「うっわ、マジ?」

 あんたすごいね、と付け足すと、由莉は褒められた子どものように嬉しそうに微笑んだ。

「ふふっ。まっ、元学級委員ですし?」はなたかだかに言うと「で、いつなの?」と問い掛ける。

 涼波が峻介からプロポーズを受けたのは、今年の三月。峻介の母に小さな病が見つかった、一ヶ月後のことだった。
 孫の顔が見たい、が口癖になっていた母が突然倒れたことにより、少々焦りを感じていたのかもしれない。何の前触れもなく高級レストランに連れて行かれ、東京の夜景をバックにプロポーズされたのだ。

「うわぁ、本当におめでとうっ」

 由莉は、自分のことのように喜んでいた。

「ありがとう」

「いや、だって……ほら、いろいろあったじゃん?」

「うん、あったね」

 涼波は顔を引き攣らせた。
 忘れ去りたい過去の記憶は、いまでも脳裏にべっとりと貼り付いている。

「──あったけど、辿り着くべき場所に、辿り着いたって感じだよ。挙式も来年の四月にあるからさ、『ぷらねっと』のみんなは呼ぼうかなって思ってて」

「えっ、行きたい!」

 (たかぶ)る由莉の背後で、ガチャリと音がした。
 そして、ゆっくりと開かれる扉を、涼波と由莉は見守る。
 扉の隙間から覗いた顔に、由莉と涼波の口元は緩んだ。

桂木(かつらぎ)くん……!」

 先に口を開いたのは、由莉だった。

「久しぶり」

 灰色のスーツに身を包み、爽やかな笑顔で登場したのは、桂木颯矢(そうや)だ。
 額に浮かんだ汗を、ネイビーのハンカチで抑えながら、由莉の隣の席に腰を下ろした。

「いやぁ、びっくりしたよ。クラス同窓会って聞いてたからさ」

 席に着くなり、颯矢は心底驚いているような、それでいて嬉しそうに頬を緩ませながら、そう言った。

「成海が企画したんだろ?」

「うん」

「それなら、俺に相談してくれても良かったのに。俺ら、相棒じゃん?」

 由莉は、ぽっと赤くなっていた。涼波はその光景を見て、思わず笑みが漏れた。颯矢が現れてから、何やらそわそわして落ち着かない様子の由莉を見ていると、高校生のころの記憶が鮮明に蘇ってきたのだ。
 颯矢は高校一年生のとき、由莉と共に学級委員を務めていた。二人とも真面目だが社交的で、何をするにもクラス全体を巻き込み、引っ張っていた。個性的な者が多かったクラスの中で、いじめや差別がなかったのは、二人の高いリーダーシップによるものだと、涼波は確信していた。
 クラスの仲が深まっていくのに比例して、リーダー同士の信頼も厚くなっていったのだろう。いつしか由莉は颯矢に対して、仄かな恋慕を抱くようになった。付き合いたい、とか、気持ちを伝えたい、というわけではなかったが、自身の思いの丈を、涼波だけには打ち明けていたのだ。
 そして、由莉が颯矢に対して抱いている感情は、高校生のときから大して変わっていないように見えた。

「――てか、福地(ふくち)は本当に久しぶりだよね。卒業以来、会えてなかったし」

 福地――いまや旧姓となった涼波の苗字。
 結婚をして名字が変わってから、職場でも「竹本さん」と呼ばれるようになった。一番好きな人からもらった大切な苗字、待ちに待った結婚ということもあり、公的書類に限らず、職場にも改姓届を提出したのだ。しかし、いざ苗字を変えてしまえば、いままでそこにいたはずの自分が追放されてしまったようで、なんとなく悲しい気持ちになってしまった。
 だから、颯矢から旧姓で呼ばれたとき、涼波は安心感と物懐かしさで胸がいっぱいになった。

「うん。そうだね」

「仕事で大変そうだったもんな。俺らは、二年くらい前までは結構頻繁に会ってたんだけどさ」

「そうそう。三年に上がってからは、みーんな就活で慌ただしくなっちゃって」と、由莉が付け加える。

「あれ、成海は結局どこに就職したの?」

 由莉は少し躊躇いのようなものを見せてから、そっと口を開いた。

「……本屋さん」

「えっ、本屋?」と、颯矢が驚いたように目を見開いた。

 恥ずかしそうに小さく頷いた由莉に、颯矢はさらに質問を投げかける。

「へぇー、いいじゃん。どこ?」

「日本橋の『千巡堂(せんじゅんどう)書店』ってとこ」

「あそこって結構でかいとこだよな? すげぇじゃん!」

「ふふっ、まあね」由莉は照れ臭そうに笑った。「桂木くんはどうなの。夢、叶えた?」

 当たり前だ、と言わんばかりに、颯矢は軽く頷いた。

「小学校の先生やってるよ」

 高校生のころから、散々に聞かされた颯矢の夢。みんなが呆れてしまうほどに宣言していたのには、涼波たちが小学生のころに、一世を風靡(ふうび)した有名なドラマの影響が大きかったという。小学校を舞台にした学園ドラマで、熱血な女性教師が、問題児の集まるクラスと向き合い更生させていく物語だ。颯矢は、そのドラマの主人公に憧れ、小学校教師になることを志したのだ。

「福地は、変わらず?」

「うん、区役所」

「そっか。頑張ってんだな」

 一通り近況報告を終えると、予定時刻の十五分前になっていた。各々、腕時計やスマートフォンで時間を確認する。なかなか現れない他のメンバーたちを気にして、涼波と颯矢は落ち着いていられない様子だった。

「そういえば、今日全員集まるの?」

 涼波が一番聞きたかったことを、颯矢が由莉に質す。

「あぁー……うんっ、たぶん」

「何よ、たぶんって」

 涼波が、疑い深い瞳で由莉を見つめる。
 真面目でしっかり者で、学生時代は学級委員まで務め上げた由莉が、いい加減な返答をしたことが妙に引っかかったのだ。
 再会した瞬間から感じていた、由莉の恐怖心。何に対して怯えているのか、わからなかった。
 しかし、誤魔化すように、へへっ、と笑う由莉を見て、涼波のそれは確信に変わった。
 
 ――由莉は、何か隠している。