長野の夏も暑いけど、東京のはそれとは全く違っていて【茹だるような暑さ】だと思う。
 むわっとした湿度は、私の柔らかい髪質に絡みついてくる敵だったし、ギラギラとした真夏の太陽は、皮膚を容赦なく攻撃してくる。
 剥き出しの腕や足は常に陽ざしに焦がされて、毎年長野に行く度に春陽の肌の色とのギャップに驚いた。
 春夏秋冬、変わることなく「春陽は、いつも白いよね」なんて冗談めかしてたのは、その透き通るような肌が羨ましかったからだ。
 私だって元は一緒なんだから、もう少し美白に気を使っておけば良かったなあ。
 東京の夏を経験するのは、小学生の頃以来だろう春陽は、肩で息をしながら目的の場所を目指す。
 代われるものなら、代わってあげたい。
 私ならば、もうちょっと体力もあるし。

「夏月はすごいね」
『なんで?』
「東京は暑いし、空気が重いんだもん。毎年この夏を乗り越えてきたなんて、すごいでしかない」
 
 春陽の言葉には妙な説得力があり、私のことを尊敬するような眼差しで見つめるものだから、苦笑してしまう。
 高校の最寄り駅に春陽と降り立つのは初めてのこと。
 知らない街をキョロキョロしながら、ママの日傘を差し歩く春陽を誘導する。
 駅から十分ほど歩くと、その階段が現れる。
 私があの日、落ちた場所だ。
 坂の上に用事がある人のために作られた石造りの階段は、腰丈の手すりが、片側にあるだけの質素なもの。
 私の足のサイズが二十三センチ、石段のひとつの奥行はそれと同じくらいか、少し小さく感じるもの。
 それなのに急で三十段もあって、人が一人すれ違えるかどうかの狭さ、普通に歩くだけで危険。
 ただここを通らないとすぐ脇にある、迂回するようにつくられたなだらかで長い坂道を五分以上歩かなければ行けない。
 だからうちの学校の生徒や仕事に通う人は、この階段をよく使っているようだった。
 私も例外ではなく、その一人。学校では禁止されていた通学路だけどね。

『えー、みんな優しいなあ』

 私の歓喜の声に春陽は憐れむような、なんともいえない顔をし鼻先で小さく息をはく。
 私が喜んだ理由、それは階段の最下部、端の方に花束やジュースやお菓子が備えてあったのだ。
 近所の人だろうか? それとも知り合いだったり?
 どちらにせよ、私のためだろうと思うと嬉しくて笑みがこみあげてくる。
 この場所に、私はあおむけで倒れていたのだという。
 発見したのは、この坂の上に住んでいる仕事帰りの四十代のサラリーマン。
 いつも使っているこの道を昇ろうとして、私が倒れているのに気付いたらしい。
 発見した人は、ギョッとしただろうと思うと申し訳ないと思う。