「あーやっぱり家って最高」
リビングに置かれたビーズクッション目掛けて、すずなは背面跳びをするようにダイブした。両手を上にして、身体をしっかりと伸ばす。飲み会で身体の中に押し込んできた感情が、一気に解放されていくような気がした。
「今夜は部署の人たちと楽しんできたんじゃないの?」
パジャマ姿の蛍が腕組みをして、すずなを見下ろしてきた。
「なんだかねー、割と楽しみにしてたんだけど逆に疲れちゃった……」
「あらら。じゃあ、コーヒーでも飲む? せっかくの金曜日の夜だし」
「えー、いいの? じゃあ、お願いしまーす」
はいはいと言いながら、蛍がキッチンへ向かう。コーヒーメーカーに豆をセットしてくれている蛍にすずなは話しかけた。
「……女同士で暮らしてるって言うとさ、必ず恋人ができたらどうするんだとか、いずれ解消するとかって言われちゃうんだよね」
ゆっくりと半身を起こして、話を続ける。お尻の下のビーズクッションが凹んだ。
「……恋人云々については実家暮らしだって同じことが言えるわけだし、同棲にしろ、結婚生活にしろ一寸先は闇でしょ。どうして女同士って色眼鏡で見られるんだろ。女同士で暮らしてますって言ったら、楽しそうですねとかそんな感想でいいじゃない?」
膝を曲げて体育座りをして、両膝の上に顔を置いた。蛍の様子を窺うと、水タンクに水道水を入れているところだった。
「……ちょっと前までは女性の結婚を永久就職なんて呼んでたくらいだからね。女は結婚してこそっていう感覚はなかなか無くならないわよ」
佐田や結愛の反応に目くじらを立てるすずなとは違って、蛍は至って冷静だ。この冷静さにすずなは何度も救われている。さすがは大学で教鞭を取っているだけのことはあるなと思う。
蛍がコーヒーメーカーのスイッチを入れた。豆が挽かれ始める。粉砕音と共に漂ってくる香りをすずなは楽しんだ。
しばらくすると、蛍がマグカップを両手に一つずつ持ってやってきた。すずなの前にあるローテーブルにマグカップを置いて、もうひとつのビーズクッションに蛍も腰を下ろした。
ありがとうと礼を告げ、すずなはマグカップに手を伸ばした。蛍がコーヒーに息を吹きかけながら、口を開いた。蛍の眼鏡が白く曇っていた。
「まぁ、私たちの生活にケチをつけてくるような人は、どんなことでもケチをつけてくるわよ。同棲したならしたで、いつ結婚するんだとか、結婚したら子供はまだか、子供は早いほうがいいとか。ね」
「あーそうかも」
脳裏に佐田と結愛の会話が思い起こされる。結愛が同棲してると言ったら、佐田は結婚という単語をすかさず口にしていた。
「でも私たちは人として生きてるから、これでいいのよ」
蛍がコーヒーの液面をじっと見つめながら呟いた。
「どういう意味?」
「人って漢字は、人と人が支え合ってる姿からできたっていうじゃない。そこに性別の指定はないの。今の私たちはお互いに支え合ってる。人としての役割をきちんと果たしてると思わない?」
「人の漢字ってそんな成り立ちなの?」
「え、違うの?」
蛍が途端に慌て出す。
「だって、明らかに一画目が二画目に寄りかかってない?」
人の字を思い浮かべながら、近くにあったスマホで検索をかけた。
「……蛍、それ俗説らしいよ。本当は一人の人間が身体を曲げてる姿を横から見てできたっぽい」
出てきた検索サイトの画面を印籠のようにして蛍の眼前に差し出した。
「やだ、恥ずかしい。うちの母がいつもそうやって言ってたのよ。人は人と人が支え合ってるって。そこに性別はないんだよって」
蛍が目をきょろきょろと動かしたあと頬を桃色に染めた。
「あの自由なお母様のこと?」
「そう。一度も結婚することなく姉と私を設けて、今も世界各国を気ままに旅してる母上よ」
「格好いいよねぇ。枠にはまらない生き方を選択していくってのは」
「まぁ、子供は大変だったけどね。私は祖母と姉がいてくれたから良かったけど、姉は大変だったんじゃないかな。私のお世話をさせられて」
「お姉さんは蛍と幾つ違うんだっけ。結構離れてるよね。十歳だっけ?」
「ううん、もっと離れてる。十四歳違う。ちなみに姪っ子と私が十二歳差。だから姪っ子との生活は姉との生活を思い出して楽しかった。姪っ子がまた姉にそっくりだから、なんだか関係性が逆転したみたいで」
蛍がくすくすと思い出し笑いをする。蛍の自然と溢れ出す笑みを見て、すずなは複雑な気持ちを抱いた。果たして、蛍は自分との生活を姪っ子さんのときと同様に満足してくれているのだろうかと。禁断の質問のような気がしたが、恐る恐るそれを口にした。
「……その姪っ子さんとの生活が私との生活に変わった訳だけど、大丈夫? 一回り下の子と暮らしてたのが、同級生と暮らすことになって居心地が悪くなったとかない?」
「ぜーんぜん」
心配をよそに蛍は即答した。
「本当?!」
「うん。だって、すずなの精神年齢が姪っ子ぐらいだから」
すずなの目をじーっと見つめたあと、蛍はにやりと口角を上げた。
「ちょっと!」
「嘘、うそ。成長していないのは私の方。すずながしっかりしてくれてるから、私はすごく快適に暮らしてる」
さっきまでのいたずらな雰囲気をあっという間に引っ込めて、蛍は微笑んだ。
「……そんなことないよ。蛍こそ、いつもどっしりと構えてるじゃない。だから、私も安心して暮らしてる。……って、なに、このおべっかばっかりの会話は」
褒められると反応に困ってしまう。もじもじしながら、すずなは自分の手に渡ってきた会話のボールを投げ返せずにいた。けれど、だんだんこのやりとりも滑稽に思えて、ぶん投げた。
「そうよ。十八歳で知り合って、もうほぼ人生の半分は友達なわけじゃない。今更のおべんちゃらはやめよ」
「そうだ、そうだクリームソーダ!」
二人で大学時代から使っているフレーズを言いながら、からからと笑い合った。
リビングに置かれたビーズクッション目掛けて、すずなは背面跳びをするようにダイブした。両手を上にして、身体をしっかりと伸ばす。飲み会で身体の中に押し込んできた感情が、一気に解放されていくような気がした。
「今夜は部署の人たちと楽しんできたんじゃないの?」
パジャマ姿の蛍が腕組みをして、すずなを見下ろしてきた。
「なんだかねー、割と楽しみにしてたんだけど逆に疲れちゃった……」
「あらら。じゃあ、コーヒーでも飲む? せっかくの金曜日の夜だし」
「えー、いいの? じゃあ、お願いしまーす」
はいはいと言いながら、蛍がキッチンへ向かう。コーヒーメーカーに豆をセットしてくれている蛍にすずなは話しかけた。
「……女同士で暮らしてるって言うとさ、必ず恋人ができたらどうするんだとか、いずれ解消するとかって言われちゃうんだよね」
ゆっくりと半身を起こして、話を続ける。お尻の下のビーズクッションが凹んだ。
「……恋人云々については実家暮らしだって同じことが言えるわけだし、同棲にしろ、結婚生活にしろ一寸先は闇でしょ。どうして女同士って色眼鏡で見られるんだろ。女同士で暮らしてますって言ったら、楽しそうですねとかそんな感想でいいじゃない?」
膝を曲げて体育座りをして、両膝の上に顔を置いた。蛍の様子を窺うと、水タンクに水道水を入れているところだった。
「……ちょっと前までは女性の結婚を永久就職なんて呼んでたくらいだからね。女は結婚してこそっていう感覚はなかなか無くならないわよ」
佐田や結愛の反応に目くじらを立てるすずなとは違って、蛍は至って冷静だ。この冷静さにすずなは何度も救われている。さすがは大学で教鞭を取っているだけのことはあるなと思う。
蛍がコーヒーメーカーのスイッチを入れた。豆が挽かれ始める。粉砕音と共に漂ってくる香りをすずなは楽しんだ。
しばらくすると、蛍がマグカップを両手に一つずつ持ってやってきた。すずなの前にあるローテーブルにマグカップを置いて、もうひとつのビーズクッションに蛍も腰を下ろした。
ありがとうと礼を告げ、すずなはマグカップに手を伸ばした。蛍がコーヒーに息を吹きかけながら、口を開いた。蛍の眼鏡が白く曇っていた。
「まぁ、私たちの生活にケチをつけてくるような人は、どんなことでもケチをつけてくるわよ。同棲したならしたで、いつ結婚するんだとか、結婚したら子供はまだか、子供は早いほうがいいとか。ね」
「あーそうかも」
脳裏に佐田と結愛の会話が思い起こされる。結愛が同棲してると言ったら、佐田は結婚という単語をすかさず口にしていた。
「でも私たちは人として生きてるから、これでいいのよ」
蛍がコーヒーの液面をじっと見つめながら呟いた。
「どういう意味?」
「人って漢字は、人と人が支え合ってる姿からできたっていうじゃない。そこに性別の指定はないの。今の私たちはお互いに支え合ってる。人としての役割をきちんと果たしてると思わない?」
「人の漢字ってそんな成り立ちなの?」
「え、違うの?」
蛍が途端に慌て出す。
「だって、明らかに一画目が二画目に寄りかかってない?」
人の字を思い浮かべながら、近くにあったスマホで検索をかけた。
「……蛍、それ俗説らしいよ。本当は一人の人間が身体を曲げてる姿を横から見てできたっぽい」
出てきた検索サイトの画面を印籠のようにして蛍の眼前に差し出した。
「やだ、恥ずかしい。うちの母がいつもそうやって言ってたのよ。人は人と人が支え合ってるって。そこに性別はないんだよって」
蛍が目をきょろきょろと動かしたあと頬を桃色に染めた。
「あの自由なお母様のこと?」
「そう。一度も結婚することなく姉と私を設けて、今も世界各国を気ままに旅してる母上よ」
「格好いいよねぇ。枠にはまらない生き方を選択していくってのは」
「まぁ、子供は大変だったけどね。私は祖母と姉がいてくれたから良かったけど、姉は大変だったんじゃないかな。私のお世話をさせられて」
「お姉さんは蛍と幾つ違うんだっけ。結構離れてるよね。十歳だっけ?」
「ううん、もっと離れてる。十四歳違う。ちなみに姪っ子と私が十二歳差。だから姪っ子との生活は姉との生活を思い出して楽しかった。姪っ子がまた姉にそっくりだから、なんだか関係性が逆転したみたいで」
蛍がくすくすと思い出し笑いをする。蛍の自然と溢れ出す笑みを見て、すずなは複雑な気持ちを抱いた。果たして、蛍は自分との生活を姪っ子さんのときと同様に満足してくれているのだろうかと。禁断の質問のような気がしたが、恐る恐るそれを口にした。
「……その姪っ子さんとの生活が私との生活に変わった訳だけど、大丈夫? 一回り下の子と暮らしてたのが、同級生と暮らすことになって居心地が悪くなったとかない?」
「ぜーんぜん」
心配をよそに蛍は即答した。
「本当?!」
「うん。だって、すずなの精神年齢が姪っ子ぐらいだから」
すずなの目をじーっと見つめたあと、蛍はにやりと口角を上げた。
「ちょっと!」
「嘘、うそ。成長していないのは私の方。すずながしっかりしてくれてるから、私はすごく快適に暮らしてる」
さっきまでのいたずらな雰囲気をあっという間に引っ込めて、蛍は微笑んだ。
「……そんなことないよ。蛍こそ、いつもどっしりと構えてるじゃない。だから、私も安心して暮らしてる。……って、なに、このおべっかばっかりの会話は」
褒められると反応に困ってしまう。もじもじしながら、すずなは自分の手に渡ってきた会話のボールを投げ返せずにいた。けれど、だんだんこのやりとりも滑稽に思えて、ぶん投げた。
「そうよ。十八歳で知り合って、もうほぼ人生の半分は友達なわけじゃない。今更のおべんちゃらはやめよ」
「そうだ、そうだクリームソーダ!」
二人で大学時代から使っているフレーズを言いながら、からからと笑い合った。