最終日だ。今日は先生たちが用意してくれた試験を解いてもらうだけだから、もうほとんど僕に仕事はない。
 職員室に寄ってプリントをもらって教室に向かう。
 扉を開けると、敷島が席で眠っている。僕はその前の席に座る。プリントを準備して、敷島を振り返る。
「なあ敷島」
 ぐっすり眠っているようだ。起きる気配はない。
 眠っている敷島の顔は、随分穏やかだ。
 というか、敷島の顔は、実はいつも穏やかだ。にこにこ笑っている。目つきが悪くて金髪だから怖く見えるだけだ。喧嘩ばっかりしてるとか万引きしてるとか警官に楯突いてるとか、全部嘘だって僕は知っている。みんなだって本当にそういうことをしてるとは思っていないんだろう。ただ面白がって話しているだけ。だって、『敷島だから』。
 僕がしたことは誰も噂にしない。
 しちゃいけないってわかってるからだ。だって、『佐原だから』。
 ――それがルールなら、こんなバカな話あるだろうか?
「そのまま起きないで、聞いてくれ」

         *

 ――なんであんなことをした?
 ――金が欲しかったのか? 小遣いなら、ちゃんと渡しているだろう。高校生には十分すぎる額のはずだ。
 ――いいか、小遣いを渡しているのはな、こういうことにならないようになんだ。金に困るとな、人間は愚かな行為に走るんだ。
 ――アルバイトみたいなくだらないこともしなくていいように、勉強だけに集中できる環境を作ってやってるんだ。
 ――それなのに、恥ずかしい。こんな端金のために、あんな、あんな……、一体、何を考えてるんだ。
 ――こんなことをする前に、しっかり何が欲しいのか、なぜ欲しいのか、どういう風に必要なのか、私に説明することができるだろう? そういう風に育てたはずだ。そういう風に育っているはずだ。私がそう育てたんだから。なのになんだ? この仕打ちは。あんな、学校の教師に呼び出されて、真偽を確認されて、哀れみの目で見られた。大恥だ。私がどういう顔で学校を出たかわかっているのか? 
 ――それともお前、私に何か恨みでもあるのか? え? ああ? どうなんだ? ただお前は私に恥をかかせたかったのか? だからこんなことをしたのか?
 ――どうなんだ、どうなんだ、答えろ!

          *

 ――すべて話し終えても、敷島は起きる気配がなかった。
 僕は本当に安心した。僕は窓際のカーテンの向こうにもぐって、鳥が群列で飛ぶのを見ていた。後ろで敷島が動く気配があった。
「……わりぃ、寝てた」
 敷島は伸びをしている。
「敷島」
「ん?」
 敷島はまっすぐ僕を見る。まっすぐ、いつも通りに僕を見ている。
 よかった。本当に聞いてなかったみたいだ。
「さ、試験だ。頑張って合格してね」
 改めて前に座った。
「うん」
 敷島は机から筆箱を出した。シャープペンシルと消しゴムを机の上に出す。
 僕はプリントの一枚目、数学の試験を持って敷島の机の上に裏返して置いた。
 敷島はシャープペンシルを机に置いた。
 あれ、と思うと、その手がゆっくり、答案の上の僕の手に重なった。
 そして彼は僕の手を強く握った。
 敷島はきっと僕をまっすぐ見ているだろう。
 あの目で僕を見つめているだろう。
 僕は顔をあげて敷島のその目を見たかった。でも、できなかった。僕はうつむいて、敷島の手の力強い感触をただ感じていた。
 それでいいんだ。それだけでいい。本当にただ、手を握ってくれればいい。