「マジか」
「バラすなよ」
「いやバラせねぇだろこんな話」

 灘に事の顛末を語れば、灘はコーヒー牛乳のパックを持ってあんぐりと口を開けた。
 コソコソと二人で話し合う。

「マジか、学校一のイケメンがフツメンのお前にご執心ってこと?」
「そうらしいな」
「ヤバいって。絶対バレるなよ、女子に殺されるか学校のおもちゃ扱いだぞ」
「だからお前にしか話してねぇだろ」
「信頼の証……?」

 潤んだような瞳で上目遣いする灘に、俺は追い払うように手をしっしっと振る。

「黙れ」

 これは照れ隠しだった。雑に流したけど、灘のことを信頼しているのは本当だった。こいつは俺が本当に困っていたり、吐き出したいことがある時は死んでも誰にも話さない。いや、死んだら誰にも話せなくなるけど、ものの喩えである。

「マジかあ。まあ目黒くん、女子の扱いはそつなくこなしそうだから大丈夫だとは思うけど」
「学校では多分関わりに合いにはならないと思うけどな」

 学年違うし。そういえば灘は「それもそうだな」と頷いた。

「ま、どうなるかわかんねぇよ。女の子に告白されたらその子に傾くかしれないし」

 俺がそう軽口を叩けばその言葉に、灘は珍しく不機嫌そうな顔になった。

「おいおい、自分から言い出したんだろ? それなのに相手の気持ちが揺れるだろうって考えて付き合ってんのは不誠実じゃねぇの? てか、それなら気持たせるような対応すんなよ。それって好きってことじゃない、告白されて舞い上がってお調子者になってるだけじゃねえか」

 ふとした灘の言葉が、グサリと心に刺さる。確かにそうだなと思った。あいつ相手にいる時、俺の方が間違いなく優位だった。だから、拒絶されないことを理解して、悪戯のように抱きしめて、寛容な振りをしていただけ。痛いところをつかれたなと思った。

「でもお前だって思わねぇ? あの顔が彼氏だぞ? この俺が。別にあいつが同性愛者だろうがなんだろうがいいけど、なんで相手が俺? って思うだろ」
「それは昨日聞いたんだろ? ならそういう事だよ」
「……わかんねぇよ」

 俺はため息をついた。灘が正論で、俺はやはり卑怯者だった。自分でも思う。

「そりゃ容姿で判別するのなんて酷いもんだけどさ、やっぱ現実になると困惑するよ」
「まあなあ」
「……大切にしたくないわけじゃない」

 俺は未熟者で、受け入れるといいながら受け入れられていないけど、でもあいつを傷つけるだけの結末は避けたかった。だからあいつがほかに好きな人が出来て、社会の中でなんの隠し事もせず生きていけるならと思ったのだ。男とじゃない、女の子と。
 俺はあいつが好きなんだろうか。それともあんな綺麗な男に愛されている自分に優越感を感じているだけなのか。もし後者なら最悪だ。

「俺たち、付き合って、でも未来があるかわからない」

 俺の頼りない呟きに、灘は眉を下げた。現実から逃げるようにコーヒー牛乳を飲む。俺が手を差し出せば、コーヒー牛乳が手渡される。
 おいしい。

「ま、お前がどんな選択肢選んでも、俺は味方だから」
「ありがとな」

 授業が始まるギリギリ、優しい言葉に、俺は下手くそに笑って頷いた。

 
 あいつは今朝からおはようございますと俺の顔を覗き込んでいた。朝っぱらから麗しのご尊顔を目にして俺は寝起きで掠れた声で挨拶を返す。

「……はよ」
「もう朝飯ですよ」
「わあっ、てる。ちょっと待て」

 起き上がってハシゴを降りて、廊下の洗面で顔を洗う。「先輩寝顔可愛いですね」とか何とか言われたがそれは無視して歯を磨いて、俺は目黒と食堂へ向かった。
 それだけで視線がビシバシと伝わってくる。好奇心と嫉妬心、あまりいい類の視線ではなかった。これがいつまで続くのだろう、気が遠くなる思いだった。
 目黒は慣れたようにすました顔でいる。そりゃもう慣れたものか、と俺も気にしないことにした。
 ところが面倒事とは起こるもので。

「おい、目黒とかいうのお前?」

 俺の横で焼き鮭定食を食っている目黒の向こう側に、三年生が数人、にやにやと立ちはだかる。
 俺はその瞬間、頭を抱えそうになった。今週何度目だろう。頭痛もしているような気がする。絶対めんどくさい事になる。金を賭けてもいい。

「ちょっと顔がいいからってちやほやされて調子乗ってんじゃねぇよ」
「どーせ素知らぬ顔で女と寝まくってるんだろ?」

 ケタケタ下品に笑うやつらを見て、こいつらが実際したいことを口に出してるだけなんだろうなと思った。簡単に言えば女と寝たいのだ。セックスがしたい。この年齢で言えば当たり前な欲求ではある。俺は半ば呆れて三年生の男たちを見ていた。
 でも俺の隣にいるのは後輩だ。ここは俺が、と口を開こうとした時、隣からなんの感情も籠っていない声が聞こえた。

「すいません」

 隣を見る。ヒレカツ定食を食いながら、目黒は謝罪の言葉を発していた。

(いやまずいだろ)

 多分ここのテーブルにいる全員が思ったと思う。なんて雑であまりにも興味が無いということが前提に出された謝罪なんだろう。もう少し、いやもう少し、一応箸を置いてから、とか、なにかなかったか。

「ああ? お前あんま調子乗んなよ」

 手が出る。それだけは避けたいと目黒を庇おうとするけど無駄になった。

「お前ら! なにしてる!」

 拳を上げかけた三年生に朝の点検に来たのだろう教師が怒り肩でやってくる。三年生の男子はあの剣幕はどこへやら、さっさと逃げていった。
 緊迫していた空気が緩む。
 俺は平然と飯を食う目黒に、座り直すと、視線で訴えかける。
 目黒は相も変わらず飯を食っていた。

「お前さすがに箸はおけよ」
「いや、そんな礼儀払う相手じゃないじゃないですか」

 心底不思議そうな顔で首を傾げるものだから、俺は毒気を抜かれて肩を落とした。
 はー、と息を吐いた。

「お前マジであいつらに絡まれたら殴ってでも逃げろよ」
「はい、あと」

 ん? と首を傾げれば、目黒は耳打ちしてくる。

「庇おうとしてくれてありがとうございます、望さん」
「おっ」

 耳を抑える。
 お前外でその呼び方やめろ、と小声で言えば目黒は知らん顔で飯に戻る。俺はまた口を開きかけたが、閉じて飯に戻ることにした。多分、これに関しては何を言っても無駄だ。別に顔は赤くない。


 そこからひと月も経てば、ほとぼりは冷め目黒に関することはほぼ聞かれなくなった。
 理由の一つとして、目黒が誰からの告白も受け入れず、振ってばかりだからというのもあった。学校一可愛いとか言われてるらしい女子が告白した時も、呆気なく振ったらしい。俺は名前も顔も知らない女子に同情した。周囲からも告白は成功するだろうと噂されていたらしい。しかし結果はこうだ。彼女の学校生活が平穏であることを祈るしかない。
 何故ならあいつが恋人と呼ぶのが俺だからだ。世の中おかしく出来ているものである。

(おかしいなんて言ったら失礼か)

 なんてったってあいつは本当に俺が好きらしいから。本気なのに、本気の相手におかしいなんて言ったら失礼極まりないだろう。

(俺って結構無意識に差別とかしちゃってんのかな)

 それが目黒を小さくでも傷つけてないといいなと思った。


 寮に帰れば、目黒は机に向かって課題を解いていた。

「ただいま」

 ふとそれを口にした日、目黒が嬉しそうに笑ったから、俺はこれを口にし続けることに決めたことを思い出す。
 すると俺に気づいた目黒が、俺に視線を向けた。

「おかえりなさい、望さん」
「おう、課題中か?」
「はい、もうそろそろ中間テストあるでしょう?」
「あるなあ」

 一気にげっそりとした顔になった俺に、目黒は小さく笑った。

「頑張ろ、望さん。俺高三の範囲も終わってるから教えられるよ」
「まじかよお前、よろしくお願いします」

 俺が両手を合わせて軽く頭を下げると、今度こそ目黒は声を上げて笑った。普通なら少し笑っているくらいの態度に見えるだろうが、こいつにとってこれは爆笑の領域らしい。
 可愛いなと思う。こいつは笑うと幼くなる。年相応の顔をする、というのが正しいのかもしれないけれど。
 俺も机にスクールバッグを置いて、参考書とノートを取り出す。その前に制服を脱いで、部屋着に着替えた。
 するとこちらを見ていた目黒がふとしたように口を開いた。

「望さん」
「ん?」
「綺麗な背中してますよね」
「はあ? 背中に綺麗とかあるか?」

 俺は自分の背中を振り返りながら、首を傾げた。男の背中が綺麗とは褒められているのか。褒められているのだろう。

「望さんの背中、シミもほくろも日焼けもない。綺麗ですよ」

 ああ、と俺は頷いた。

「俺日差しに弱いから夏プール入れねぇんだよ、ラッシュガードつけないと。だから最低限だけ入って、ほかは補講。プール掃除させられる」
「え、なにそれ、楽しそう。俺のことも呼んでください」

 目を輝かせる目黒に、俺は苦笑いする。

「なんもいいことねぇぞ。塩素臭いし、ネバネバしてるし、底」
「いいじゃないですか、俺と二人でやりましょ」
「いいけど」

 体育教師も雑用が増えたと大喜びするだろう。それにしても初夏の炎天下の下、汗だくになりながら掃除する仲間が増えたとすれば、俺はありがたい限りだ。こいつはそれを考えた上で言っているのかと疑いたくなるが。

 現在夕方の四時半。夕飯までまだ二時間半ある。灘は今日部活だ。あいつはあの活発な性格の通り、陸上部に所属していて、今日も校庭を走りに走っていることだろう。たまに休憩中のアイツに絡みに行ったりするが、今日は行かなかった。大会が近いと、灘から聞いていたから。応援行ってやろうかなと、もう何度目かの競技場を思い出した。

 勉強机に向かおうと、椅子に座ったところだった。
 後ろから、するりと腕が回される。

「ん?」
「望さん好き」
「おう」

 俺も好きだよとはいえなかった。これが俺に残された誠実さのひとつだと思っていた。
 でもひと月も経つと慣れる。こいつは俺に抱きつくのが好きらしい。あと俺の頬やこめかみにキスをするところ。

 柔らかな感触が頬をかすめる。
 ほら、やっぱり。

 こいつとはひと月しか生活を共にしていない。でもこいつのことなら、俺はこの学校の誰よりも知っているだろう。こいつは結構な甘えん坊である。あんなに薄暗い恋心を明かしておいて、きっちり恋人の特権を行使してくる。最初の辺りは本当に、驚きっぱなしだった。

 ぴこん、とライムの着信音が鳴る。どれどれ、と確認しようとすれば、肩をがぶりと噛まれた。

「いて!」
「俺といるんだからライム見ないでよ」

 拗ねたような口ぶりに俺は仕方なくスマホを机に置いて、少し体を捻って目黒の頭を撫でた。

「別に浮気なんかしてねーぞ」
「灘さんとか仲良いじゃん、ムカつく、俺より一年分も望さんのこと知ってる」
「灘じゃねーぞ」
「それでもいや」

 もう何度目か、膨れっ面になる目黒に俺は頭を撫でることしか出来ない。すりすりと首筋に擦り寄ってくる目黒に、俺は苦笑いを浮かべた。

「仕方ねぇだろ、あいつ一年の頃から一緒なんだから」
「羨ましい、おれも灘さんとか望さんとかと同じ年齢なら良かった」
「お前と出会えたのがこの歳でよかったよ、じゃないと同室にはなれないだろ? な?」

 諌めるように俺が言えば、目黒は渋々、と言った顔で頷いた。
 一応言っておくが、こいつの表情は乏しい。俺は最近気づくようになってきたが、こいつの膨れっ面は他の人間が見れば、ただ目付きが悪くなったかな、程度だ。でもよく見てみれば不機嫌なことが分かる。学校内ではニコニコしているが、この部屋ではこいつは基本的に表情が抜け落ちている。俺が朝目覚めて、初めて微笑むのだ。俺に。「おはようございます」と。
 可愛いやつだなと思う。

「俺課題やりたいんだけど」
「じゃあ今日一緒に寝ていい?」
「なんでそこでじゃあ、ってなる?」
「いいでしょ?」

 わかりきった顔で聞いてくるこいつに、「嫌だ」とかからかってみたい気持ちもあるけれど、多分こいつは俺が冗談で言ったと知っても二度と一緒に寝たいとは言わなくなるだろうことはわかっていた。それが予想できるから、俺はいつも、できる限り頷く。
 十五の小坊主が必死に探して、誰にも言うつもりがなかったのだろう心を明かして、それがどれだけの事か。俺には計り知れない。だから、それよりも大きななにかで、包み込んでやりたいとは思うんだ。

「はいはい」

 仕方ないなと言う顔で頷けば、相手はこれが俺のポーズだと知っているからうれしそうに微笑んだ。
 最初、俺が言ったことを思い出す。

「狭いだろ、べつにお前が気持ち悪いとかじゃないけどさ」

 俺は男と抱き合って寝る趣味は無い。でもこいつは恋人だった。俺は多分、名前だけのこの関係でも、こいつの期待に応えてやりたいという気持ちが無意識に大きくあるんだろう。
 でもそれはただの同情でしかないのかもしれない。俺はその度、俺の傲慢さを思う。

「それによ」
「?」
「俺は灘と抱きしめあって寝たりしない」

 お前の特権だろ? と言外に匂わせれば、目黒はまた、瞳を柔らかくした。