「……ねえ銀太くん」
「うん?」
 銀太がこちらを見る。

「気のせいかな? 初めてヨガクレに来た日より、空が曇ってるというか……空気が澱んでるように見えるんだけど」
 美緒は夜空を見上げて目を眇めた。

 黒い霧に隔てられているかのように、星の輝きが小さく感じられる。

「仕方ないんだよ。ヨガクレは現世と幽世の中間地点にあるからね。アマネ様が神力で幽世から流れ込んで来る瘴気の大部分を防ぎ、あるいは跳ね返してくれてるんだけど、それでも完全には防げなくて、毎日少しずつ空を覆っていくの。覆われるのは空だけで、地表は大丈夫。アマネ様がドーム状の結界を張って、この地を守ってくださってるから」

「え。でも、それじゃあ、空はだんだん曇っていって、最終的には真っ暗になっちゃうの?」
 驚いて、肩の銀太を見る。

「ううん。だから、ヨガクレでは毎月一度、縁日を行うの。中央広場に櫓が立って、皆が櫓の周りに集まって祈りを捧げ、その祈りを受けてアマネ様が舞うんだよ。一回だけ見たことがあるんだけど、本当に綺麗だよ。舞とともに瘴気が吹き飛んで、満天の星が輝くの!」

 銀太は座ったまま、興奮気味に何度も前足を振った。
 おとなしい銀太がこうも強く訴えるとは、よほどのことだ。

「そうなんだ。見てみたいなぁ。人間の見学って許されるのかな?」
「アマネ様に頼めば参加させてもらえると思うよ。今日会ったらついでに聞いてみようよ」
「うん」
「お待たせしました」
 と、門番が一羽の烏天狗を連れて戻って来た。

「あ」
 美緒と銀太が異口同音に唱えたのは全く同じ短い言葉。

 涼しげな目元、夜風にさらさらと揺れる黒髪、柔らかな弧を描く唇――この美青年は知っていた。

「黒田さん!」
 歓喜して歩み寄る。

「やあ、美緒ちゃん。昨日ぶりだね。また会えて嬉しいよ。烏丸様に志願して、これからは俺が君を運ぶ担当になったから、次からは遠慮なく俺を指名して。この翼でどこまででも運んであげる」
 黒田は美緒の手を取り、唇を落とすふりをした。

 中世の騎士と姫の真似事だろうか。

「え、えっと、ありがとうございます。よろしくお願いしますね」
 美緒は内心の狼狽を隠し、どうにか笑みを作った。
 なんだか背中がむず痒い。

(おかしいな、昨日の黒田さんは話し上手な近所のお兄さんって感じで、こういうキャラじゃなかったはずなのに。からかってるなら勘弁して……)

 黒田は大人の余裕たっぷりだが、異性との交際経験ゼロの美緒には上手な対処方法がわからない。

「じゃあ行こうか。目的地はアマネ様のお屋敷だね?」
 美緒の心境を見抜いたのか、あっさり黒田は手を離してくれた。

「はい、お願いします。できれば急いでいただけると助かります」
「了解。銀太くんはいったん下りて」
「はい」
 銀太が地面に飛び降りると、黒田は美緒の背中に腕を回した。

「ひゃあ!?」
 足が地面から離れ、浮いた。
 何がなんだかわからないうちに視界が滑り、気が付けば黒田に横抱きにされていた。

 俗に言うお姫様抱っこ状態である。