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 待ち合わせの駅は、休日ということもあり、僕の苦手な人混みでごった返していた。そのほとんどが駅構内から隣接するビルにまで続く商業施設が目当ての買い物客だ。老若男女、家族連れにカップル、女子高生らしき集団に大学生らしき若者グループ……。様々な属性の人々が入り乱れる構内のエントランスで、僕はげんなりしながら同じ高校のクラスメイトに当たる彼女の姿を探す。
 待ち合わせに約束していた大きな温泉マークのモニュメントの前に、彼女はいた。ちなみに、温泉は我が県が誇る代表的な観光資源の一つである。
「やっほーっ、おはようーっ!」
 彼女はまるで、県を代表する観光大使のように、そのコミカルなモニュメントの前で僕に手を振った。
 僕は足を早めることなく彼女に近づく。
「大きな声出さなくてもわかるよ、恥ずかしくないの?」
「うん、全然。君はいつも通りのテンションだね!」
「……君もいつも通りのテンションでなにより」
 早朝から今に至るまで同じテンションを保てる彼女は、ひょっとすると超人なのかもしれない。
 気を取り直して、僕は訊く。
「……それで、今日の予定は?」
「よくぞ訊いてくれました!」
 彼女は姿勢を正し、僕に向かって敬礼の真似事をする。
「まずは、本屋に行って新刊のチェックをしよう! ……っていうか、わたし今月まだ行けてないから行きたかったんだよー」
「……なるほど」
 取材、と聞いていたので、どんな奇天烈な予定を立てているのかと思えば、彼女の提案は思いのほかまともだった。
 本好きの僕としては、そこで今日の予定を終えてもいいくらいだった。駅に併設されたビルの四階には、県下でもトップクラスに品揃えのよい大手の書店があった。冗談抜きであそこなら、丸一日苦もなく過ごすことができる。
「君にしては悪くない提案だね」
 素直に褒め言葉を口に出した僕に、彼女は笑った。
「そういうことで、行きましょう。こうしてる間にも時間は刻一刻と過ぎちゃうから」
「異論はないよ」
 早速、僕らは本好きの聖域へと歩き始めた。
 構内のエントラスから飲食店の立ち並ぶ区画を通り過ぎ、エスカレーターに乗る。進行方向の右側に寄って縦列に並ぶと、一段上に位置取っていた彼女がこちらを振り向いた。
「にしてもー、君とこうやって休日におでかけするのってなにげに初めてだね!」
「……そうだね」
「初デート、だね!」 
「……………」
「あ、君、今日も心拍数上がったよ?」
 彼女の戯言を無視しているうちに本屋に着いた。
 僕はまず入り口に平積みされている新刊コーナーの前で立ち止まる。ざっと眺めてみた感じ、推している作家の本はない。照準を興味を惹かれるタイトルに切り替えて、もう一度平積みの本達を一冊一冊目で追って行く。
「おっ、なにかよさげな本は出てる?」
 タイトルから内容を想像しつつ、小説を吟味していると、彼女が横槍を入れてきた。
「まだ探ってるところだよ。君のお眼鏡にかないそうな本はある?」
「わたしもまだ探ってるところだね。魔導書はじっくり選ばないとね」
「魔導書?」
「そう、魔導書。言葉は魔法だから、小説には様々な魔法が凝縮されてると思わない?」
「君はまたよくそんな恥ずかしいことを……」
「でもさ、君は一冊の小説から喜びや悲しみ、楽しさや驚きを享受したことはない? 読んだ後に気持ちが晴れたり、逆に落ち込んだりしたことは? 自分の中でなにかが変わったりした経験、あったりしない?」
「……………」
 そう言われると返答に窮してしまう。彼女の言っていることが少しはわかる気がしたからだ。
 物語と出会い、心を揺さぶられ、将来まで変えてしまう。
 僕が読書を続けているのは、間違いなくこれまでに読んできた数多くの物語から影響を受けたからに他ならない。
「……そんなところで、ちなみに聞くけどさ、こないだわたしが書いた小説からは、君はどんな魔法の効果を得たのかな?」
 彼女の、小説は魔導書説、に興味を抱いた僕は、そんなことを訊いてくる彼女に、率直に応えることにした。
 彼女は僕の返答を待ち、うふふと微笑む。
「そうだね……最初はドキドキと意外性」
「へー」
「で、途中からはうん? ってなって、最後はなんとも言えない肩透かし感、ってとこかな?」
「……君はさ、墓地から死体を掘り返して蹴って楽しいの?」
「いや、君が訊いてきたんだろ? 僕は死体なんか掘り返してないよ。勝手に墓から出てきたんだよ、ゾンビみたいに」
「……………」
 彼女は無言で去っていく。僕は気を取り直して、新刊の吟味に戻ることにする。興味を引いたタイトルを手に取り、あらすじ、序盤の内容に軽く目を通す。
 本屋特有の紙とインクの香りが、気持ちを穏やかにする。雑音の少ない物静かな空間。紙の柔らかい手触り。ブックカバーのツルツルとした感触。目と鼻と耳と肌。それぞれの感覚が、心地よい至福の時間を形作る。
 しばらく新刊コーナーに身を投じた僕は、人気レーベルからデビューしたばかりの、新人作家の小説を手に取った。レーベルが主催する小説賞の奨励賞を受賞した作品らしい。和風ファンタジーの世界観に西洋料理店を開くという設定が新鮮で、テンポの良い文章にも引き込まれてしまった。
 収穫の品を片手に、まだまだ掘り出しものはないかと店内を探索する。
 いつの間にか姿を消していた彼女も、僕と同様に思い思いに本と触れ合っていることだろう。
 どのくらいの時間を過ごしていたのかわからない。気づくとなに者かにシャツの袖を引っ張られ、僕は現実世界に舞い戻った。
「……ねえねえ、集中しているところ大変申し訳ないんですけど、わたし、そろそろお腹が空いてきました」
「えっ? あ、ごめん」
 本屋にいると、時間の感覚がわからなくなる。連れがいたことも、頭の片隅に追いやってしまっていた。
「もー」
 彼女はわかりやすく頬を膨らます。釣り上げられたフグのようになった彼女の顔に、思わず吹き出しそうになる。
「……あ、なんで笑いそうになってるの? 君と本屋にくると、本当にそこだけでデートが終わっちゃいそうだね」
「ごめん、ごめん。でも、それがわかってて、君は僕をここに連れてきたんじゃないの?」
 デート、という言葉に若干引っかかりつつも、僕は彼女に反論する。
 彼女は、すぐさま破顔した。
「あったり前だよ。でも、そんな君でも少しはわたしっていう魅力的な女の子のこと、気にかけてくれるんじゃないかって、期待してたんだけどね?」
「……魅力的?」
「はい、魅力のかたまりです」
「……………」
「なんか言ってよ」
「……お昼どこに行く?」
「このやろ」
 胸元をグーで殴られた。
 そんなわけで、名残惜しさは尽きないのだけれど、本屋とはここでお別れすることとなる。
 レジに向かい、手にしていた書籍を購入し、僕らは本屋を後にした。

         *

 商業施設から外に出ると、時刻は正午を回っていた。本屋では正味二時間を過ごしたことになる。
 太陽が真上に昇っているせいか、九月の厳しい残暑をいっそう感じる。日差しは痛いくらいに肌を焦がしてくる。
「……それで、結局君はなにを食べたいの?」
 右手を額の前に掲げ、視界から日差しを防ぎつつ、僕は彼女に尋ねた。
 彼女はむふふ、と怪しげに笑う。
「まあついてきたまえよ。来ればわかるから」
「……ふぅん」
 どうやら食べたいものだけでなく、お目当ての店舗まで目星をつけているようだった。
 彼女は僕を連れて、上機嫌にずんずんと先を歩く。僕らは駅前の地下道を通り、地上に出ていくつかの信号を渡り、市の中心部に位置する商店街に移動した。
 彼女はとある飲食店の前で立ち止まり、にんまりと僕を振り返った。
「じゃあ、今日はここでゴチになります!」
「……ここって」
 店の入り口に取り付けられている看板には、墨で書かれた『辛麺』の二文字が、強烈なインパクトを放っていた。
「……えっ? ここに入るの?」
「さあ、行ってみよう!」
 僕の問いかけには答えず、彼女はさっさと店内に入ってしまった。仕方なく後を追うと、「いらっしゃいませーっ!」と威勢のいい声と香ばしい香りに出迎えられる。
「お客様二名様ですか? カウンター席とテーブル席どちらになさいます?」
「テーブルで!」 
 近寄ってきた女性店員に彼女は迷うことなく答えた。
 そのまま案内された二人掛けのテーブル席に着く。対面に向かい合うと、彼女は胸の高鳴りを抑えられないといった様子で、勢いよくメニュー表を開いて置いた。