「──それな!てかさ、昨日これ上がってきたんだけどさ~」
「それ見た!めっちゃおもしろかった~」
 教室に入ればすぐに声が聞こえる。
 朝早くだと言うのによくこんなに大きな声が出るな。
 僕は話しているクラスメイトに対して関心する。
 僕は席に向かうがため息をつく。
 僕の席はないもの同然だった。
 僕の席の後ろはクラス……いや、学年でも一番人気の生徒の席なのだ。
 クラスメイトは登校すれば絶対に彼女の席に行く。
「──……ちょっと、どいてあげなよ。川影(かわかげ)君が座れないよ?」
 僕の席の後ろに座っている彼女──川澄(かわすみ)せらが声を挙げた。
「お、おぉ……すまん、川影」
 クラスメイトは僕に小さく頭を下げた。
 僕は謝ってきたクラスメイトの名前も覚えていない。
 高校三年生の春だというのに、覚えていないとは薄情者だと思われるかもしれない。
 けれど、それでいいと思っている。
 関わってもいいことなんてないのだから。
 僕は名前の通り影のように存在が薄い。
 それでいい。
 下手に誰かと関わって傷つくくらいなら最初から関わらないのが一番だ。
 僕がこんなに人と関わらなくなったのは中学二年生の秋ごろだった。
 僕の父親は仕事ばかり優先するような人であまり話したこともなかった。
 そんな中で母親は一人でずっと僕の世話をしてくれていた。
『──……大好きだよ。海凪人(かなと)は何があってもお母さんが守るから。絶対に、約束だよ──』
 そうやって幼い僕と小指を重ねた。
 その言葉をずっと胸に留めていた僕だったが、中二の秋に部活から帰ると父親ではない男の人と家にいた母親を目撃した。
『母さん……ずっと一緒だって、何があっても守るって約束、どこいったんだよ……』
 僕はその場で泣き崩れた。
 僕が中学に入ってから母さんはおかしくなってしまった。
 長年、父さんが家に帰って来なくて家事も、僕の世話も全て母さん一人が担っていた。
 それに限界が来てしまったのだろう。
 母さんは不倫をしていた。
『は?約束?そんなの知らないわよ。あんたは私の子じゃないから。……一人で頑張ってね?どうせあの人も帰って来ないだろうし』
 そう冷たく言われた。
 それからは学校でも同じ目に遇うのではと怯え、誰とも話せなくなった。
 クラスでは孤立し、いつでも一人で存在していることすら忘れられるほどの人間になっていた。
 母さんは家を出て行き、一人で暮らすことになってしまった。
 父親の連絡先も知らず、頼れる人もいなかった。
 母さんが貯めていたお金を引っ張りだし、なんとか生活をしていた。
 ある日、急に父さんが家に帰って来た。
『……海凪人?大きくなったなぁ』
 そうやって僕に近づく父さん。
『……あんたのせいで母さんはおかしくなったんだよ。わからないのか?』
 僕は父さんに向かってそう言った。
 父さんは申し訳なさそうに僕に謝った。
『謝る相手が違うだろ……もう母さんは戻ってこない……どんなに神に願っても母さんはもう僕に大好きなんて言ってくれないんだよっ』
 僕は俯きながら大泣きした。
 中学生にもなってこんな泣いているとかあり得ないと思いながらも僕はひたすら泣いた。
 父さんのことはどうしても許す気持ちにはなれなかった。
 それは年月が経っても。
 今は父さんと二人暮らしだが、話したりすることはない。
 父さんも生活するために必要なお金を稼ぎに朝早くから会社に行っている。
 父さんもこれからは僕のために生きると言ったが僕はなにも言えなかった。
 どうせ、父さんもその約束を忘れてしまうのだから。
 母さんのように。
 そんなことを考えながら僕は席に座る。
「……いや、この人マジでおもしろいからね!」
「ホント~?じゃあ、今日見てみるわ」
 後ろでクラスメイトの女子の誰かと川澄せらが話していた。
「うん、見てみてね!」
「もちろん。約束だよっ!」
 川澄せらが言った「約束」という言葉が僕の心を(えぐ)った。
 約束なんてすぐに破られるのに。
 なんでそんな約束をしてしまうのだろう。
 あとで痛い目見るのは自分だというのに。
 そんなことは仲良くもない本人には言わない。
 というか、仲良くても言うことはないだろう。
 そんなことを思いながら授業はあっという間に終わった。
 家に帰ると電気がついていた。
 僕は憂鬱な気分になり、大きなため息をつく。
「ただいま……」
 僕はボソッと呟く。
「……海凪人。学校はどうだったか?」
 父さんに聞かれるが答える気力も起きない。
「別に」
 僕はその三文字で会話を終わらせようとした。
 きっと、傍から見れば親に対してなんていう態度を取るんだと怒られるかもしれない。
 僕はそう言われてもいい。
 時間が経っても帰って来なかった父さんをどうしても許せないのだ。
 そして、あの時おかしくなってしまった母さんを助けられなかった過去の僕が一番許せない。
 僕は二階にある自分の部屋に向かう。
 部屋に入るとバタンと扉を閉めて、ベッドにダイブする。
 いつか、学校が楽しいと言える日が来るだろうか。
 僕はどちらでもいいが楽しいと言えた方がきっといいのだろう。
 父さんが家にいるとどうしても落ち着かない。
 家にいるのに家にいないという変な感覚に陥る。
 僕は一階に降りて、玄関に向かう。
「海凪人、どこに行くんだ?もう夜だぞ?」
「……散歩」
 父さんの言葉に短く返事をして、家を出る。
 しばらく歩き続ける。
「──……川影君?」
 どこか聞きなじみのある声。
「やっほー!」
 そう言って僕に話しかけた──川澄さんは駆け寄って来た。
 僕はなんとなく気まずさを覚えていた。
 だって、話したこともまともにないのに急に話しかけられたら反応に困る。
「……なにか言ってよー!私ばっかり話してるじゃん」
 川澄さんにそう言われるが話す話題もない。
「じゃあ、逆に私が話すね。川影君はどうしてここにいるの?」
 川澄さんにそう聞かれ、ボソッと小さく呟いた。
「……散歩」
 僕がそう言うと川澄さんは目を見開いた。
「こんな時間に?……って、私も同じようなものだけどね」
「……こんな時間に一人なの?」
「ん?そうだよ?逆にこの時間に大人数でいたら近所迷惑じゃない?」
 川澄さんは当たり前だとでも言いそうな顔をしていた。
「確かに……でも、こんな時間に外に出てても親御さんは心配しないの?」
「心配してたよ?でも、せっかく星空が綺麗に見えるから、ね?」
 川澄さんは夜空を指さした。
「今日は雲一つなくて、綺麗に星が見える。あ、見て!あれスピカじゃない?」
 僕にはさっぱりわからなかったが、川澄さんは楽しそうだった。
 この人は根本から僕とは正反対なのだ。
「川影君も一緒に見ようよ!」
「なんで、僕といても楽しいことないよ。僕と見るくらいなら八瀬(やせ)さんといた方がいいでしょ?」
 八瀬さんというのは川澄さんと仲が良い女子だ。
輝紗良(きさら)のこと知ってるんだ!川影君、誰かと話してるところ見たことないから他人の友好関係とか知らないかと思ってた」
 八瀬輝紗良、彼女はクラスでも明るく人気者だ。
 僕は関わったことが高校生活三年目なのにないのだ。  
「……他人にも自分にも興味ない」
「なんで?」
 川澄せらという人間は厄介なものだ。
「川澄さんには関係ないよ」
 僕は川澄さんを突き放した。
「関係ないかもしれないけど、クラスメイトだし少しは関わりたいじゃん!」
 彼女の発想は僕にはわからないものだらけだ。
「クラスメイトだからって関わる義務なんてどこにもないでしょ」
 僕がそう言うと、川澄さんは悲しそうな顔をしていた。
 確かに今の僕の言い方はきつかったかもしれないが、正論を言ったと思っている。
 クラスメイトだからって関わらなければいけない訳ではない。
 僕だって必要最低限のことはしているつもりだ。
 ペアワークのものはちゃんとするし、クラス一丸となるものもきちんと参加する。
 ただ、それ以上の関りはなくてもいいと僕は思っている。
 それは僕の意見であって他人に押し付けることでもない。
「高校最後の一年なんだからみんなと仲良くなりたいじゃん!」
「意味わかんない。全員と仲良くなる必要なんてないでしょ。高校を卒業して連絡する人なんてどんどん少なくなっていくのに」
「……川影君ってホントによくわからない」
 わからなくて結構だと僕は心の中で思った。
 やっぱり、川澄せらが一番苦手な人間だ。



 翌日、学校に登校すればすでに川澄さんの席の周りにはたくさんの人がいた。
 僕は今日、寝坊しチャイムギリギリで学校についた。
 僕が席に近づくと同時にチャイムが鳴った。
 川澄さんの席の周りにいた人たちは自分の席に戻って行った。
「あの、川影君。昨日はごめんっ。ついカッとなっちゃって」
 川澄さんは小声で僕に謝った。
「い、いや。僕の方が悪いよ、川澄さんの気持ち考えてなかったし」
 僕は川澄さんに頭を下げた。