あの日は雨が降っていた。雨の音が体育館に響き渡り、風も強くて隣に立っている木が大きな音を立ていた。夏なのに少し涼しく、妙な天気だった。
 全校生徒の前での発表は、やはりとても緊張しているみたいだった。登壇して作文の紙を広げた後、彼女は深く深呼吸をしていて、僕は心の中で、「頑張れ」と呟いていた。その時、隣の子たちが、「あの子っていつも静かな子だよね」「クールで近寄り難いって同クラの子が言ってた」そう話しているのが聞こえた。僕にとっては全く違う印象だけど、まあ彼女のことを知らない人たちはそう感じても無理はない。ざわついた体育館。先生が一言、「はい、皆さん静かに聞いてください」そう注意をし、静まり返った空気の中、彼女は話し始めた。

 

 「          悪者   七瀬美里

 突然ですが、みなさんには秘密はありますか?誰にも知られたくない、もし知られてしまったら自分が壊れてしまう。そんな秘密はありますか?
 近頃、殺人のニュースを良く見かけるようになりました。駅前で男性が女性を刺したり、実の子供が両親を殺したり。それらのニュースはどれも、加害者が全て悪いと言う報道でした。勿論、踏みとどまるべき範囲が私達人間には存在していて、それを越えてしまった彼らが悪者です。
 ですが、本当に彼らだけが悪いのでしょうか。悪い人は加害者だけでしょうか。被害者には一ミリも火はなかったと、言えるのでしょうか。
 例えば、駅前で男性が女性を刺した事件。力の差が現れる男女のやり取りは、どうしても男性の方が強いと思われてしまいます。筋力で言ったらそうかもしれません。ですが、その女性が言葉の暴力という名の精神的苦痛を男性に浴びせ、我を失った男性が自分の身を守るために女性を刺していたら、それは男性だけが悪者でしょうか。

 例えば、実の子供が両親を殺した事件。理科室にあった薬品を持ち出し、食事に入れたと言われていますが、その薬品という名の毒をもった瞬間の子供の気持ちはどんなものだったのでしょうか。自分を産み、育ててくれた両親を殺さなければならない理由がその子供にはあったはずです。本来は一生をかけて感謝をするはずだった両親が、その子供に暴力を振るっていたら。言葉の暴力を与えていたら。ろくに食事を与えず、このままでは自分が死んでしまうと怯え犯行に及んでいたら、それは子供だけが悪者でしょうか。

 また、殺人だけではありません。皆さんが好きな話題で言うと、恋愛についてでしょうか。これは決して不倫や二股、浮気を肯定したいわけではありません。例えば、付き合っている男女がいたとして、一人の女性がその男性には恋人がいると知りながら近づき、色目を使い誘惑をし悪の手を伸ばす。これは逆も然りですが、そうして不倫や二股、浮気などが出来上がります。「浮気された」「付き合ってた人に二股されてた」確かに浮気をした彼が悪いし、誘惑をした女が悪い。でもこれも彼女は全く悪くないのかと言われたら、そうでもないのです。彼女が彼をほったらかしにしていたのかもしれない。彼女が彼をあまり必要としていなかったのかもしれない。または、気づいていないだけで、二人の関係はもう既に修復が不可能な状態にあったのかもしれない。
 被害者、加害者と分けると、やはり加害者が悪者で、多くの批判を受けます。でも、その行為の先に何が埋まっているかなんて、誰にも分からないのです。

 犯罪は、必ず根元に何かしらの原因が埋まっているものです。その理由次第では私はその犯罪者を讃えるかも知れません。良くやった。あなたは強いわ。そう言うかもしれません。そして、なぜ隠し通さなかったんだと怒るかもしれません。誰も何も知らずに生きていたら、みんなが幸せかもしれない。秘密を打ち明けて、気持ちが晴れるのは、打ち明けた人だけです。秘密にしている自分に耐えきれず、全て解放されたいと願う。だったら初めから秘密なんて作らないほうがいいです。そんな弱い人は秘密を作った時点で負けです。

 犯罪も浮気や不倫も別に肯定しているわけではありません。ただ、その行為に至った理由があり、ただ加害者だけが責め立てられる世界が少しでも変われたらいいなと私は考えている、と言うだけです。
 そして、その行為を打ち明けるのも秘密にするのも、本人次第です。一生かけて秘密にすると誓うのであれば、その秘密は墓場まで持っていく勢いで筋を通さなければならない。犯罪や浮気を隠せと言っているわけではありません。私が言いたいのは、もし、やってしまったことが取り返しのつかないことだったとして。もし、それ以上に手離したくない何かがあるとしたら、選択肢は一つしかないと言うことです。そして、その選択を取るのであれば、一生連れ添う気持ちで生きていくしかないと言うことです。私はその選択をした人たちに言いたいことがあります。それは、

[秘密を貫くにはひとつの嘘じゃ足りない。嘘に嘘を重ねて、それを真実にしていくしかない]

 と言うことです。
 もう一度言いますが、総じて犯罪や浮気を肯定しているわけではありません。ただ、人間にはそう言う道もあり、そういう選択も存在すると言うことです。そして、その選択を選んだ者は、その選択を選ばざるを得なかった理由より、過酷な道に進むことになると言うことです」


 彼女の作文の内容はかなり衝撃的だった。僕にはまるで殺されるような理由がある、被害者が悪い、そう言っているように聞こえた。犯罪者を肯定しているようだった。罪を犯しても、秘密にしたら丸く収まる。そう言っているようだった。それは僕だけでなく全校生徒が感じた違和感だった。普段寝てばかりの奴らが、目を見開いて起きていて、いつもうるさい女子たちが真っ直ぐ彼女の話を聞いた。



「秘密を貫くには
 ひとつの嘘じゃ足りない
 嘘に嘘を重ねて
 それを真実にしていくしかない」



 そう話す彼女はまるで、自分のことだと主張しているようだった。作品の中の話は全て私の実体験ですと語っているようだった。僕の頭には、この言葉が強くこびりついた。聞いている誰もが感じた違和感がもし本当なら、彼女の抱えている秘密は何だろう。誰にも言わず、あの華奢な体で支えている大きなものは何だろう。彼女を苦しめているものは何だろう。すっかり僕の頭の中は彼女のことばかりで、隙間なんてなく、びっしりと詰められていた。


 次の日から、なぜか彼女の生い立ちが噂になった。昔の両親の事故のことだ。作文発表の時に抱いた違和感がみんなを騒ぎ立てた。自宅が全焼したなんて人、どこを探してもいないからこそみんなが興味を持った。同じ小学校ということで数人に僕も聞かれたけど、当然無視をした。そして、



「七瀬美里が火を放って両親を殺した」



そんな噂が流れた。誰がそう言い始めたのかは分からなかったが、噂とかくだらない。どうして人間は噂が好きなのだろうか。昔、彼女の家のことで近所のおばさんたちが噂をしていたのを思い出した。噂をする前に、真実を知った方がよっっぽどいい。でも彼女に直接確認をする人は誰一人としていなかった。
 この噂は、学校の裏掲示板だけの会話で、彼女は近づき難い雰囲気だし、僕は逆にそれが良かったと思った。社交的で、この噂が彼女の耳に入ったら、当然傷つくだろう。それはなんとしても避けたいと思った。
 一時期みんなを騒ぎ立てていたその噂も、半年も過ぎれば面白くなくなり、みんな何も言わなくなった。裏掲示板でも他クラスの女子生徒と先生がデキているだの、違うだので話題が持ちきりになった。僕はこれでいい、所詮噂はその程度のものだとそう思った。

 僕自身もその噂を彼女に直接確認は取らなかった。もし、本当に彼女があの事故のことで何か大きなことを抱えていたとして、それを墓場まで持って行くと覚悟していたとして。わざわざ掘り出すみたいなこと、僕には出来なかった。あの時、彼女の状況を知っていたのに助けられなかった自分を隠したい、そんな気持ちすら出てきてしまっていたからだ。情けなさと、申し訳なさ。彼女が話すように、犯罪には何かしらの原因が埋まっているものとするならば。彼女の噂が本当とするならば。彼女が抱える秘密の原因は、あの時何も出来なかった自分にもあると。そう思うからこそ、僕はまた何もしないことを選んだ。それが彼女が望むことならばと、そう思った。