峻が次に目を覚ましたのは、病院のベッドの上だった。体の痛みはなく、薄らと開けた視界には沢山の管が見えた。
(俺、助かったんだ)
 白いカーテンで囲われたこの空間は、遠くに人の気配を感じつつもとても静かだった。
 愛琉の様子が知りたいと思った。咄嗟に峻を庇い、逃げられたかどうかさえ確認できないまま意識を失ったのだ。
(俺がぼーっとしてたから……愛琉が……)
 悔やんでも悔やみきれない。ここが個室かどうかも分からないが、愛琉と同室にしてもらえるか訊ねてみようと考える。
 体はやはり動かなかった。
 冷静になってあの状況を思い出すと、多分、一台の車が暴走して歩道に突っ込んできた。その車は最終的に峻に激突して停止した。意識を失う直前に重いと感じたのは、きっと車の重みだと考えられる。
 よく生きていられたものだと自分に感心していると、看護師がカーテンを開いて入ってきた。
「あれ? 深瀬さん?」
 目が虚に開いている峻の顔を覗き込む。視線だけその人に向けると、「良かった」と呟き担当医を呼んだ。

「深瀬さん、僕の声が聞こえていますか?」
 中年の男性医師が峻に呼びかける。声は出なかったので、小さく頷いて返す。
「良かった」と、看護師と同じように呟き胸を撫で下ろした後、「西条です」と簡単に自己紹介をした。
「一週間、目が覚めなかったんですよ」
 西条の隣から看護師が言う。そんなに時間が経っているとは峻も驚いた。
 西条は事故の状況を説明してくれた。あの日、アクセルとブレーキを踏み間違えた車が暴走し、多くの負傷者がこの病院にも運び込まれた。全国ニュースになるほどの大きな事故で、峻の記憶の通り、自分に突っ込んで車が停止した。それだけに負傷が酷く、一命を取り留めたのは奇跡だとため息まじりに話す。
 今、痛みがないのは痛み止めを投与しているからだと教えてくれた。
 愛琉のことを訊きたいが、何せ声が出ない。脳と体の機能が断裂でもしているような気持ちになる。
 西条と看護師は定期的に様子を伺いにくると言うと、立ち上がる。
 すると、その後ろに別の男性がこちらを覗いているのに気付いた。顔色が悪く、無表情で痩身のその男性は、西条と看護師と共に出ていった。
(なんだったのだろう。部屋を間違えたのかな)
 しっかりと目が合ったことから幻視とは思えない。とはいえ、それ以上は考えても仕方ないので深く追求はしなかった。
 
 峻は目覚めてから著しい回復を見せた。両親も仕事の都合をつけて翌日から数日泊まりがけで来てくれたし、リハビリが始まってから、状況を見て地元の病院に移りましょうとも言ってくれた。
 声も徐々に出せるようになり、両親が一旦帰る頃には「ごめんね」と謝ることができた。母は涙ぐみ、「生きてて良かった」と漏らした。
 母も父も、不自然なほど愛琉の名前を出さなかったことだけが気がかりだった。家にだってしょっちゅう遊びに来ていたし、特に母は交流もあった。なのに、峻を気遣っているかのように愛琉の話題を避けるなど、嫌な予感しかしない。
 峻は西条の回診の際、思い切って自分から訊いてみる。
「先生、愛琉、どこ?」
 まだ単語を繋げてしか喋れないが、西条には峻の言いたいことがちゃんと伝わったようで、西条は目を伏せた。
「いつ言おうか、悩んでたんだけどね。深瀬くんのお友達の氷室愛琉くんは、即死が確認されてるんだ」
「めぐる……うそ……」
 愛琉がこの世にいないなんて信じられない。西条に詰め寄りたいが、体がまだ思ように動かなくて仰向けに寝たまま涙を流すしかできなかった。
(嘘だろ。愛琉が、愛琉が……もう、いないなんて)
 信じたくない。峻の中で、愛琉は今でも生きている。しっかりと、顔も声も仕草も思い出せる。気配だって感じる。
『即死でした』
 西条が放ったその一言が、ぐるぐると頭を支配する。
「め……ぐる……」
 なんで、俺を置いていったんだ……そう言いそうになって思いとどまった。
 愛琉は、峻を助けるためにあの時突き飛ばしたのだ。もしもそれをしていなければ、きっと峻もこの世からいなくなっていた可能性が高い。
(でも、自分を犠牲にしてまで……)
 この日、峻は眠れなかった。こんなことなら、振られても告白すれば良かった。
 ずっと一緒にいられるのが前提で、峻は本心を隠し通してきたのだ。なのに、肝心の愛琉が側にいないのなら意味はない。
 消化しきれない想いが、峻の心を掻き乱した。