再会する
◇◇
  
 ぼく・桐ヶ谷 蒼太(きりがや そうた)は少し──いやかなり惚れっぽい、いわゆる恋愛体質である。
 
 通っていた保育園の年中さんクラスで初恋を経験しそこから季節ごとに相手を変え、だからだろうか自分の恋愛対象は同性だと自覚したのも小学校入学とほぼ同時期とかなり早い方だったんじゃないかと思う。
 まぁ好きにはなってもそれで自分から告白するとかはなくて、これからもこうやって一方的に好きになって相手に恋人が出来るなりなんなりして勝手に失恋していくんだろう、ああでも、いつか一回くらいは誰かと付き合ってみたいな──なんて密かに夢を見ていたある日。

 『よく気が利いて可愛い子がいるって気になってたんだ。良かったら連絡先教えてくれない?』

 家でやっているおにぎり屋さんの店番をしていた時にお客さんからそう声を掛けられたことをきっかけに連絡先を交換し、そこからすぐ告白され晴れて人生初の彼氏が出来た。
 七歳年上の社会人の彼はぼくが未成年だと知ると成人するまで手は出さないと約束してくれその誠実さにも感動し、もうこれはぼくが高校を卒業したら同棲するまであるのでは?と浮かれていたところで、あの置き去り事件が起きた。

 「──というわけで、昨日は大変だったんだよ……!」

 【昨日はごめんね。ついカッとなって置いて来ちゃったけど無事に帰って来れた?】

 事件から一夜明けた月曜日、お昼休みの教室にて。二人でお弁当を食べるために向かい合せでくっつけた机の相手側のところに、彼からのメッセージを表示させたスマホを置く。

 「ふぅん。……で?桐ケ谷はなんて返事したの?」

 早々に昼食を食べ終わって興味なさそうに頬杖をつきながら、でもぼくが置いたスマホにちゃんと視線を向けて話を聞いてくれているのは安達(あだち)くん。クラスメイトで高校からの友達だ。
 
 「“こちらこそ生意気なこと言ってすみませんでした。おかげさまで、ちゃんと帰れました!”って」
 「いやなんでお前があやまるんだよ」
 
 画面をスクロールさせて自分が送った返信を読むようにして質問に答えるとすかさずツッコミが飛んでくる。
 昨日お母さんに迎えに来てもらって無事に家に帰った後、電話で助けを呼んだことで再び死んだスマホを充電して次に起動させた時にはすでにこのメッセージが届いていた。そこから返信をしたら“既読”の表示が付くなりすぐに電話がかかってきて、そこでもまた謝ってもらって最終的に仲直りしたわけだけど……。
 
 「話聞く限り桐ケ谷全然悪くねぇじゃん。“ついカッとなって”近くに駅もバス停も何もないところでお前を置き去りにして、戻ってこなかったんだろそいつ?別れちまえそんなの」
 「そんな……ぼくも言い方悪かったところもあるだろうし、今回はお互いさまだよ」
 「お互いさまってお前……っていうか“おかげさまで”って、桐ケ谷助けたのは“通りすがりのバイクの彼”なんだろ?彼氏はお前を置いて行っただけだし」
 「うぅ……」

 そう言われるとぐうの音も出ない。ぼくだってさすがに、昨日は散々な目にあったわけだし彼とは別れた方が良いんじゃないかと迷った。だけどせっかく出来た彼氏とここで別れたら次にいつ素敵な出会いがあるか分からないと思うと、どうしても切り出せなかった。

 「……あっそういえば、こないだ借りてたゲーム持ってきたよ!」
 「誤魔化し方ヘタか。なんか早くね?もうクリアしたのか?」
 「それが、途中でやめちゃって……」
 「はぁ?お前ほんと色々続かないなぁ」
 「へへ……」
 
 彼との今後についてはあまり追及されたくなくてゲームソフトを返すことで半ば無理やり話題を変えたけど別の痛いところを突かれてもう笑うしかない。……そう、ぼくがこんなに恋愛に執着している原因のひとつは、無趣味だっていうのもあると思う。
 このゲームも、安達くんがいつも楽しそうにやっているから興味が出てぼくの家にあるハードで出来て一番やりやすそうなものを貸してもらったけど、チュートリアルが終わったところで『こんな感じかぁ』と満足してやめてしまった。何か趣味にしようと思って色々試すけどどれもしっくりこないし、これといった特技もない。それで言えば、恋愛ほど始めやすくて楽しいものはないと思っている。
 
 ──恋をしてる間は、人生が楽しい。
 ──自分は今恋をしているんだと思うと、趣味も特技もない空っぽなぼくでも漫画の主人公になれたような気持ちになる。

 「──そうだ、借りたといえば、ヘルメット返しに行かなきゃ」
 「うわっ、どこに入れてたんだそんなデカいの」
 
 食べ終わったお弁当箱を片付ける代わりにヘルメットの入った巾着袋を取り出すと、「その鞄四次元ポケットかよ……」と安達くんの呟き声が聞こえる。さて、このヘルメットを貸してくれたあの人を探しに行かなきゃ。同じ学年なのは間違いないんだけど、いかんせんここは一学年約三百人、全校生徒千人近くのマンモス校なのですぐ見つけられるか怪しい。せめてどのクラスかだけでも分かれば良かったんだけど、それもさっぱりだ。

 「──……ねぇ安達くん」
 「ん?」
 「うちの高校でバイクの免許持ってる人って、どれくらいいるのかな?」

 巾着袋を両手に抱えてバイクの彼を探す道すがら、『腹ごなしに』と付いてきてくれた安達くんに聞いてみる。

 「さぁ?この高校って生徒数多いし、原付だったら結構いるんじゃね?」
 「そうだよね……」
 「なに、“バイクの彼”に影響された?」
 「……うん、そんな感じ。やっぱり、取るなら原付かなぁ」
 「──そうだなぁ。原付も良いけど、やっぱり僕のイチオシは普通自動二輪かな」
 「えっ……?──うわぁっ!?」
 
 背後から急にかけられた、それまで話していた安達くんじゃない声にびくぅっ!と身体が跳ね上がる。

 「あっ、あなたは……!」
 「やぁ、昨日ぶりだねぇ。無事に帰って来られたみたいで良かったよ」

 おそるおそる振り返った先で朗らかな笑顔をこちらに向けていたのは──その声と内容からある程度予想は出来ていたけど──まさに今、探していた“バイクの彼”だった。

 「あ、ヘルメット。返しにきてくれたの?」
 「あっ、はい!昨日は本当にありがとうございましたっ」
 
 少しネクタイを緩めてある制服のブレザーに黒縁眼鏡という姿のその人に巾着に入ったままのヘルメットを渡す。学校にいる時とバイクに乗っている時だと随分と雰囲気が違うのに昨日すぐに同じ高校の人だと分かったのは、この綺麗な顔とピシッと伸びた背筋のおかげだろうか。芸能人は変装をしていてもオーラでバレてしまうって聞いたことがあるけど、それと似たようなものなのかな。

 「かさばるのにわざわざありがとう。ごめんね、昨日回収するの忘れて帰っちゃって」
 「いえ……。返すの忘れてたのはぼくもなので……」
 「二人ともうっかりしてたんだね。それで、さっきの話なんだけど」
 「あ、普通自動二輪がイチオシだって……」
 「そうそう」

 ──普通自動二輪。
 
 昨日、彼氏との電話が終わった後自分でちょっと調べてみて、目の前のこの人が持っている免許はたぶんこれだろうとアタリを付けていたものだ。
 
 「お前ら、その話続くなら廊下のど真ん中(そこ)から移動しろ」
 「おっと」
 「あっ、うん!」
 
 ここで安達くんに促されて廊下の端に設置してある水道の脇に寄る。ぼくの返したヘルメットの入った袋を小脇に抱えながら「バイクに乗る目的によっておすすめも変わってくるんだけど……」とその人は切り出す。
 
 「桐ケ谷くんは、どうしてバイクの免許を取ろうと思ったの?」
 「えっと……免許とバイクがあれば自分で帰って来れるから、ですかね。今後デートの時は最初からバイク(それ)で行けば置き去りにされる心配はなくなるかなって」
 「お前、また置いて行かれる前提なのかよ」
 
 ……ここまで答えてから気づいたけど、こんな理由はちゃんとした趣味でバイクに乗っているであろうこの人からすれば浅はかではないだろうか(現にバイクにはあまり詳しくなさそうな安達くんですら若干引いている)。
 
 「それなら、やっぱりおすすめは僕と同じ普通自動二輪かな」

 だけど目の前の彼はそんな事情に唖然とすることも怒ることもなくへらり、と笑うとそう頷いた。

 「原付一種の免許で乗れるバイクは基本は道路の左寄り走行、最高時速三十キロ、三車線以上の道路を右折する時は二段階右折をする──とか特有のルールがあってね。安全に走るためのものではあるんだけど、道路によっては怖い思いをすることもあるんだ」
 「あー確かに。大通りで自分は時速三十キロで走ってるのにそのすぐ横を車がビュンビュン通りまくることもあるってのは怖いし、普通に危ない気もする」
 「ね。原付バイクはちょっとした移動にはすごく便利なんだけどね」
 「でも原付で旅する番組とかあるじゃん?」
 「あれはエンターテイメントだと思って観た方が良いかも」
 
 ──すごいな二人とも。
 ──ぼくなんか同い年の人相手に未だに敬語が抜けないのに……。
 
 初対面なはずなのに普通に会話をする安達くんたちにコミュニケーション能力の違いを痛感しつつ、バイクの彼の話に耳を傾ける。

 「その点、僕が推す普通自動二輪の免許で乗れるバイクは原付といっしょで十六歳から取れるけど普通の車とほぼ同じルールで道路を走れるから長距離の移動も視野に入れてるならそっちがおすすめかなって」
 「なるほど。それならどんな山奥に置き去りにされても最高速度がーとか二段階右折を―とか気にしないでふつうの車と同じように帰って来れるな」
 「なるほどね……って、結局安達くんもぼくが置いて行かれる前提で話してるし!」
 「あはは」

 ぼくと安達くんのやりとりを笑って眺めていたバイクの彼が急に真面目な表情になり人差し指をピッと立てて「でね」、と続ける。

 「僕の考える普通自動二輪免許の最大の良いところはね」
 「……はい?」
 「僕たちみたいな高校生でもかっこいいバイクに乗って走ることが出来るってこと」

 そこまで言ってにへ、と人の良さそうな笑顔に戻った彼に何か重要なことが聞けると思っていたぼくはつい肩を落としたし、安達くんは露骨に「はぁ?」と顔を顰めた。

 「お前そんな理由でバイク乗ってんの?」
 「バイク乗りのきっかけなんてそんなものだって」
 「……でもそれ、ちょっと分かるかも」

 “かっこいい”と聞いて思い出されるのは、写真集の中のような夕焼けを駆け抜ける、ワインレッドのバイクに乗った目の前のこの人。

 「ぼくも昨日、きみがバイクに乗ってるところがかっこいいって思って……それで興味が出たから」

 ぼくと同い年なのにあそこまで自分の運転でやってきて、次の日の学校に間に合うようにまた自分の運転で帰って来たんだ。同じ場所にいても人の運転で行ってそこで置き去りにされて途方に暮れていたぼくとは大違いだと思った。

 「──ぼく、普通自動二輪の免許、やってみるよ。原付の方が取りやすいんだろうけど、きみみたいに自分の運転で、かっこよく帰って来たいから」

 同じ“自分の力で帰って来たい”ってだけなら原付バイクでも出来なくはないみたいだし、家でやってるお店でも配達用に原付バイクを導入しようっていう話がでていたから、原付(そっち)の方が趣味にならなかったとしても無駄にはならないとは思う。だけどバイクに興味を持ったきっかけになった人から話を聞いて、どうせならこの人に近いものを乗ってみたいという気持ちになった。

 「……うん、良いと思う」
 「まぁ、やってみても良いんじゃね?」

 そんなぼくの決意にバイクの彼は目を細めて頷き、安達くんは頑張れよ、と肩をたたいてくれる。

 「ありがとう、頑張るよ!……まずはお母さんとお父さんと説得することから……」
 「ああ、まずは両親(そこ)の許可もらわないとだよな。金も時間もかかるんだろ?」
 「昨日調べた感じ、結構……」

 家でやってるお店の手伝いをすることでもらえるバイト代とこれまでもらったお年玉などを合わせれば免許を取るだけなら一括で払えない額じゃなかったけど、今後のことも考えて貯金は半分は残しておきたい。そうしたら教習所での入校や分割払いの手続きとか、通う時間を作るために手伝いの方の時間の調整など、両親の協力は必要不可欠だろう。お母さんならちゃんと事情を説明すればすぐ許してくれそうだけど、お父さんはなんて言うかな……。
 
 「あと、免許取れたとしてもバイクはどうするんだ?」
 「あ、そっちはね、先月おじいちゃんの家に行った時ガレージに一台置いてあるのを見たことがあるんだ。しばらく乗ってないみたいだったし、免許取れたら自分のバイク買うまで使わせてもらえないか聞いてみようかなって」
 「うん、最初は絶対に何度か倒すから中古のバイクから始めるのが良いと思う」
 「それなら倒したとしても桐ケ谷のじいちゃんが泣くだけだしな」
 「泣かせないように頑張るよ……」
 「桐ケ谷くんバランス感覚良かったしコツさえ掴めばおじいさんもそんなに泣かなくて済むと思うよ」
 「うぅ、やっぱり何回かは泣かせちゃうかな……」
 「ふふ」

 バイクの彼が髪を揺らしながら笑ったところでふ、とその向こうの時計を見ると、お昼休みの終わりまであと五分というところだった。

 「あの、色々教えてくれてありがとうございます。えっと……」
 「──ああ。僕は加賀崎(かがさき) あおい。すぐそこの四組だよ」

 そろそろこの人を教室に返さなければ、と話を切り上げようとしたのは良いけど、ぼくが名前を知らないことを察してくれたんだろう、その人──加賀崎くんは自分から名前を教えてくれた。

 「加賀崎くん……ですね」
 「同い年だしくすぐったいから敬語はいいよ。というか桐ケ谷くん、さっきからちょいちょい敬語外れてるし」
 「ふふ、そうだよね。ぼくは……もう苗字は知ってると思うけど……桐ケ谷そうた。二組だよ」
 「同じく二組の安達」
 「二人ともよろしくね。桐ケ谷くん、またバイクのことで何か分からないことがあったら聞いて」
 「うん、ありがとう!」

 それじゃあ予冷が鳴る前に、とお互いに背を向けて自分たちの教室に戻ろうと──したところで、またぼくは振り返ってすでに小さくなりつつある背中に声をかける。

 「そうだ加賀崎くん──今日はお昼ご飯食べた!?」
 「……お昼ご飯?」

 昨日会った時はバイクから降りた瞬間にその場に蹲ってしまうほど空腹で弱っていたけど、さすがに学校だったらお昼ご飯を食べ忘れることなんてないのかな?そう思ったけどなんとなく顔色が悪そうなことに気が付いて念のために聞いてみる。

 「──ああ、そういえば、売店にパンを買いに行こうと思って教室出たんだった」
 「……え?」
 「途中で桐ケ谷くんたちがバイクの話してたからつい割って入っちゃったけど。いやぁ、二日連続食べ忘れちゃうってなんか面白いねぇ」
 「ぜっ、全然面白くない!!っていうか今日お昼食べ忘れたのはぼくが呼び止めたせいじゃ……!?」
 「おら桐ケ谷、予鈴鳴ったから急げ」
 「ごっ、ごめんなさい加賀崎くんっ、そんなつもりじゃなかったんだ!信じて!!」
 「浮気を弁解する彼女かお前は」

 きーんこーんかーんこーんとどこか間の抜けたチャイムを背に心なしかふらふらしながら教室に入って行く加賀崎くんに出来ることはなく、ぼくはただ安達くんに腕を掴まれて教室に連行されていくのだった。