優月が家を出てから三日後、二人は初めて塾で顔を合わせる。気まずい空気が漂っている。酸素が足りない水槽の中を泳いでいる魚状態に二人はなっている。
「こんばんは」
 挨拶はするものの、俯き、優月は目線を合わせようとしない。
「お疲れさま」
「あの、この前のことは忘れてください」
 干からびてしまった向日葵のような表情を浮かべ、声も元気がない優月を見て、廉介は気が気でなかった。
 何だか気まずい空気が流れたまま授業は終わった。

 ――あの日、嶋田さんは涙を流していた。声を震わせていた。ちゃんと話し合わなくちゃ。…。じゃなきゃ、遠くにいってしまう。
 廉介は、教室から飛び出し優月の後を追いかける。すると、塾長の月島が優月に話しかけていた。
「お疲れ様。優月ちゃん、元気?」
 いつでも生徒のことを気にかけて声をかけている月島は優月が元気ないことを察知し心配しているようだった。
「は‥‥‥い。月島先生、あの……」
「どうした?」
「私の担当の先生を変えてもらうことってできますか」
「できるけど……どうした? 高岡先生嫌だった?」
 心配そうな目を向ける。
「嫌じゃないです。でも…」
 首を振って否定する。「でも」の後の言葉が上手く出てこず、頭を悩ませる優月を見て、月島は言葉を返す。
「分かった。空いている先生探しとく」
「ありがとうございます」
「気を付けて。お疲れ様」
「ありがとうございました」

 優月が廉介の前を、頭を軽く下げ遮る。
 明らかにあの日から避けられている。
 
「あ、高岡くん、優月ちゃんと何かあった? あんな元気なさそうな優月ちゃん、初めて見るからさ」
「すみません」
 頭を下げ、謝るしかなかった。塾講師は学校の先生と比べて、生徒との距離が近いため、関わり方が難しい。遠すぎるとかえって熱心で生徒に寄り添った教育が出来ていないと批判され、近すぎると、「うざっ」「うちの娘たぶらかさないでください」とか言われてしまう。この仕事は好きだ。生徒の成長を近くで見守り、手助けできる。出来なかったことが出来たに変わった時の瞬間の喜びを分かち合うことが出来る。この仕事はやりがいがある。だから、月島さんに誘われた時は、また塾講師をやりたいと心の奥底から思った。そして、今も続けている。集団指導だと生徒二十人を相手にしていたから、一人一人の距離感というものに縛られず、授業が出来ていた。でも、個別指導は一対一だから、「距離感」を意識しないといけない。いい関係を築けないと、何もかも破綻してしまう。

「まぁ、ちゃんと仲直りしなよ」
 月島が廉介の背中を叩く。多くの場合、塾講師は担当している生徒や親御さんからクレームが入ったら、上の人から怒られたりする。でも、月島さんの言葉は違った。
 仲直り……。
「はい」