私は週に一個のペースでアボカドを買って食べている。それは憧れの先輩が恋しくて始まった習慣だけれど、窓際の棚やベランダで育てている種や苗木が食べた全てじゃない。種を取る際に包丁で傷付けてしまったり、水に浸していても全く発芽しなかったものも多いし、根や芽が出てもその後に枯れてしまったものもある。プランターに移植しても根付かなかったなんてのはザラだ。

 中には元々から傷んでいる種だってある。果肉は問題なく食べられるのに、種自体が腐りかけていたり、初めから真っ二つに割れていたり。だから発芽して青々とした葉を生やしてくれるポテンシャルの高い種との巡り合わせは運だ。
 その話をした時、詩織はしみじみと頷きながら言っていた。

「何か、子供達の成績をみてるみたいだね……」
「育成とか成長とか、そういう意味で?」
「そうそう。ほら、子供でも塾通いさせてもらえる子って、一部じゃない? その中でも伸びる可能性のある子とそうじゃない子がいるし、さらに本人に合った環境かどうかで成長できるかが決まってくるんだよね。どこでも育つようなド根性な子の存在は奇跡に近い。伸び始めるタイミングも千差万別だから、最初から一気に飛ばす子もいれば、大器晩成でギリギリになる子だっているし」

 担当している受験生が伸び悩んでいるらしく、詩織はハァと大きな溜め息をついていた。模試を受ける度に弱点を分析して、適切な対策をしているつもりなのに思うように偏差値には反映してくれない。生徒自身が一番辛いのは分かっているから長い目で見守ってやりたいのに、保護者からは転塾をチラつかされているのだという。

「この時期に環境を変えたところでって言い返したいんだけど、その子にとっては何が正解なのかは分からないんだよね……」
「確かに。諦めて土の肥やしにしようと埋めてたやつが、忘れた頃に発芽してたりもするしね」
「うん、なかなか読めない子もいるんだよ。親にも分からないのに、他人の私が分かるかって感じ」

 ベランダの隅に置いている使い回しの腐葉土が入ったプランターを、私はチラりと見る。何週間待っても成長の見られなかった種をコンポスト代わりの土に混ぜ込んでみたら、後から青々とした芽を出していたことがあるのだ。
 その時は互いに、「思うように育てるって、難しいよねー」と分かったように頷き合ったと思う。

 そんなことを思い浮かべながら、私は詩織から預かった種を右手の指先で摘まみ上げる。水栽培を始めてから二週間。見た目には何の問題も無さそうだったアボカドの種は、まだ発根する気配も見せない。
 同じ日に栽培を始めた、私が食べた物の種は、底から白くて短い根を生やしている。なのに詩織の種は全然だ。

「死んでるのかな……?」

 顔に近付けて様子を観察してみると、果肉を切る時に付いたっぽい包丁の痕が薄っすらと赤色の線として現れている。この血のような赤い色になるのは種が生きている証拠。まだ反応がないのは品種が違うからかもと、私は詩織の種を窓から一番近い日当たりの良い場所に移動させてみる。
 今朝、ゴミステーションで顔を合わせた詩織の、この上なく疲れ切った顔を思い浮かべて、私は「早く芽が出るといいなー」と呟いた。

 日曜の朝、私はいつものようにベランダでアボカドの鉢植えの世話をしていた。観葉植物用の肥料を苗木の根元に撒きつつ、落葉したものを拾い集める。朝夕はぐんと冷えるようになったから、そろそろ部屋の中に移動させようかと考えていると、隣の部屋の窓が開く音が聞こえてきた。

「おふぁ、よぉ」

 まだまだ眠いと言いたげな声の詩織が、パーテーションの向こうから顔を見せる。モコモコと温かそうな部屋着のまま、片手には栄養補給タイプのゼリー飲料。

「もしかして、それが朝ごはん?」
「あー、うん……疲れ過ぎて、固形の物が喉通らないっていうか。ああ、でも、本番前のピークは過ぎたから、しばらくは平気。あと出来ることは限られてるし、もう見守るだけっていうか」

 一番気が張る志望校決めが一通り終わったと、ホッとしたような表情を見せる。

「心配だった生徒も、少しずつ結果が出始めてるし、ようやくスタートラインに立てた気分」
「転塾するとか言ってた子?」
「そう、親は早く過去問を解かせろってうるさかったんだけど、基礎力のないまま手出してもって、説得するの大変だったんだから……でも、なんとかね」
「そっか、お疲れー」
「ほんと、お疲れだよ、私」

 乾いた声で笑う詩織に、私は「ちょっと待ってて」と声を掛けてから、部屋の中へ戻る。そして、窓際の棚の上からペットボトルで作った容器を一つ手に取って再びベランダへと出た。

「見て! 今朝、やっと根っこが生えてきたんだよー」

 詩織から預かっていた種を指先で摘まんでひっくり返して見せる。まだ5ミリほどの短さだけれど、太さもある逞しい根が種の下からニョキっと伸びていた。

「わ、完全に忘れてた……!」
「なかなか出ないからどうだろうと思ってたけど、この子もゆっくり伸びるタイプだったみたい」
「そっかぁ、こうやってちゃんと成長してるの見るのって、なんか嬉しいね」
「だね」

 手の平に乗るような小さな種の、力強い生命力を感じながら、私達は顔を合わせて笑いあった。