「来たぞ」

日戸が通う学校の最寄駅は人で賑わっていた。騒々しいが、おかげで数人で張っていてもさほど目立たない。湊が近くの自販機でジュースを買って戻った、その僅か数分後に日戸は現れた。
人生イージーモードと言わんばかりのスマイルを浮かべ、女子を何人か連れている。
「くそ……いつも女といるのかよ。ありゃ絶対男の友達いないんだよ」
「まぁまぁ」
怒り狂う友人を制し、バレないように彼の後をつける。
「じゃ、宜しくパシリ君」
「で……でも、知らない人にそんなこと……」
今回に限り助っ人を呼んだ。適当に連れて来た、気の弱いクラスメイトだ。友人達はニヤニヤしている。
「いいから言われた通りにやれよ。ちゃんと後でお礼するし」
それでもオドオドする彼に、一本の炭酸の缶ジュースを手渡して耳打ちした。
「大丈夫。万が一殴られそうになったら守ってやるから」
そう耳元で囁くと、彼は困った顔で頷き。果敢にも日戸と取り巻きの元へと歩いて行った。

「あ。そういえば日戸君、明日オーラルのスピーチテストだよね? 頑張ってね」
「ありがとう。テーマは砂漠化についてなんだ。皆の清聴を望むよ」

何かぶっ飛ばしたい会話を聞き流しながらも、事態を見守る。そして頭の中でカウントダウンした。

よし、今だ。やれ!
予想の時間ぴったり、日戸達とすれ違う直前、少年は缶ジュースを開けた。瞬間、日戸に向かって噴水の様に中身が飛び出していく。
「やだ! 日戸君、大丈夫!?」
「…………」
日戸は哀れにも、頭から水浸しになった。かなり高い位置までジュースが噴き出した為、誰が見ても悲惨な姿だ。
「はっはは! 今の見たか? だっせー!」
そうして一同は高らかに笑っていたが、

「えぇ……。日戸君てぬれるとセクシー……!」

何……だと……。
ドン引きするどころか、女子達はぬれた日戸に思わぬ好反応を示し出した。
「日戸君、大丈夫? ちょっと、アナタ振った炭酸開けたの? バカじゃないの!?」
「わわ、すいません!」
計画が狂い、一斉に女子の怒りが弱い少年に集中する。彼は涙目になり、頭をぺこぺこ下げていた。自分達がけしかけたとはいえ、さすがに申し訳なくなる。

「ふー……。びっくりしたけど大丈夫。その子もわざとじゃないんだし」
「もう、優しすぎるよ。ちょっとは怒らないと」
「あはは。……でもごめん、トイレに寄りたいから君達は先に帰ってて。じゃ、また明日」

────来た。気を取り直して次の仕事だ。
その場にいる全員、アイコンタクトを交わして頷く。

「ねえ、私達タオルとか買ってこなくて平気?」
「ありがとう。平気だから、気を付けてね」
日戸は女子達と別れ、駅内の男性トイレへ入って行く。
「作戦開始だ。お前ら持ち場につけ」
「おし来た」
足音を殺し、日戸の後に続いて男性トイレへと突入した。

日戸がトイレの水道で顔を洗っている隙に、俺と友人二人はすかさず掃除用具入れからホースを引っ張り出した。そして大量の水を彼に吹き掛ける……作戦だったんだけど。
「あっバカ!」
友人は誤って手を離してしまい、軽いホースは独りでに暴れる形になってしまった。最大まで蛇口を捻ったせいで、瞬く間に床が水浸しになっていく。
「うわわ!」
「何してんの?」
三人であたふたしていると、当然ながら気付かれてしまった。無表情で佇んでいる彼……に返す言葉がない。
「あ~。君達か。俺になにか用?」
戦慄した。優しい顔で微笑んでるのに、威圧が半端じゃない。
「クソ、行くぞ!」
「えっ。おい!」
なんという悲劇。行くぞっていうから殴りに行くのかと思いきや、二人は湊を置いて星の速さでトイレから逃げ出して行った。
「マジで? ちょっコレどうすんだよっ」
今も水はどんどん溢れて、このままではトイレからも流れ出してしまう。

「水遊びでもしようとしてたの? 小学生だな」
「んなわけねーだろ! アンタにかけようとして……」
「ふぅん。そういうこと」
日戸はモップを引っ張り出すと、暴れるホースを端に追いやって踏み付けた。そして蛇口を捻り、水力を弱めた。……までは良かったのだが、
「うわっ!?」
日戸はホースの先をこっちに向け、そのせいで全身ずぶ濡れになってしまった。
「冷たいっ!! ちょっと、止めろって!!」
「君が俺にしようとしたのは、つまりこういう事だろ? 許してください、僕が悪かったです、って言えばやめてあげるけど」
「誰が……うっ!」
彼は一切手を緩めず、何故か下半身を狙って水を噴射させていく。
「あっ……そこは、やだ……!」
「ごめんなさいは?」
声に喜色が混じる。日戸は心底楽しそうに口角を上げた。
もう少し大人っぽい性格なのかと思ったけど、そうでもないかもしれない。ていうか、普通に鬼畜だ。

「ごめんなさい……許してください……っ!」

屈辱だけど、冷たさに叫ぶと彼は蛇口を完全に閉めた。
トイレは水浸しになったが、おかげでホースから流れる水は止まり、安心する。

「やれやれ。ひどい目に合ったなー」

オイ、それ俺の台詞。
憤りを感じ目眩が起きそうになったとき、日戸に腕を引っ張られた。彼は足早にずかずか歩き出す。
「待っ……やだ、離せよ!」
突然のことに恐怖心が生まれ、抵抗する。しかし力では勝てず、逆に引き寄せられてしまう。

「このままここに居たら間違いなく大事になると思うけど、それでもいいの?」