一歩足を踏み出すたびに、ガラスが割れる音がする。多分、気持ち的には粉々に割れていた。
「……夕夏」
俺はガラスのハートではないんだけど。殴られ続けたらどんなに強い奴でもダメージが蓄積する。ひびが入る。嬉しいことも悲しいことも、大事な奴が関わるだけでその威力は何倍にも膨れ上がるから。

「……智紀?」

こっちに気付いて振り返った彼は、驚いている。けど驚きたいのはこっちだった。
彼の髪や襟元は乱れ、頬には一筋の血が流れている。
「おい……大丈夫か!?」
考えるよりも先に駆け出して、ポケットからハンカチを取り出す。引っかき傷だろうけど、止血の為に彼の頬にハンカチを当てた。夕夏はうんともすんとも言わず、大人しくしている。
部屋の中には争った跡。彼の引っ張られたようなネクタイを結び直し、その手を離した。

「何してたんだ」
「……何もしてない」
「バレる嘘はやめろよ。さっき部屋から出てきた奴とすれ違った。あいつと揉めてたんだろ」

今思うと、彼もかなり服装が乱れていた。夕夏と衝突していたことは容易に想像できる。問題はその原因。
これも、絶対違っててほしいと願いながら……頭には、ひとつ思い当たることがあった。
むしろ、そのひとつしか思いつかない。

「まさかまた、人の恋愛を邪魔しようとしてたのか」

そんな訳ない。そう思ったからこそ口に出した。夕夏を信じてるから、「違う」と言ってほしくて。
なのに、彼は何も答えない。困ったように俺を見上げるだけだった。
「……っ」
怒りとか悲しみとか、混乱とか戸惑いとか、たくさんの感情が一緒くたに頭の中を蹂躙する。
勝手に安心していた。自分と付き合えば、夕夏はもうカップルを引き離すことはやめるんじゃないか、と。
もう大丈夫だって自己完結していたけど、そういえば何にも解決してなかった。今さらそれに気付いて、自分の能天気が許せなくなる。でも何で。

「……何でまだ、他の奴らを苦しめようとすんだよ! もういいだろ、他人のことは!」

自分達だって今は恋人同士なのに、どうして他の同性愛者を潰そうとするのか。素直に疑問だった。怒りの感情が回って彼を後ろのソファに押し倒す。ハンカチが足元に落ちたけど、どうでもよかった。
もう彼しか見えない。

「人の恋愛は邪魔しないって、ここで誓え。でなきゃ俺は、一生お前を許さない……!」