「中学の頃から、貴方にもう一度会いたいと思って、制服調べて、ここに来たんです。まさか同室になるとは思わなかったけど」
「運いいな」
「そうですね、……まさか恋人になるとも思わなかったけど」

 寮に戻る途中、ぽつぽつと交わす会話。目黒の苦笑いに、俺は曖昧に微笑んだ。
 結局、俺と目黒は恋人同士になった。恋人同士なのに、俺は目黒に恋愛感情を抱いていない、目黒は俺に期待していない。不思議で歪な関係だった。

「先輩には」
「ん?」

 無言を切り裂いた目黒に視線を向けると、笑顔の目黒がいた。不自然なくらい、笑っている。
 目黒はこの関係を自分なりに付き合っていく方向性を決めたらしかった。吹っ切れた、と言えばいいのだろうか。

「反対に都合がいいってことにします。だからわかってもらいますからね、俺が気持ち悪いくらい先輩が好きってこと」
「……わかった」

 下着とか盗まれんのかな。まるで痴漢を相手にしたような感想を抱いたが、まあ下着ぐらいいいかと思った。
 平然と頷いた俺に、目黒は真顔で「分かってないくせに」と囁いた。俺は首を傾げる。

「別に、パンツ盗もうが怒らねぇぞ、最低限の数残してくれたら」

 少し突飛な提案をすれば、目黒は目を見開いた。

「俺先輩のパンツ盗むやつって思われてんの?」
「お前が気持ち悪いくらいとか言うからだろ」

 ショックを受けたような声に、俺は首の裏をかいて、言い訳した。

「いいです、服だって盗んでやります」

 でも目黒は俺の言葉に気を取り直し、憤然とした様子で頬を膨らませた。そんな幼い顔に、俺は純粋に可愛いなと思った。
 すると目黒が俯く。

「どうした?」
「……無意識ですか」
「え、なにが?」
「可愛いって言ったでしょ」
「は? え、俺声に出てた?」

 慌てた俺に、無表情がきっとデフォルトだろう目黒が怒ったような顔になる。そこで、どうも俺は、俺の前でだけは素を出すこいつが可愛いと、そう思っているのを再確認した。

「かっこいいって言ってもらいます」
「いやお前は可愛いだろ」
「やだ、俺は先輩に……押し倒されるより、押し倒したい派なの」
「そうなのか」

 驚いて隣を見れば、目黒は「はい」となんでもない風に頷いた。
 そこで気づく。こいつは俺より身長が高いのに、なんだか自分より何もかも小さい人間を相手にするような気分になると。だからそういうことになれば、俺の方が上になるもんだと思っていた。でもどうやらこいつは俺を抱きたいらしい。男同士ってどうやってやるんだろ、そう思った。

「俺なんか押し倒してどうする気だ、言っとくがお前は俺から見たら年下のガキだぞ」
「そういう気がするだけでしょ。たった一歳の差、すぐ超えてみせますよ」

 当たり前のような顔でそう言った目黒に、俺は目元を覆った。

「まじかあ。俺に勃つ奴とかいるんだ……」

 半ば驚きと信じられないという気持ちでボヤく。すると目黒が立ち止まった。俺も同じように足を止める。

「どうした?」

 目黒は目を逸らした。傷つくことから逃れるように。

「気持ち悪いって思うでしょ、好きでもないやつから言われて」
「……いや?」

 首を傾げた俺に、目黒は今度こそ大きなため息をついた。俺は何か変なことを言っただろうか。仮にも付き合うというのなら、そういった行為も含まれるだろう。すぐに受け入れられるかは分からないが、それはお互い信頼関係を少しづつでも積上げていくしかない。未来は分からない。俺とこいつが相思相愛になる可能性もあるわけだ。そうじゃない場合もあるけど。
 もしお互いがお互いを想う仲になれば、俺はこいつにきっと、なんでもしてやりたくなるんだろうなと、まだ今日付き合い始めたばかりなのに、確信を持ってそう思えた。

「いや、反対に思ってよ。誰にでもそう言うつもり?」

 目黒の声は不機嫌だった。こいつはどうして怒っているんだか。

「お前以外に言うか」

 俺が呆れて言い返すと、目黒は今度困った顔をする。こいつ以外に下着やら服やらを盗まれればすぐ寮長に報告するところだ。
 困った顔をした目黒を見てそれにしても、複雑なやつだなと思った。こいつは結構、色んな顔をするんだなと、そこで知った。

「先輩は将来可愛いお嫁さんを貰うんですよ?」
「かもな」
「貰うの」
「なんでそんな必死なんだよ」

 俺に恋してるのはこいつのはずなのに、こいつは俺がほかの女と幸せになる事を祈っている。仮にも俺は恋人なのに。最初から何もかもを諦めすぎじゃないかと思った。もやもやする。お前俺のこと好きにさせてみせるんだろ?
 なんで最初から諦めモードなんだよ。

「先輩には幸せになって欲しいの」
「はいはい、分かった分かった。俺もお前に幸せになって欲しいよ」

 子供が意地を張るように言い募る目黒に、俺は受け流しながら寮の扉を開ける。
 食堂を横目に寮室に目黒と戻る。

「さーて、夕飯まで寝る」

 か、と言いかけた時だった。
 俺は目黒に背後から抱きしめられていた。

「……どした?」

 緊張で一瞬にして身体ががちがちに固まった。でも拒絶してるとは思われたくなくて、そぅと振り向く。なんでもない顔を作って。
 目黒はちっとも嬉しそうじゃない顔で俺を抱きしめていた。それに俺はなんでだよ、と思った。なんで抱きしめたんだよ、仮にも俺が好きな人って言うんならもっと、なんか、反応があるだろ。それ相応の。こんな嫌そうな顔されながら抱きしめられたら俺だって嬉しくない。
 そう思っていた時だった。
 目黒は今度、どこか悲しさと苦しさを滲ませた表情になる。

「俺に抱きしめられて、気持ち悪いって思ったし、驚いたでしょ。恋人同士ってこんなの起こっても怒れないんですよ。やめろって思ったって俺の方が背高いし、力もある。さっきは人数がいたから負けただけだよ」

 俺は呆れて半目になる。こいつは俺とどうなりたいんだ。嫌いになって欲しいのか? 好きになって欲しいのか? 好きな人相手なら抱きしめられて嬉しい反応が帰ってきたら喜ぶものじゃないのだろうか。
 俺はさすがに初めてで驚いたけど、気持ち悪いと振り払ったりしたりしてない。別に嫌だとも思わない。驚いただけ。
 これじゃダメなのか。

「いや、やめて欲しいとも気持ち悪いとも思わねぇけどもうちょっとムードってもんを作ってからやってくれ、突然は驚く。いや、ムードとかそういうんじゃなくて、言ってくれりゃいいから。俺からも抱きしめるし」
「別に抱きしめなくていい」
「それはお前のすきにしたらいい、俺は俺のすきにする」

 そう宣言すれば、今度は泣きそうな顔をした。それを見て、わからないやつだなと思った。普通はあわよくば付き合いたいとか思うもんじゃないのか。なんで嫌われようとするんだ。
 俺は腕をどかすと、その仕草にさえ知らず知らずの内に悲しみをこぼす男を正面から抱きしめた。
 今度は目黒が固まる番だったらしい。全身の筋肉が強ばっているのがわかって、少し笑ってしまう。

「抱きしめないでよ」

 震えた声で言うくせに振り払わない男に、俺はクッククックと笑った。

「抱きしめさせろ。ずっと俺の事一途に好きでいてくれた男に報いたいんだよ」
「……俺のこと好きじゃないくせに。それに、他の女と遊んでたかも」
「でも結局俺を選んだんだろ? じゃあ一緒だ」

 すると、恐る恐るというように抱きしめ返す目黒に、俺は小さく微笑んで、またギュッと力を込めた。