車窓に流れてゆく大都会を眺めながら、竹本涼波は、時折スマートフォンの画面に視線を落としていた。
高校の入学式で撮った、クラス写真だ。こんな人いただろうかという人から、懐かしさを感じる人まで、まだその集団に馴染んでいないクラスメイトの表情は、記憶の中のものよりも少しばかり硬い。そこには、警戒心のようなものさえ窺える。
涼波が高校時代の友人と会うのは、四年振りだった。
高校卒業後、大学に進学する者が九割を占める中で、涼波は就職を選択した。特に学びたいこともなく、中学生のころから付き合っていた竣介との結婚も視野に入れての決断だったが、根底は裕福とは言えない家庭にあった。
物心ついたときには、涼波には父親という存在はいなかった。理由は聞いていない。しかし、円満な別れ方ではなかったのだろう、ということは、高校に進学したあたりから察していた。どうやら、養育費というものを受け取っていなかったようで、毎晩ボロボロの家計簿と向き合っては頭を抱える母の姿を、どの兄姉よりも近くで見てきた。
そんな姿を目にしていれば、自立心に拍車がかかるのは当たり前で、貧しい家庭環境に文句を垂れる暇もなく、周りの友人たちよりも一歩早く社会への扉を開いたのだ。
後悔はしていない。
今年の夏、涼波と俊介は籍を入れた。来年の四月には式を挙げる予定になっている。今日のクラス同窓会で、仲の良かった「いつメン」には、その旨を報告するつもりなのだ。
しかし、誰が参加するのか、何をするのか、詳細は不明だ。今日の同窓会の全貌を把握しているのは、案内状を送ってきた成海由莉だけ。グループLINEを作ることもなく、一人一人と個別で連絡を取っているらしい――由莉曰く、連絡先を公表したくない、という人間がいるようで――それであれば、その人にだけ個別で連絡を取ればいい話なのだが、由莉なりの細やかな配慮なのだろう。
『――次は、東京ビックサイトです』
無機質な女性のアナウンスが車内に響き、涼波は落としていた視線をふたたび車窓へと向けた。大きなツインタワーが車窓を覗き、通り過ぎてゆく。
『まもなく、東京ビッグサイト、東京ビッグサイトです。右側のドアが開きます。ご注意ください』
ブーッ、という音の後に、電車のドアが開く。
腰を上げて車内から出ると、もわっとした空気が体にまとわりついた。
「あっつ……」
周囲に聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で呟くと、涼波は改札へと歩き出した。胸の谷間、脇、背中――体は汗でぐっしょりと濡れ、隠しきれない不快感が顔に滲み出る。
駅からホテルまでは、意外と近かった。案内状には徒歩四分と記載があったが、涼波の感覚では二分ほどだった。
ホテルの中へと足を踏み入れると、ひんやりとした空気に迎え入れられる。外と中の気温差で頭がぼうっとする中、ロビーへと足を踏み入れる。
奥まで進んでいくと、中央にある階段の横に、案内板が立てかけられているのが見えた。
「……えっ?」
思わず、声が出た。
いや、見間違いかもしれない。
涼波はおそるおそるその案内板に近づき、何度も瞬きをした。
――【ぷらねっと同窓会 受付:10F】
やはり、間違いない。
エレベーターに乗り込み、十階まで昇る。
かごから降りて左手のほうに進むと【ぷらねっと同窓会 受付】の文字が見えてくる。重厚感のある扉の横に、白いテーブルが設置されてあったが、そこには誰もいなかった。
戸惑いながらも、両開きの扉に手を掛ける。見た目よりも軽かったその扉をゆっくりと開き、中の様子を伺った。
予想していたよりも、その部屋は広くはなかった。しかし、決して狭いというわけではない。白いクロスが掛けられた長テーブルと、等間隔に並べられた八脚の椅子。頭上にはシャンデリアが吊るされているが、窮屈さは微塵もない。
「……涼波?」
――と、突然背後から声が掛かった。
思わず肩が上がったが、振り向いて声の主を確認すると、涼波はほっと胸を撫で下ろした。
「由莉」
高校のころよりだいぶ垢抜けた由莉が、そこには立っていた。
パールのバレッタで横髪を留め、ベージュの花柄刺繍ドレスを身に纏ったその姿は、大人の女性、という感じがした。
由莉は、驚いたような表情で涼波を見つめていたが、やがてふわりと相好を崩した。
「さすが涼波、一番乗りだよ」
「だろうなって思ったよ。『ぷらねっと』なら、なおさらね」
そう言って、微笑み合う。
「それにしても、由莉がこんなサプライズ用意するだなんて、珍しい」
「えっ?」
「とぼけないでよ。案内状にしっかり書いてあったでしょ、一年四組のクラス同窓会だって。でも、いざ来てみたら『ぷらねっと』の集まりなんだもん」
「あぁ……ははっ。本当は苦手なんだけどね、こーゆーの」
「知ってる」
とりあえず座って待とう、と入口から一番近い下座に、由莉は腰を掛けた。
「受付、いなくていいの?」
「あぁ、たぶん大丈夫。さっ、座って座って」
涼波の腕を引っ張り、由莉は半ば強引に椅子に座らせた。
「それにしても本当に久しぶりだね。話したいこと、いっぱいあるの!」
目を輝かせながらそう言った由莉だったが、ふと視線を落とすと、一瞬、呆気に取られたような表情を見せた。しばらくしてから、由莉は涼波の顔を覗き込むようにして視線を戻す。
「――その前に、涼波の話でも聞こうかな」
由莉は、おもむろに涼波の左手を掴んだ。
その薬指にはめられたシルバーの指輪が、シャンデリアに照らされ、眩しすぎるくらいに光っていた。