「確かにあの日、触ろうと思えば触れたでしょうね。でも、あなた、青木サンが部屋にきたとき、彼女のファンが創作仲間にいて、『飲みの席でめちゃくちゃ自慢してるヤツがいて〜』って言ってたわよね?」
 宵町に指摘され、ハッとした顔をする田島。
「あ、はい、飲みとかは……よくやります……」
「だったら、その飲みの席から流出した可能性だってあるじゃない。打ち明けてないだけで、あなたの創作仲間の中に、受賞候補者と繋がってる人物だっているかもしれないし、ただ携帯に触れるチャンスがあったからってアタシを犯人扱いするには説得力に欠けると思うけど」
「い、言われてみれば、それもそうかも……」
 途中までは、どこかの名探偵のようにキレッキレな推理だと思って聞いていた愛莉だが、やはり最後は田島らしい終わり方だった。肝心なところで弱腰になっている。
 しおしおと気勢を殺がれる田島を見て、宵町は再び当てつけるような大きなため息を吐き、しばし逡巡する。
 シン、とする室内。
 口を挟めないまま愛莉が黙していると、やがて宵町がぽつんと呟いた。
「あなた達には永遠にわからないでしょうね。人を殺したことがある人間の気持ち……」
 冷え切った寂しい声色に、愛莉は動揺して宵町を見る。
「ちょ、ちょっと待ってください宵町さん。そ、それじゃあ告発文にあった『親を殺した』っていうのは……事実、なんですか?」
 虚ろな目をして何もない空間を見つめている宵町に、おそるおそる尋ねる愛莉。
 視線をゆっくりと愛莉に向けた宵町は、静かに頷いた。
「アタシが殺した。それは間違いない」
 愛莉は目を瞠る。彼女の表情に嘘はない、そう言い切れるぐらい、もの寂しげな目だった。
「な、なんで……」
「ただ、前科はついてない。事故だったのよ、本当は」
 ごくり、と喉を鳴らす。
 田島も動揺するように宵町を見ており、告白している宵町だけが、淡々とした表情をしていた。
「え、それはどういう……」
「アタシね、中学の時、実の母親に殺されかけたの。まあ、絵に描いたような毒親だったから、それまでに何度も、理不尽な理由で殺されかけるようなことはあったんだけどさ。事故があったその日も、男にフラれただかなんだかで酔っ払ってた親に、マンションの屋上に連れて行かれて、『アンタがいるからうまく行かない飛び降りて死ね』って言われて、揉み合いになって……」
 宵町はあくまで淡々と、事実を紡いでいく。だが愛莉は、あまりにも凄惨な事実に、聞いているだけで息が苦しくなってくるようだった。
 もちろん田島も。まさかそんな過去があっただなんて思いもしていなかったのだろう、唖然としたように耳を傾けている。
「んで、逃げようと必死になって揉み合ってるうちにどんどんヒートアップして、殺らなきゃ殺られると思って、アタシの方が親を突き落としてたんだよね。結局、事故ってことでその件は片付けられたけど……今でもあの人を突き落とした時の感触が、両手に残ってる」
「宵町さん……」
「嘘だと思うなら別に信じなくてもいい。警察は事故だと結論づけたけど、アタシからしてみれば殺人も同然だしね。あの日からずっと心は闇の中。罪悪感を抱えたままなんとか生きてきたけど、たまにどうしようもなくこの闇を吐き出したくなることがあって。そこで出会ったのが創作の世界。創作の世界でなら、何を書いたって許されるでしょう?」
 力なく口元を緩める宵町。彼女の表情から、『創作の世界』がよほど救いになっていたのであろうことがひしひしと伝わってくる。
「だから、アタシにとっても『創作』は、特別なものだった。唯一、自分が安らげる避難所。田島は『創作』が、結果を残すための場所だから意欲がないのはおかしいみたいに言ってたけど、アタシにとってはそうじゃない。辛い時の『避難所』なのに、過去の罪が常に追いかけてきて、怯えて過ごさなきゃいけない場所になったんじゃ、やっていく意味がないの」
「ヤミさん……」
 宵町の言い分が、スッと腹に落ちる。
 愛莉にとっても『創作の世界』が、唯一の救いの場であるからこそ、宵町の気持ちは手に取るようにわかるような気もした。
「そうだったんですね……。でもだったらどうして、個人DMで宵町さんから自白なんかしたんですか? よほど信頼できる人だったならいいですけど、そんな重大なことを迂闊に喋ったら、ともすればこうなることくらい……」
 愛莉の質問に、宵町は一瞬、言葉を詰まらせる。
 しばし沈黙を挟んでから、彼女はポツリと言った。
「放っておけなかったのよ」
「誰をです?」
「あのソース画像にあった、やりとり相手」
「それって……」
「――すみません、それ、私なんです」
 ふいに、愛莉と宵町とのやり取りの間に、か細い声が割って入ってくる。
 え? と思って声がした方を向くと、いつの間に扉を開けてそこにいたのか、弱々しく肩を窄めた青木が、今にも泣き出しそうな顔で立っていたのだった。