似て非なるもの、それは私たちを例えるにはピッタリな言葉だ。
 十六年前の五月四日の二十三時五十五分。
 自然分娩の末、千八百グラムという小ささで泣き声もあげずに、先に春陽が生まれた。
 春陽が低出生体重児として新生児集中治療室に運ばれて、その十分後、五月五日を五分ほど過ぎた頃に、二千二百グラムという双子としては大き目の赤ちゃんとして私が生まれた。
 春陽と同じく、低出生体重児ではあれど産声も大きく元気の良かった私は、ママの胸にしばらく抱かれ、すぐに母乳を飲んだそうだ。
 一緒に新生児集中治療室に入ったはずなのに、私は春陽より二十日も早く退院する。
 健康優良児だった私と比べて、春陽はいつもどこか調子が悪そうだった。
 熱を出したり、風邪をひけば長引いて、時に入院したりするぐらい。
 建築士だったパパはその頃から在宅勤務をし、私や春陽の面倒をママに代わってよく見ていた。
 ママは私たちが保育園に入るや否や、すぐにフルタイム勤務で長年勤めていた銀行に復帰していたから。
 小さいころからお揃いの服、お揃いの髪型をしている私と春陽。
 そっくりだけど見分けるのは割と簡単で、右目の下に涙ぼくろがあるのが私だ。
 遠目ではホクロはわからないかもしれないけれど、もう一つ見分ける方法。
 小さいころの写真の中でママに抱かれているのは私で、パパに抱っこされているのが春陽ということ。
 何故なら春陽より私の方がママに可愛がられていたから、だ……。
 理由はきっと、ただ私が健康で手がかからない、それだけのことだったと思う。
 覚えてるんだ、私、三歳くらいの時の記憶を。
 親子遠足の前の夜、風邪をひき、吐いてしまった春陽の後始末をしながら、ママが言っていたこと。

「なんで、こんなに手がかかるんだろう。夏月は、全然かからないのに」

 幼心にも、ママのため息と共にそれは深く深く刻み込まれた。
 春陽にもきっと聞こえていたのに。
 私は聞こえないふりで幼児番組をじっと見つめていただけだった。