「ただいま」

 二人で家の前で待っているなんて何事かと春陽は駆け出していく。
 春陽の後ろから近づくとママの顔がはっきりと見てとれ、胸がズキンと痛んだ。

「お願いだから、春陽まで心配かけないで」

 ママは泣いていた。
 立っているのがやっとのようでパパは困った顔をしながら、ママを支えている。

「大丈夫だって言っただろ? まだ十九時にもなってないし」

 夏の夕暮れ、陽はまだ長くそこまで真っ暗闇でもないのに。

「夏月のことがあったばかりなのよ、春陽にまでなにかあったら」

 言うなりママはズルズルと道路にへたり込んでしまうように顔を覆って泣き出してしまう。
 行きかう人は何事かと見ているし、パパと春陽はあわててママを支えながら家の中へと入る。

「ごめんね、ママ。さっきパパに連絡入れたから大丈夫だと思ってて」

【後二十分くらいで家に帰るけど、なにか買い物とかある?】
 春陽は電車の中でパパに連絡を入れていた。
 パパからもすぐに返信があった。
【大丈夫だよ、昼間に夕飯の買い物も明日の朝の分も買っておいたから。今夜は冷やし中華にするよ】
 その返信に春陽はスタンプでありがとうと送っていたから、帰る時刻はわかっていたはずなのに。

「ママが、心配で探しに行こうって言いだして」

 家の中に入り、ママをソファーに座らせたパパはキッチンに向かいながら隣に立つ春陽に小さな声で教えてくれた。

「多分、夏月のことがあって春陽までいなくなったら、とそう思っているみたいなんだ。出かけてもいいけど、当分は早めに帰ってきてあげてくれないかな」

 まだ泣いているママを横目に、春陽は頷いて冷蔵庫から麦茶を取り出して、ママ用のカップに注ぐ。

「ママ、ごめんね、遅くなって」

 春陽がママの隣に座りお茶を差し出すと、両手で受け取って子供みたいに泣きすぎてしゃっくりしながら飲み込む。

「わかってるの、春陽は春陽だし。夏月じゃない。でも、心配なの。遅くなるとどうしても心配になっちゃうの」

 時計の針は十九時半になるところ。
 もうすぐ私との連絡が途絶えてしまっただろう時刻だった。

「春陽、お願いだからいなくならないでね」

 コトンとカップをテーブルに置いたママは、震える手で春陽を抱き寄せた。
 その姿に胸の奥がまた痛くなる。

「大丈夫だよ、ママ。私は、ここにいるから」
 
 私だって、まだここにいるよ。
 その言葉を吐けば春陽に聞こえてしまうから、飲みこんで二人の抱擁に背を向けてパパの隣に立つ。
 きゅうりを器用に千切りにしながら、パパはまるで玉ねぎを刻んでいるかのごとく、ポロポロと泣いていた。
 その口元が震え、私の名前を小さく呟いてくれたから、数年ぶりにパパの背中に抱きつくようにしがみつく。
 もうこの温もりを感じることも、私の重みをパパにあずけることもできない。
 大好きだよって思うだけで声に出せず生きてきて、それがあたりまえだったけど。
 冗談めかしてでも、言っておけばよかった。

 大好きだよ、パパ、ママ、春陽。
 離れて暮らしていたって、いつだってずっと大好きで、これからも愛してる。