スールをアンドロケイン大陸に向かわせた後、ペスカと冬也はエルラフィア王国に向かう事に決めた。

 ラフィスフィア大陸は、ペスカにとって馴染み深い土地である。都市の場所は、手に取る様にわかる。
 今後の事を思えば、なるべく力を抑えておきたい。しかし、直ぐにでもやらなければならない事が有る。移動に時間をかけてられない。故にペスカと冬也は、ゲートの魔法を使用した。
 
 ロイスマリアに神が戻ったとて、アルキエルとの戦いで神気をすり減らした神々は、世界の崩壊を食い止める事で精一杯だろう。

 世界には絶望が広がっている。

 諦めて、ただ茫然と死を待つ者。他者を食らってでも、生にしがみつく者。自棄となり、暴れまわる者。形は様々であろうが、いずれも死が蔓延する世界で、理性を失い欲望のままに行動をしている。それは怠惰であり、暴食であり、強欲であり、憤怒が理性という枷から解き放たれた証だろう。

 そして、弱者から先に死んでいく。
 
 確かに己の身を投げ出して、他者の糧になろうとする聖者の様な者も居た。必死に子供を守ろうと抗う、両親の姿もあった。だが、僅かに残された良心は簡単に踏み潰される。

 土地は枯れ川は干上がる。そして、飢餓から派生する疫病。問題は飢えだけではない。神の恩恵が失われた。その事が、否応なしに実感できるからこその絶望であろう。
 
 一部の者がどれだけ足掻こうとも、いずれ全てが滅びるだろう。例え神々が戻っても既に遅い。世界は崩壊に向かって、勢いよく前進しているのだから。

 しかしこの崩壊寸前の世界で神々が力を取り戻し、生き延びた者達に手を差し伸べたとて、本当の救いになるのだろうか。
 神の恩恵に甘え、自ら事を成さないから進化が止まる。恩恵が無くなった時に、慌てふためく。
 与える者と与えられる者、その関係が変わらないなら、労無くして享受するだけなら、いずれ社会は崩壊する。

 それでは、世界は救われない。

 もう、乳飲み子の時期は過ぎた。地上で生きる者達は、母たる神々から離れ自らの足で歩み始めなければならない。それが、最初の一歩になる。

 ドラグスメリア大陸の魔獣達は、ズマを筆頭に歩きだしている。彼らに出来て人間に出来ない事はないはずだろう。

 半数以上の国が大陸から消滅し、人間達は多くの同胞を亡くした。
 辛い戦いを乗り越えて来た。悲しい別れを乗り越えて来た。だからこそ、救われなければならない。このまま消滅の道を歩んではいけない。
 自らの足で立ち上がり、最大の苦難を乗り越えねばならない。
 
 ☆ ☆ ☆

 ペスカと冬也はゲートを開いて、エルラフィア王国に渡る。目指すは王都の王立魔法研究所であった。ただ、移動手段が悪かったのかもしれない。

 突然一階の入り口に現れたペスカ達に、研究所の職員達は驚き腰を抜かした。無理も無い。空気の張り詰た研究所に、突然の来訪者である。そして五階建ての研究所全体に、警報が鳴り響く。

 希望の果実を研究する事は、エルラフィア王国を始め大陸に残った人間達の生命線である。研究所の施設はもとより、実験場も含めて厳重な警備が行われている。その警備をすり抜けて、突如として何者かが現れたのだ。

 既に一階は大騒ぎとなっており、研究所に詰めていた兵士達は、即座にペスカと冬也を囲んだ。

「侵入者、侵入者! 全員警戒態勢! 全員警戒態勢!」

 無情にも、建物全体に響き渡る危険を知らせるアナウンス。そして、問答無用とばかりに、兵士から剣を突きつけられ、ペスカは両手を上げる。

 研究所の職員が、驚いて警報を鳴らしたのは、不運としか言いようが無い。
 そもそも研究所の職員達は、昼夜を問わずに研究に没頭していた。碌に食事や睡眠を取っておらず、疲れ果てた職員達の前に、突如として人が現れたのだ。侵入者だと判断しても、おかしくはない。

 そしてつい最近、訃報を知らされたのだ。例え侵入者が、知人に似ていても、それが当人だとは思わない。

 ペスカ自身、目的が有って研究所を訪れた。ただ、下心が無かった訳ではない。誰もがペスカとの再会に、涙を流して喜ぶと思っていた。感動の再会どころか、今は不法侵入者として、拘束されようとしている。

「違うよ、侵入者じゃないよ! ペスカだよ、忘れちゃったの?」
「黙れ! ペスカ様を語る侵入者だ! 何処から入ったかは、知らんが!」
「そうじゃないよ、ペスカだよ! ねぇみんな、嘘だよね!」
「侵入したのは、間違ってねぇな。だから言ったじゃねぇか、ペスカ。連絡もしねぇで来たら、普通は警戒すんだろ」
「何よお兄ちゃん、今頃になって! めんどくせぇから、警備兵は黙らせろって言ってたじゃない!」
「な、ペスカ! 今それを言っちゃ駄目だろ!」

 不穏な言葉を耳にし、兵士の警戒心が強まる。そしてペスカ達に、にじり寄る。しかし、その時で有った。兵士の後方から、案内嬢や一階職員達の話し声が聞こえて来る。

「あれっ? 確かにペスカじゃない?」
「偽物?」
「偽物にしては、似過ぎじゃないか?」
「いや、冬也も一緒だぞ。ペスカで間違いかもな?」
「そうだね、あの感じはペスカと冬也かもね。もう一回、緊急連絡しなきゃ」
「相変わらず人騒がせな兄妹だな、全く」

 恐らく、慣れ親しんだ兄妹のやり取りを見て、確信したのだろう。そして、知らされた訃報が間違いだと、判断したのだろう。
 職員達は、やれやれとばかりに、持ち場に戻っていく。そして、再び研究所内にアナウンスが流れた。

「え~っと、侵入者の正体はペスカと冬也でした。警戒態勢解除! 警戒態勢解除!」

 ただその呑気なアナウンスは、返って二階以上の研究者達を騒然とさせる。そして、一人の老人を走らせた。滑る様に階段を降り、兵士を囲いを強引に抜けてペスカ達の下へと走り寄る。そして老人は、滂沱の涙を流しペスカ達に抱き着いた。

「ペスカ、冬也……」
「ちょっ、所長! セクハラ!」
「諦めろ! こういう展開が欲しかったんだろ?」

 ペスカと冬也は、されるがままに抱きしめられていた。マルスの涙が治まるまで。兵達は警戒を解き持ち場に戻っていき、暫くの間、静かな時が過ぎる。

「落ち着いた?」

 ペスカが切り出すと、マルスはペスカ達を離し柔らかな笑みを浮かべる。

「あぁ。済まなかったなペスカ。それに冬也も」
「構わねぇよマルスさん」
「あのドラゴンは、言っておった。二人は必ず戻ると。諦めないで良かった。本当に良かった」

 再びマルスの瞳から零れる雫。それは肉親への情と何ら変わり有るまい。
 
「や~ね。所長ったらお爺ちゃんみたい」
「馬鹿者! 仕方なかろう、この不良娘!」 

 確かにマルスがペスカを見る目は、孫を見る様な優しい眼差しである。ただ、マルスはちゃんと理解していた。この兄妹が、挨拶をしに来たのではない事を。

「それで、今回は何の用だ?」
「あ~所長なら、私のメモ通りの物を作ってくれるだろうなと思ってさ」
「メモというと、どれだ? お前の部屋には色々な物が残っていたからな」
「拡声器だよ。設計図を残して置いたでしょ!」
「あぁ、それならもう設置済みだ。マナを利用した通信回線は、グラスキルス側の三国にも整備してある。無論、わが国にもな。それに合わせて町や村に、拡声器を設置した。大陸中に声を届ける事も理論上は可能だ」
「マルスさん。理論上って事は、問題があるのか?」
「今この世界には、マナが循環しておらん。いくら少ないマナで使える様にしたペスカの設計でも、我らのマナ量では各王都への連絡だけで精一杯だ。とても、大陸中に声を届ける事は出来ん」

 マルスの言葉で、ペスカと冬也は顔を見合わせる。そして、ペスカは元気な声で言い放った。

「設計通り出来てるんなら、問題無いよ! 何せ使うのが私だもん! それで、本体は何処にあるの?」

 マルスは目を見開いた後に、やや目を細める。そして、優しくペスカに答えた。
 
「城にある。そろそろ迎えも来る頃だ」

 研究所の入り口ドアが、勢い良く開かれる。そして慌てた様に駆け込んで、研究所内に入って来たのは、エルラフィア王とシリウス、それに護衛のトールであった。
 
「おぅ、何その勢揃い! ビップ待遇?」
「まぁ予想通りでは有るけどな」

 ペスカと冬也は、少しため息をついた。