その後、楽采はふと思い出したかのように、入学式の放課後に図書室で楽譜を書いていたとき、吹奏楽部に誘われたという話をし始めた。楽采はそのまま音楽室に連れて行かれ、三羽部長に無理やり入部届を書かされたという。
 「今度は大丈夫だから」と言われ、俺も入った吹奏楽部は、部員がわずか4人しかおらず、そのうち1人は中学生という少し変わったメンバー構成だった。しかし、耳が聞こえない俺のことも、みんな心よく受け入れてくれた。申し訳ない気持ちはあったものの、誰も「迷惑」とは言わず、ようやく安心してピアノに夢中になれた。まるで、自分の居場所ができたような気がした。
 そんな中、楓音の声をもっと近くで聞きたいという気持ちが次第に強くなっていった。しかし、付き合うことで彼女の声だけしか聞こえないという事実が、いずれ迷惑をかけるだろうという不安が頭をよぎった。それでも、その欲求を抑えることはできなかった。
 無意識に楓音を目で追い、壁の陰から彼女を見つめる自分に気づいたとき、まるでストーカーのようだと思った。しかし、それでも彼女の声にすがりつくように近づこうとしていた。だが、不意に話しかけたら怪しまれるかもしれないと思い、思いとどまった。自分の弱さを痛感した瞬間だった。
 この時から、楓音に近づくときには補聴器を隠し、彼女の声だけが聞こえていることを秘密にしようと決意した。同じ部活の未弦先輩と楓音がよく話している姿を見て、筆談を通じて二人がどんな話をしているのかを探った。すると、すぐに俺が楓音に恋心を抱いていることが未弦先輩にばれてしまった。涙を浮かべながら、未弦先輩はこう頼んできた。
「お願い、楓音を助けてあげて。どうしても彼女の心に踏み込めなくて……なんか避け気味だし、話しかけても作り笑いばかりなの。絶対に何かがおかしいの。でも、踏み込んだら彼女を傷つけちゃうかもしれないから怖いの。うちがアシストするから、お願い」
 俺は迷いなく頷いた。楓音が避けているのは明らかで、未弦先輩の涙を見て、助けなければならないと感じたからだ。
 ただし、楓音の声だけが聞こえることは伝えなかった。楓音の「母さんは遠くへ行った」という嘘を信じている未弦先輩に、幽霊からもらった手紙の話をしても信じてもらえないだろうと思ったからだ。
 その後、未弦先輩は楓音のクラスメイトから彼女の様子を探り出し、教室での孤立した状況を教えてくれた。気づけば俺は未弦先輩の愚痴の聞き役になっていた。楓音に関する話がほとんどだったからだ。
 それによると、楓音は誰からも話しかけられず、クラスでまるで空気のように扱われているらしい。