「眠れる? ママ」

 グッタリと疲れ果てたママは、ベッドに横になると目を瞑ったままうなずいて、震える手を春陽の方に伸ばす。
 いつも仕事一筋で弱った顔なんて見たことがない。
 病気の方が逃げ出すのでは、ってほど健康的なママが私のせいで、たった数日で老け込んでしまっている。

「すこしだけ……側にいて?」

 まるで子供みたいなその願いに、返事をする代わりにママの手を握りしめた春陽。

「手、あったかいね」

 寝言のように呟いた後、ママは一瞬で寝息をたてはじめた。
 本当に疲れていたんだろう。
 春陽はベッドの縁に腰かけながら、空いてる片手でポケットに入れていたスマホを取り出した。
 中一の時にパパに買ってもらった私とお揃いのスマホ、春陽のは白で、私が選んだのは黒だった。
 申し訳ないけど、春陽宛てのメッセージが目に入ってしまった。
 長野に住んでいるのだろう春陽の友達からのお悔やみの言葉や、パパからの【もうすぐ長野駅に着くよ、ママはどう?】というメッセージが上の方にあって。
 春陽はそれらに返事をしないまま、画面を上にスクロールしながら、夏休み初めに届いたメッセージを押した。
 それは私とのやり取りだった。

【春陽、元気? お盆になったら、長野に行くね】

 行ってもいい? じゃないのは、私にとって長野が第二の故郷だからだ。
 春陽にとって東京が第二の故郷で、ここにも部屋があるように。
 長野にも、春陽の部屋の隣に、私の個室がちゃんとあった。
 春休みと秋の連休は春陽が東京に、夏休みと正月は私が長野に行っていた。
 それは私たち家族が離れて暮らすようになった八年前、小学校二年生の頃からの変わらぬルーティーン。
 だけど、そのルーティーンは昨年春、春陽が東京を訪れたのを最後に、途切れた。
 去年の夏、いつものように行くはずだった私は『忙しくて』と長野行きをドタキャンした。
 秋の連休は受験生だった春陽も塾の模擬試験があって東京に来られなかった。
 そして今年の正月休みも『春陽の勉強の邪魔したくないから』と私は長野に行かず、春休みは高校入学のための準備で春陽は東京に来なかった。
 理由を色々つけて、私たちはお互いを避けていた。
 春陽は小さなため息をついて、スマホの画面を暗くし、眠っているママの目尻から、また溢れている涙を拭いて。
 それからママを起こさないようにと部屋へと上がっていく。