、花梨は思った。

 この結婚は二人が愛し合った結果ではない。
 花梨の能力が影の者に利用されないように。そして花梨自身が園内の家から逃げ出すための結婚だ。
 だから、他人の目がなければ夫婦らしい振る舞いをする必要はないと思っていたはずなのに。
「なんでこいつらがここにいる」
 夜の十一時。風呂に入り、寝室へとやってきた勇悟の第一声。部屋の明かりは弱めてはいるものの、人の表情ははっきりと見える。
 花梨は手元のスマートホンで、寝る前の読書をしているところだった。これは園内の家にいた頃からの習慣。少ない小遣いを書籍代に充てる。それも電子書籍にすることで、狭い部屋を本が埋め尽くさないようにと。
 その花梨の両脇には、柚流と桃子がひっついている。
「柚流さんがどうしても私から離れなくて……」
 それで仕方なく同じベッドへと連れてきた。そうなれば桃子だって一緒に寝たいと口にする。
「子どもたちは、私の布団を一緒にかぶりますから。勇悟さんにはご迷惑はかからないかと」
「そういうことじゃない」
 はぁと大きく息を吐いた勇悟は、クシャリと前髪をかきあげる。
「驚いただけだ。たった一日しか一緒にいないというのに、おまえは子どもたちの心をつかむのがうまいんだな。知っていると思うが、この子らは俺の子じゃない。俺の兄の子だ」
「えぇ。存じ上げております」
 先代当主の省吾が亡くなり、勇悟がその地位を継いだとき、幼い子らを引き取ったという話は美談として盛り上がった。
「桃子さんも柚流さんも、とてもやさしい子です」
 花梨にとって、これほど満足して一日を終えた日など、記憶のあるかぎり、今までなかった。朝が来たら早く夜になればいいと思っていたし、夜になれば朝が来なければいいと願っていた。
「この子たちとの出会いを繋いでくれた勇悟さんには感謝しかありません」
「なるほど。やはり、おまえは面白いな。ついでに伝えておく。次期当主は柚流だ。だから俺たちの間に子はいなくていい。それでも夫婦となった以上、それなりの仲の良さは周囲に見せつける必要はある。俺がおまえに望むのは、この子たちの母親であり、形だけの妻だ」
「はい。私も勇悟さんを利用している立場ですから。はっきりとそうおっしゃっていただいたほうが、気持ちは楽です。火宮の名に恥じぬよう、精一杯、務めさせていただきます」
「ああ、頼むぞ。妻殿」
 勇悟から望まれているのは形だけの妻。
 だけど柚流と桃子はそんな花梨を慕ってくれる。そして勇悟は、この二人の母親であるようにと要求してきたのだ。
 となれば、花梨だって自分の役割について、次第に理解する。
「おい。明日は六時に起こせ。それから四時のアラームは切っておけ」
「はい」
 パタリと閉じたスマートホンを枕元に置いた花梨は、二人の子どもの間の狭い空間に身体を横たえる。触れたところから伝わるぬくもりは心地よく、瞼はとろりと重くなる。