夏休みに旅行しようと言い出したのは氷室愛琉(ひむろめぐる)だった。
「俺ら受験生なのに?」
(しゅん)、旅行なんて言ってもたったの数日じゃん。高校最後の年に、思い出が受験勉強だけなんて虚しいだろ? 思いっきり楽しんで、そんでまた大学受験に合格したら、また二人で旅行しようぜ」
「いいね、それ」
 日焼けした肌に真っ白の歯を見せて愛琉が笑う。
 深瀬峻(ふかせしゅん)はこの笑顔に弱い。誰よりも近くで愛琉の笑う顔を見ていたいと、密かに思っている。

 打ち明けられない気持ちを自覚したのは高校二年生の頃だが、振り返ってみれば、もっと前から愛琉に惹かれていた。
 時々、無性に本音を話したくなる。「好きだ」と。恋愛の意味で「好きなんだ」と。どうにかこの感情を飲み込めているのは、親友というポジションが一番彼との距離が近いと知っているからだ。
「じゃあ、バイトの日数もうちょっと増やす?」
「そうだな、夏休みまでは問題ないっしょ。今の時点でお互い合格ラインは余裕で超えてるしな。せっかくなら遠出したいし、早速今日、店長に掛け合ってみようぜ」
 高校生に上がると同時に、峻も愛琉もテニス部を辞めた。峻はともかく愛琉は素質があったのに……と嗜めたことがあるが、愛琉は峻の意見を拒止し二人で一緒に過ごす時間を取った。
「峻がテニスやらないなら、俺もやらねぇ」
 その一言が嬉しくて、それ以上は何も言えなかった。
 テニスの代わりに、二人は同じカラオケ店でバイトをするようになる。シフトもなるべく被るように入れてもらった。
 どちらか一方がそう仕向けたのではなく、お互いがそれを望んでしていた。
 ただ愛琉は親友と一緒にいたいからであり、そこに他意はなく、恋情など微塵もないことは峻も弁えている。
 愛琉は中学の頃から女子にモテていて、何人かと付き合っていたこともあった。
 彼は正真正銘のストレートなのだ。
 自爆の道を選ぶような野暮な真似はしない。

「なぁ、峻は旅行どこ行きたい?」
「俺はねぇ……関西方面行ってみたいかも」
「いいね。なら一泊は確実だな」
「俺らの稼ぎによっては二泊出来るかも」
「まだ五月だ。夢じゃねぇよ」
 学校でもどこでも、二人の会話のネタは夏休みの旅行になった。ネットや本でいろんな場所を調べるだけでも楽しい。
 旅行の間は確実に愛琉と二人きりだし、二十四時間一緒にいられる。峻が浮かれないはずはない。

「お前ら、最近二人で何話してんの?」
 とある日、教室でいつものように愛琉と旅行の計画を立てているところに話しかけてきたのは、クラスメイトの志門茅冬(しもんちふゆ)だった。
「夏休みにさ、愛琉と二人で旅行しようって話になってて、それの計画」
「ほぇ〜、おたくら本当に仲良しだね。カップルよりカップルじゃん」
「意味わかんないよ、それ」
「君たち、僕も誘ってくれてもいいんだよ?」
 茅冬が冗談まじりに言うと、すかさず愛琉が「誘わねぇよ」とツッコミを入れた。
 そして「俺と峻のラブラブ旅行の邪魔すんな」とニヤリと笑いながら峻の肩を抱いたが、茅冬もこんな二人に動じることもなかった。
「はいはい、分かりましたよぉーだ。その代わり、僕に知られたからにはお土産を買ってきなさい」
「最初からそれが目当てだろ」
 友人の揶揄いにも動じないのは愛琉くらいだ。それどころか冗談で返す心の余裕すら感じる。それに引き換え、峻はカップルという言葉に過敏に反応してしまい言葉が出なくなる。お互いに対する意識の違いはこんなところにも現れ、ラブラブという言葉に嬉しいような、悲しいような、複雑な気持ちが交錯する。
 こんな時、峻は大袈裟なほどの笑顔で乗り切るのが癖になっていた。

 旅行の計画は順調に決まっていく。毎年、お祭りに行くたびに浴衣を着たいと言いながら実行できていなかったこともあり、浴衣をレンタルして散策しつつカフェ巡りや神社に行こうという話でまとまっていった。
 二泊の夢は叶わなかったが、豪華な温泉旅館に宿泊予約をした。
「やばい、楽しみすぎる」
「俺も。まぁ、愛琉と一緒ならどこで何しても楽しいけどさ」
「かわいいこと言ってくれるじゃん。俺も同じように思ってるけど。いっぱい思い出作ろうな」
 テンション高々に肩を組む。峻にだけパーソナルスペースが狭いのは、本人は気付いていないような気がする。
 
 夏休みを目前に控え、愛琉は違うクラスの女子から告白をされたが断った。
 優越感を胸に、夏休みが始まる。