『ノースキャンダルのプロアイドル』
それがファンの間で囁かれる、市倉弥央(いちくらみお)のキャッチコピーだ。

MENTER(メンター)という六人組アイドルグループは、業界内では『売れている』部類に入ると思う。ただ国民的と呼べるほどの知名度もなければ、爆発的人気のメンバーがいるわけでもない。あくまで界隈では売れている、という程度。そのグループのメンバーとして弥央がデビューして、今年で五年。二十一歳の夏を迎えた。

「みーたん今回のビジュえぐかったですっ。ずっとずっと大好きですっ」
「みーたん~!!まじ会えなくて寂しかったああ大好きいいい」
「本物だ…え、ほんとに存在してる…弥央くん尊…」

飛び跳ねる子、固まっちゃう子、泣き出しちゃう子、一息に喋りまくる子……ハイタッチ会は、いまいち手ごたえの感じられないアイドル業のなかでも、貴重な機会だと捉えている。こうして直接ファンの子の反応を見られることは、そう多くはない。弥央は誠心誠意そのすべてに応えようと奮闘していた。もちろん肯定的な反応以外にも、だ。

「あ、大丈夫。唯織にしか触れたくない」
「背伸びてラッキーだよねえ」
「いおのおかげだからね?勘違いしないでよ?」

弥央にあからさまな態度を取るのは、その多くが佐野唯織(さのいおり)のファンだ。最年少でデビューした弥央の次に若い唯織だが、その圧倒的なルックスとプロポーションに加えて、築き上げてきた実績やMC回し、グループへの貢献度でいえば唯織の右に出るものはいない。

その唯織と『シンメ』を組まされている弥央は、唯織のファンからすれば、そこに相応しくない存在なのだ。百八十五センチの長身と並んで、バランスが取れるのが弥央だっただけ。遅く来た成長期にぐんと伸びた弥央の背丈は、唯織とちょうど五センチ差だった。

――いや~わかる。唯織かっこいいし完璧だもん。俺みたいなちんちくりんじゃ全然釣り合ってないこと、自分が一番よくわかってるわ。

「……唯織より俺のがいいって、いつか思わせるね」

けれどこう言うのが『プロアイドル』なのだ。こんな風に言えば、唯織のファンもそれ以上は絡んでこない。それどころか、SNSにそのやり取りを投稿までしてくれるのだから、弥央にとってプラスしかないのだ。それが、弥央の仕事。

――唯織みたいに、正々堂々、王道で勝負できないもんな。どれだけ疎まれたって、あざといって笑われたって、これが俺のやり方だ。

「おい弥央。お前、今日も俺のファンに余計なこと言ってただろ」

――わ、唯織っ!?顔ちけーよ…今日も麗しいな…

「余計なことなんて言ってないし!大体お前のファンこえーんだぞ!!」
「……それは、そうだな。悪い」

――なんだ、珍しく素直?言い方きつかったか…?

「てかもう離れろよ。俺たち『不仲』なんだから」

弥央はそう言い、肩の触れ合う距離に近づいていた唯織を振り切る。唯織もそれを追うことはしない。それが弥央たちの正しい距離なのだ。





ニューアルバム発売記念の全国行脚ハイタッチ会も無事に全日程を終え、MENTERのメンバー六人は、焼肉屋で打ち上げをすることになっていた。……もちろん、仕事で。ファンクラブ会員限定の、お楽しみ動画の撮影を兼ねていた。

会場からそのままロケバスで向かった焼肉屋は、MENTERのデビュー記念に、初めて六人だけでプライベートに訪れた店である。ここは設定ではなく、事実だ。いつの間にか、六人で食事に行くこともなくなった。各々仲の良い先輩や後輩、俳優仲間なんかができて、ここよりも居心地の良い場所を見つけたらしい。

――俺は、ここが一番好きなんだけどな。

向かい合ったメンバーの顔を眺めて、そんなことを思う。一番歳の近い唯織でも三つ年上。最年長でリーダーの壮太とは、八つ離れている。弥央にとってメンバーは、兄のような存在であり、この世界に飛び込んで最初に憧れた存在でもあった。

『弥央はホルモンだめだったよね?』
『あー…うん。あんまり…でも壮ちゃん好きじゃん』
『じゃあ二人前だけ頼もう。弥央は好きなの頼めよ』
『やったー牛タン牛タン』
『あれっ唯織も牛タン…』
『はあ?あれは俺の分。お前の分はお前で頼め?』
『うるせーなあ!わーってるよ!』
『あはは、仲良くしろよ~巨人族め』
『その呼び方やめろ!』『やめて!』

ぎゃははは、とアイドルらしからぬ男たちの笑い声。こういう素っぽい部分は、ファンの子たちも喜んでくれる。弥央と唯織の言い合いも、年下二人をまるで弟のように扱う年上組の対応も、大筋は台本通りだ。しかし弥央がホルモンを好かないことを覚えていた壮太の発言や、弥央と唯織が牛タン被りしたことは、そのときに起きた偶然の産物だった。

――やっぱり楽しい。アイドルでいることもMENTERの一員でいることも、俺にとってはかけがえのない、奇跡みたいな時間だ。なんて、ちょっと大げさかもだけど。

『待って!?弥央が酒飲んでる!!』
『捕まる捕まる』
『はー、ちょっと。俺もう二十一だよ!』
『嘘だろー!?』

こうしてそれっぽく、どこまでが演出でどこからが本音なのか、曖昧なのがウケるのだ。それをわかってて弥央たちは演じている。ファンの子を喜ばせたい。喜んでほしい。自分よりも幸せであってほしい。弥央は、アイドルは自分の天職だと思っていた。





終日オフの今朝方、マネージャーから呼び出されて渋々事務所に着くや否や、事務処理を担当してくれているスタッフが、土下座する勢いで頭を下げた。

「す、す、すみませんっ!!!」

――なっ何事…!?

「弥央、せっかくのオフにごめんな。実はな……部屋が…ないんだ」
「……はあ!?」

――部屋がない!?だって、引越しは来週の予定だったよな…!?

遡ること二か月前、メンバーの一人である遼平のストーカーが逮捕された。熱狂的なファンと報道されていたが、あんなのはファンなんかじゃない。遼平は一年以上それに苦しめられてきたのだ。そしてそのストーカーが逮捕された場所というのが、遼平の住むマンションのエントランス。

基本的に放任主義の事務所だが、さすがにそれには肝を冷やしたようで、セキュリティーを強化した住居に引っ越すよう、所属アイドルたちにお達しが出た。家賃補助もいくらか出る。事務所の筆頭格であるMENTERのメンバーたちには、なかでもセキュリティーに特化したマンションの部屋を与えられることになっていたのだ。

リーダーの壮太以外は、みなそのマンションに引っ越すことになっていた。それも来週だ。
手続きの書類も渡して任せていたと言うのに…一体なにがあったというのだ。

「私が…市倉さんの分の書類を提出できていなかったんです…誠に申し訳ありません…!」
「一度に五人の転居だからな…大森さんには転居しないメンバーがいるとしか情報もなかったから、弥央の分の書類がないことを不思議に思わないのも無理はないんだけど…」
「いや!!頂いた書類を提出すればよかっただけです。私の不手際でしかありません、本当に申し訳ございません…」

弥央は怒りなどは到底なく、ただそれでどうすればいいのだ、ということが頭を占めていた。今住んでいるマンションの退去手続きは、すでに済ませてしまったというのに。

「まあしょうがないっす、もうそれは全然。なんですけど、俺はそれで…来週からどこに住めば…??」

マネージャーが気まずそうに口ごもる。

――え、まさかここ?事務所???ホテルくらい用意してくれるよな??

弥央の嫌な予感は、予想の斜め上をいった。

「……唯織んとこだ」
「え…?ん…!?」

きちっとまとめられた髪の毛をガシガシと引っ掻いて、もう一度覚悟を決めた様子のマネージャーが言った。

「唯織の部屋が一番広いんだよ!な、部屋見つかるまでだから!我慢してくれ!!」

――……はあああ!?唯織と…同居…!?

「無理無理無理無理。てか唯織も無理だろ、俺となんて」

必死で抵抗する弥央。しかし頭ではわかっていた。この結論に至るまでに試行錯誤してくれたのだろうことも、これが苦渋の策だということも。抗っても揺るがない結論なのだろうということもだ。

「唯織はいいって言ってるから。部屋も分けられるしって」
「なっ、まじで…?あいつが…?」

唯織ばかりに事務所内の株を上げられるのは我慢ならない。人当たりの良さでくらいは唯織に勝ちたい弥央は、もう受け入れる以外なかった。

「……わかったよ…」

――信じらんねえ…だって俺たち『不仲』だろ。四六時中アイツと一緒なんて俺……

逸る気持ちに蓋をして、弥央はもう一度引越しの荷物を入念にチェックし、それを厳重に梱包しなおした。





「お、お邪魔します…」
「ん。別にただいまでいいだろ」

――いやいやいや。無理だこれ。無理無理、もたないもたない。

弥央は目のやり場に困り果てていた。幾度となく見てきた唯織の半裸とはいえ、部屋に二人きりでそれを見るのは、落ち着かなくてしょうがない。

引っ越して一週間。お互いに個人仕事の都合があったりで、部屋で顔を合わせるのは今日が初めて。先に帰っていた唯織は「なんか飲むか」などと耳を疑うようなことを言い、冷蔵庫から缶ビールを取ろうとしていた。

「いや、いいよ!それお前のだろ」
「貰い物だしいいよ。それともビール苦手?」

――苦手じゃねーけどさあ…!

「一本だけいいだろ。これから一応一緒に住むんだし」

唯織は手に持った缶ビールを開けて、弥央に差し出した。

「……じゃあ…あ、りがと…?」
「ん。乾杯」

そのとき弥央は、本当に久しぶりに、自分に向けられた唯織の笑顔を見た。あの日からずっと、仏頂面か人を小馬鹿にしたような憎たらしい面しか向けてこなかったくせに。

――なんだよ。今でもそんなふうに笑えんのか。

弥央は帰ったらすぐに部屋に籠ろうと決めていたのに、そんなことがあってついうっかり気が抜けてしまい、リビングのソファーでだらだらとテレビを見ながらもう三本目の缶ビールに手を付けている。

「お前相変わらず図々しいな…いらねえって言ってたくせに」
「誘ってきたのは唯織だろ」
「一本って言ったけど、俺は」

――とかなんとか言って、部屋に戻らないで相手してくれんだよな。本当素直じゃねえ奴。昔から変わんないな。

「……俺ら『不仲』なのにさぁ。晩酌なんかしていいんか?」

弥央はテレビに視線を向けたまま、そう聞く。答えによっては、明日からはまた気を引き締めなければならない。一緒に暮らしていくうえでの距離感を測る問いかけだった。

「…お前が外でペラんなきゃ、別にいいんじゃね」

唯織の表情はわからない。けれど弥央は、そのときの唯織の声がひどく優しく聞こえてしまったのだ。

――…これは絶対、気付かれちゃだめだ。もうずっと前に沈めたんだ。また唯織と普通に話せる、それだけで十分すぎるだろ。

「俺のこと舐めすぎだわ、そんなヘマしねーよ」

――あーあ俺、今のちょっと声上ずってたよな。バレてないといいな。

「唯織は酒なにが好きなの?俺次は買ってきてやるよ!」
「…日本酒、最近好き。でもおこちゃまにはまだ早いだろ?缶ビールで十分だもんな?」
「はあ!?日本酒くらい全然いけるし。この前ドラマの打ち上げで飲んだもん」
「飲んだもん…」
「うざ、やっぱお前うざいわ」

なんだって酒のせいにできる。弥央は自分が大人になったことを今日ほど感謝したことはなかった。声を出して笑った唯織の頭をくしゃくしゃにしたって、宝石みたいにキラキラした瞳を独り占めにしたって、全部明日には酒のせいにできるんだから。

「弥央。お前飲みすぎ。もう寝ろ」
「……ふぁーい」

――髪の毛さらっさら。えぐ……。

弥央はその晩、なかなか寝付くことができなかった。