「はい、終わり! 湊の髪柔らかくていいね」

髪が完全に乾いたことを確認し、日戸はドライヤーの電源を切った。
うーん不思議だ。何でここまでしてくれるのか。湊自身、どうして大人しく乾かしてもらっていたのか分からないが、特に言葉も思いつかないので黙っていた。
そうだ、どのみち服が乾かなきゃ帰れない。
「さてと。とりあえず向こう行こうか」
「?」
またまた、よく分からないままリビングへ連れられる。
「適当に休んでていーよ」
日戸はソファに腰掛けると、自身の鞄から教科書やら何かのレポートやら取り出して勉強を始めた。
やがてこっちの視線に気付き、面倒そうに頭を掻く。
「あぁ、明日テストあって。結構大事なやつだから手を抜くわけにいかないんだよ」
「ふぅん。さっすが、エリート君は違うな」
というか間違いなく敵意を持ってる相手を前に、呑気に勉強を始められる神経が分からん。
わざと皮肉を込めて言ってやったが、彼は何ともなさそうに答えた。
「成績さえ良ければやりたい放題ってことだよ」
それから、さっさか書き物を始めてしまった。

「………」
彼の言葉を反芻する。
成績さえ良ければ───。
それは確かに、そうなのかもしれないけど。
成績なんて眼中にないのにやりたい放題してる俺は、彼の目にはどう映っているんだろう。

……なんて、そんなの決まってる。ただの考えなしの馬鹿だ。


「……」


突っ立っていても仕方ないから、近くの椅子に座ってスマホを弄ることにした。
それから一時間近く経った。何も考えずに動画を見てると案外時間が経つのが早い。
「なぁ、そろそろ洗濯終わったんじゃないか」
ソファの方を向いて、彼の背中に声を掛ける。が、返答がない。

この野郎、無視か。
イラッとして彼の前方へ回った。よっぽど勉強に集中してると思いきや、彼の手は完全に止まっていて。
「寝てる……」
微かに寝息をたて、気持ちよさそうに眠っていた。軽く揺さぶってみるも、全く起きる気配がない。
この際だ、ぶん殴ってやってもいいんだけど。

風呂場に戻り、洗濯物を乾燥機にぶち込んだ。
加えて気の利く俺は、ブレザーだけは日戸の分もハンガーにかけて干した。
これで貸し借りナシだ。でも。

「起きない……」

それからしばらく待ってみても、彼はやはり熟睡していた。
俺が勝手に帰る分には問題なさそうだけど、テスト勉強をしないと困るんじゃないか?
少しぐらい強引でも、起こしてやった方が良いかな。どうしよ……。

少し近付いて、日戸の顔を覗き込む。
男の寝顔を眺めたって何も楽しくない……はずなのかのに。
「うーん……」
ムカつくぐらいイケメンなんだよな。

かなりギリギリまで顔を近付けて、湊は日戸の寝顔を観察していた。
昔読んだ本で、白い陶器のような肌とかいう表現があった。それは女性限定の形容だと思ったけど、日戸の肌は艶やかだった。
生きたマネキンみたいだ。あれ、これは褒めてるのか……?

「どうしたの?」
「うわっビックリした!」

またまた何の前触れも無く、日戸は大きな瞳をこちらに向けて身を起こした。
「ふあぁ……やば、寝ちゃった。何分ぐらい?」
「さぁ……でも一時間は経ったぞ。洗濯ももう終わってたから、後は服が乾くのを待つだけ」
後ろに身を引いて、カーペットの上に座り込む。
しかし彼に見下ろされる様なポジションについてしまったことに後から気付いて臍を噛んだ。
「何、そこまでしてくれたの? 湊ってやっぱり良い子だね」
「何が……自分の為にやったんだよ、アホ」
そっぽを向くと、日戸は可笑しそうに笑った。

「そっかぁ」

歳上相手に言いたい放題してるけど、こういう会話では全く怒らない。つくづく分からない奴だと思った。
「さーて、レポートの続きやろっと」
「……」
彼がペンを手に取ったので、こっちも適当にスマホを弄り出す。邪魔する理由もないし、無理に関わる必要もない。
そう思っていたのに。

「湊、暇そうだね。かまってほしい?」
「は?」

理解不能な言葉を掛けられ、スマホを落としそうになる。日戸はレポートを置いたかと思えば、ソファから下りて湊と同じように床に座った。
目線が合う。そして、肩が触れる。恐怖に近い驚愕。
「ごめんごめん、女の子なら暇させない自信あるんだけどさ。湊は男の子だからつい相手するの忘れちゃってた」
「意味分かんねーし、ほっといてもらった方が助かる」
謎だ。それに彼の台詞を聞くと、こっちの方が恥ずかしくなる。
立ち上がって離れようとすると、彼は腰を引き寄せて、また鼻先が触れそうなほど顔を近付けてきた。

「なに」
「またキスしてみる?」

キ……っ。
日戸はひどく落ち着いた様子で、ぶっ飛んだことを言った。
目は笑ってなくて、冗談って感じでもない。多分、本気だ。
「……やだよ! 死んでも嫌だ!」
何でそう、よく知らん男と何回もキスしなきゃならないんだ。
この前のアレ……。あの一回だって死ぬほど嫌だったのに。

「湊……」
「いやいやいや! 嫌っちょっと待てっ!」
慌てて逃げようとしたけど、遅かった。しっかり背中に手を回され、引き寄せられる。直後に当たる唇の柔い感触。

うわあぁ……またやっちゃったー……!

悲しいやら悔しいやらで自暴自棄になりそうだ。
今すぐ地中深くに潜りたい。でも最悪なことに、彼はこれだけで満足しなかった。

「湊、口開けて」
「ほあっ!?」

顎を掴まれて、むりやり口を開かされたせいで情けない声を上げてしまった。彼の舌が、湊の深いところに挿し込まれる。
「───っ!?」
無遠慮に口腔内を犯す、やらしい動き。
男としたって気持ち悪いだけなのに、……何故かゾクゾクする。怖いから、分からないから震える。
「ん……っ」
なんせ彼は常に自分より一枚上手だ。キスの主導権も握って離さない。

他人の家でキスする音が響いてる。
頭がおかしくなりそうに、恥ずかしい。
溶けそうだ……っ。
「可愛いね、湊。……女の子みたいに可愛い」
彼の文句も尋常じゃなく腹立つはずなのに、今は全部右から左に抜けていく。台詞なんてどうでもいい。
それより、この時間が終わってほしく……ない。

「キスが大好きなんだね」

彼は楽しそうに言うと、耳や首など、関係ない部分にもキスしてきた。
「んぅっ」
ロクな抵抗をしてない。これは、受け入れてるってことになるか。やばいな……。
そう思うのに、身体は彼を突き放せない。
やばい。やばい気持ちいい……。
「どこにキスしてほしい? 湊のお願いなら聞いてあげるよ」
「あ……」
一瞬、思考がまずい方へ傾いてしまう。
でも、それだけは駄目だ。拳を握り締めて、彼から目を逸らした。
「もう、いい……もう嫌だ」
こんなことやっちゃいけない。必ず後悔するし、後戻りができなくなる。
「ふーん」
けど、彼はそんな逃げ道を与えてくれなかった。
「あっ!」
力任せに床に押し倒され、背中を打つ。

「ちらちら物欲しそうに目配せして。とても嫌って顔には見えないけど? もっとしてほしいの間違いじゃない?」

日戸は馬乗りになって湊を見下ろした。いつもと違う雰囲気の彼に内心焦りが募る。自分が知る彼は、こんな一から十までこんな人間だっただろうか、と記憶を辿る。