愛琉の瞳から大粒の涙が零れ落ちた。しかしその雫は、ベッドのシーツも峻の服も濡らさないうちに幻想のように消えていく。
『もっと二人で色んなことがしたかった。遊びに行ったり、クリスマスとか、正月も一緒に過ごしたかった。大学生になったら車で遠出したり、あわよくば一緒に住んだりしたかった』
「俺も自分の気持ちを諦めずに、ちゃんと告白すれば良かった。友達で良いなんて本当は思ってもないくせに。自信がなくて、嫌われるのが怖くて踏み出せなかった。誰よりも近くにいるのに、ずっと距離を置いてた。ごめん、ごめん……愛琉」
お互いを慰め合い、己の臆病さを責めた。触れられる、ずっと一緒にいられる。なのに、二人の間には絶対に越えられない壁がある。それでも愛琉は峻に生きてて欲しいと言った。
『俺は峻への未練だけで存在していられる。峻まで死んじゃったら、行き場所を見失っちゃうからさ』
峻は大きく頷き返す。
「その代わり、絶対ここにいてよ。勝手に消えたら許さないから。寝ても覚めても、俺から離れないで」
『約束する』
愛琉が小指を立てて差し出す。無機質なそれに、峻も小指を絡めた。
「……ねぇ、愛琉。もう一度、リベンジしない?」
『何の?』
「旅行。あの旅行の続きを二人でしないか?」
『またあの場所に行くっていうのか、峻』
峻は力強く頷いた。
「退院してから旅館に連絡したら、事故のこと知ってくれてて。大変だったからって、宿泊費全額返してくれたんだ。それで、お礼も兼ねて一度は行きたいって思ってた」
『でも……峻は、平気なの?』
「事故現場には近寄れないけど、でもあのまま終わる方がもっと嫌だ。折角、愛琉との初めての旅だったしさ。思い出が事故だけなんて、悲しすぎるよ」
『そうだけど……。峻のおばさんが許してくれるかな』
「説得する。勿論、今すぐってわけじゃない。受験が終わる頃には、俺の体ももっと動けるようになってるはずだし。もう愛琉との何もかも諦めたくないんだ」
『峻……。よし、行こう。もう一度』
「愛琉!! ありがとう」
愛琉はこのままずっと峻の家に居座ると言った。同棲みたいだと、峻も喜んで了承した。
離れていた数ヶ月を埋めるように、沢山の話をした。
「でもさ、人前では話しかけないようにくれぐれも注意してよ? 愛琉の声は誰にも聞こえないけど、俺は怪しい人になっちゃうからさ」
『分かってるよ。そのくらい弁えるって』
翌日から学校にも復帰する。
久しぶりすぎて緊張するが、茅冬が同じクラスで良かったと思った。きっと茅冬なら、峻を一人にしないだろう。
そうして迎えた翌日、茅冬は正門前で峻が来るのを待っていてくれた。
「おはよう。峻さ、明日からもう少し早く来たほうが良いぜ?」
「え、なんで?」
「あの大事故の後、騒然となっててさ。教室に行けばきっと囲まれる」
「そう……だよな。考えてなかった」
「ま、俺が一緒にいるから。テキトーに蹴散らしてやるよ」
「優しいな、茅冬は」
茅冬は照れ臭そうにそっぽを向く。
愛琉は隣でぶつぶつ文句を言い続けている。
『俺がいれば、守ってやれるのに』
『おい、それ以上峻に近寄るな』
『茅冬ってもしかして峻のこと狙ってね?』
自分にしか聞こえてないとは分かっていても、良い加減、我慢の限界を超えた峻はさりげなく愛琉の指を引っ張った。
『ん? どうした?』
「静かにしてて」
ヒソヒソ声で注意する。愛琉は学校で話しかけてくれたのが嬉しいようで、しつこく聞こえないふりをした。
「いい加減、怒るよ?」
つい普通の音量で話してしまい、クラスで注目を浴びてしまった。
「え、あ……これは……」
気付けば周りに人だかりが出来ていて、茅冬が軽く遇らっているところだった。
「ほら、峻だって静かに過ごしたいに決まってるだろ。大勢で押し寄せるなよ」
「そうだね。ごめんね、深瀬君」
「大丈夫。こっちこそ、ごめんね。急に大きな声出して」
「ううん。無事で良かった。何か困ったことあったら言ってね」
「ありがとう」
クラスメイトがそれぞれの席へと離れて行く。
「ったく、こうなると思ったよ。ま、みんな心配してたからな」
「うん……」
茅冬と並んで座る。
峻でさえ、奇跡的に命を取り留めた。クラスメイトが一人亡くなったという衝撃は相当なものだ。当の本人がここで呑気に峻に向かって手を合わせて謝っているなど、誰が思うだろうか。
(帰ったら、説教だな)
タイミング的に助かったものの、これ以上は誤魔化せないと愛琉に視線で訴えた。
『ごめん、黙って過ごしますから。峻さま、怒らないで』
調子が良いのも生前と変わらない。人の魂は100までどころか、死後まで続く。ふぅっとため息を零すと、茅冬がすかさず体調を気遣ってくれた。
「まだ復帰したばっかなんだから、無理すんなよ」
「本当、大丈夫だから。それより頑張って勉強の遅れを取り戻さないと。受験も余裕だなって言いながら旅行したのに、今じゃ体調より受験の焦りの方が大きいよ」
「ノート、貸してやるよ」
「何から何までサンキューな」
「一緒に卒業したいじゃん」
峻の額を指で突く。
「あのさ、春休みになったら、俺もう一回旅行してくる」
殆ど独り言のような言葉に、茅冬は顔色を変えて峻を見た。
「……行くなよ」
予想外の言葉に、峻は呆然としてしまった。
『もっと二人で色んなことがしたかった。遊びに行ったり、クリスマスとか、正月も一緒に過ごしたかった。大学生になったら車で遠出したり、あわよくば一緒に住んだりしたかった』
「俺も自分の気持ちを諦めずに、ちゃんと告白すれば良かった。友達で良いなんて本当は思ってもないくせに。自信がなくて、嫌われるのが怖くて踏み出せなかった。誰よりも近くにいるのに、ずっと距離を置いてた。ごめん、ごめん……愛琉」
お互いを慰め合い、己の臆病さを責めた。触れられる、ずっと一緒にいられる。なのに、二人の間には絶対に越えられない壁がある。それでも愛琉は峻に生きてて欲しいと言った。
『俺は峻への未練だけで存在していられる。峻まで死んじゃったら、行き場所を見失っちゃうからさ』
峻は大きく頷き返す。
「その代わり、絶対ここにいてよ。勝手に消えたら許さないから。寝ても覚めても、俺から離れないで」
『約束する』
愛琉が小指を立てて差し出す。無機質なそれに、峻も小指を絡めた。
「……ねぇ、愛琉。もう一度、リベンジしない?」
『何の?』
「旅行。あの旅行の続きを二人でしないか?」
『またあの場所に行くっていうのか、峻』
峻は力強く頷いた。
「退院してから旅館に連絡したら、事故のこと知ってくれてて。大変だったからって、宿泊費全額返してくれたんだ。それで、お礼も兼ねて一度は行きたいって思ってた」
『でも……峻は、平気なの?』
「事故現場には近寄れないけど、でもあのまま終わる方がもっと嫌だ。折角、愛琉との初めての旅だったしさ。思い出が事故だけなんて、悲しすぎるよ」
『そうだけど……。峻のおばさんが許してくれるかな』
「説得する。勿論、今すぐってわけじゃない。受験が終わる頃には、俺の体ももっと動けるようになってるはずだし。もう愛琉との何もかも諦めたくないんだ」
『峻……。よし、行こう。もう一度』
「愛琉!! ありがとう」
愛琉はこのままずっと峻の家に居座ると言った。同棲みたいだと、峻も喜んで了承した。
離れていた数ヶ月を埋めるように、沢山の話をした。
「でもさ、人前では話しかけないようにくれぐれも注意してよ? 愛琉の声は誰にも聞こえないけど、俺は怪しい人になっちゃうからさ」
『分かってるよ。そのくらい弁えるって』
翌日から学校にも復帰する。
久しぶりすぎて緊張するが、茅冬が同じクラスで良かったと思った。きっと茅冬なら、峻を一人にしないだろう。
そうして迎えた翌日、茅冬は正門前で峻が来るのを待っていてくれた。
「おはよう。峻さ、明日からもう少し早く来たほうが良いぜ?」
「え、なんで?」
「あの大事故の後、騒然となっててさ。教室に行けばきっと囲まれる」
「そう……だよな。考えてなかった」
「ま、俺が一緒にいるから。テキトーに蹴散らしてやるよ」
「優しいな、茅冬は」
茅冬は照れ臭そうにそっぽを向く。
愛琉は隣でぶつぶつ文句を言い続けている。
『俺がいれば、守ってやれるのに』
『おい、それ以上峻に近寄るな』
『茅冬ってもしかして峻のこと狙ってね?』
自分にしか聞こえてないとは分かっていても、良い加減、我慢の限界を超えた峻はさりげなく愛琉の指を引っ張った。
『ん? どうした?』
「静かにしてて」
ヒソヒソ声で注意する。愛琉は学校で話しかけてくれたのが嬉しいようで、しつこく聞こえないふりをした。
「いい加減、怒るよ?」
つい普通の音量で話してしまい、クラスで注目を浴びてしまった。
「え、あ……これは……」
気付けば周りに人だかりが出来ていて、茅冬が軽く遇らっているところだった。
「ほら、峻だって静かに過ごしたいに決まってるだろ。大勢で押し寄せるなよ」
「そうだね。ごめんね、深瀬君」
「大丈夫。こっちこそ、ごめんね。急に大きな声出して」
「ううん。無事で良かった。何か困ったことあったら言ってね」
「ありがとう」
クラスメイトがそれぞれの席へと離れて行く。
「ったく、こうなると思ったよ。ま、みんな心配してたからな」
「うん……」
茅冬と並んで座る。
峻でさえ、奇跡的に命を取り留めた。クラスメイトが一人亡くなったという衝撃は相当なものだ。当の本人がここで呑気に峻に向かって手を合わせて謝っているなど、誰が思うだろうか。
(帰ったら、説教だな)
タイミング的に助かったものの、これ以上は誤魔化せないと愛琉に視線で訴えた。
『ごめん、黙って過ごしますから。峻さま、怒らないで』
調子が良いのも生前と変わらない。人の魂は100までどころか、死後まで続く。ふぅっとため息を零すと、茅冬がすかさず体調を気遣ってくれた。
「まだ復帰したばっかなんだから、無理すんなよ」
「本当、大丈夫だから。それより頑張って勉強の遅れを取り戻さないと。受験も余裕だなって言いながら旅行したのに、今じゃ体調より受験の焦りの方が大きいよ」
「ノート、貸してやるよ」
「何から何までサンキューな」
「一緒に卒業したいじゃん」
峻の額を指で突く。
「あのさ、春休みになったら、俺もう一回旅行してくる」
殆ど独り言のような言葉に、茅冬は顔色を変えて峻を見た。
「……行くなよ」
予想外の言葉に、峻は呆然としてしまった。