「春陽、ちょっといいかな?」

 パパが立ち上がり、春陽についてくるように廊下へと促すから思わず私も一緒にくっついていく。
 廊下に出るとドアを閉め、ママに聞こえないような小さな声で。

「パパね、じいちゃんやばあちゃんを送りがてら、今日の夜の新幹線で長野に帰ろうと思ってるんだ」
「え?」
「春陽は、どうする?」
『はぁぁぁぁぁ!?』

 どうするって?
 え、ちょ、パパ、ひどくない?
 わかるけど?
 じいちゃんや、ばあちゃんは、花農家だから、長い間家を空けておくことができないのはわかってる。
 ましてや、もうママとは他人となってしまっているし。
 でも、パパまでだなんて! いくらとっくの昔に離婚してるからって、あんなに弱ってるママを見捨てて帰るの?
 それに私だってパパの娘であることに変わりはないんですけど?
 違う意味で悲しみに打ちひしがれそうになった私の耳にハッキリと春陽の声が届く。

「私は、残る。ママを一人にしておけないよ」

 春陽が怒っていた。
 多分私と全く同じ感情だというのが伝わってくる。
 それを見て、違う、違うとパパは首を横に振った。

「明日の朝一の新幹線で、パパもすぐに東京に戻って来るつもりだよ。しばらくママについていようって、ばあちゃんたちもそうしろってさ。そのために仕事の道具や着替えも必要だし。だから、今晩一晩だけでも、春陽にはここに残っててほしい、そう思ってたんだ。今のママを一人にしてはおけないからね」

 ……だよね、そうだよね、さすがパパ! 春陽もありがとう!!

「パパ……私も夏休みの間だけでもいいから、ママの側にいたい」
「うん、そうだね。そうしよう、春陽」

 春陽の目からまた新たな涙が流れ出す。
 いつの間にかばあちゃんとじいちゃんも廊下に出てきて、泣いている春陽を交互に抱きしめている。
 もうたった一人しかいなくなってしまった孫を大切に想っているんだ。

「ママのこと、よろしく頼むね」
「はるちゃん、近い内、必ずまた来るね。ママのこと見ててあげて」

 三人とも、春陽に何度もママを託して一度長野へと戻って行った。
 じいちゃんとばあちゃんの顔を見るの、もしかしたらこれが最期なのかな?
 もっといっぱい話したかったな、なんて死んだら後悔することがいっぱいあるってこと。
 この先に待ってるなんて、この時の私はまだちょっと甘く感じていたと思う。
 人間、死んだら後悔することだらけだった。