ドラゴンの谷へ着くと、ペスカと冬也はスールの背から降りる。そして背から降りた二人は、直ぐに体を横たえた。
 航空機でも、気流によって大きな揺れを起こすのだ。それよりも早く飛び、乗り心地の悪いドラゴンの背は、疲れた体に意外なダメージを与えた。

「お兄ちゃん、気持ち悪い。吐きそう」
「俺もだよペスカ。マーレの戦艦を思い出した」

 スールから声がかけられた気がするが、二人の耳には届いていない。ペスカと冬也は、共に力を使い過ぎた。

 ペスカはトロールの回復から、スールの蘇生に至るまで、マナや神気だけではなく、碌に休みや食事もとらずに、体力を使い過ぎている。
 碌な休みを取っていないのは、冬也とて同様である。ミュールを降臨させてからここに至るまで、ほぼ不眠不休で動き続けていた。
 
 どっと疲れが出た二人は、横になったまま眠りにつく。どの位の時間が経ったか、二人の目を覚まさせたのは、肉の焼ける香ばしい匂いであった。
 辺りに充満する様な香ばしい匂いは、起き掛けの空っぽになった二人の胃袋を刺激する。まるで目覚まし時計の様に、何か食わせろと腹の虫が訴える。
 
「主とペスカ様、目が覚めたようですな。食事は如何ですか?」

 香ばしい香りが、二人の鼻腔をくすぐる。

「お兄ちゃん。よだれ、よだれ」
「お、おぅ。だってよ、なぁ」

 冬也は目の前に用意された、肉を見る。獲って来た獲物を、皮をはいで丸焼きにしただけ。そんな原始的な物に食指を動かされるとは、空腹とは何とも恐ろしい。
 だが冬也は、置かれた食事の量を見て、違和感を感じた。

「なぁ、スール。これは俺達の分だけか? お前は食わねぇのか?」
「主よ。儂ら原始のドラゴンは、睡眠や食事を必要としませぬ」
「じゃあ、何食ってんだよ」
「大気中に含まれるマナですかな」
「そりゃあ、植物みてぇなもんか?」
「ハハハ。然程の変わりはありますまい」
「お兄ちゃん。植物とドラゴンを一緒くたにしちゃ駄目だよ。ごめんね、スール」
「構いませんペスカ様。儂ら原初のドラゴンは、世界のマナを食らいます。血族を増やせないのは、その所以も有っての事です」
「じゃあ、この肉はどうしたんだ? お前が獲って来たのか?」
「これは、眷属達の食事です。眷属達は、儂らの力で他種族からドラゴンに成った者達。それ故に物理的な食事を必要とします」

 スールの言葉を冬也は大して気に留める事も無く、聞き流して肉を貪る。ペスカはリスの様に、口いっぱいに肉を頬張って、咀嚼をしている。
 
「もももでふぁ、フール」
「おい、ペスカ。ちゃんと呑み込んでから喋れ! 行儀が悪いぞ」
「ふぁって。んぐ。お肉だけなんだもん。呑み込めないよ」
「せっかく食事を分けてくれたんだぞ。文句言わずに食え!」
「野生児のお兄ちゃんとは、違うんだよ。私はか弱いの」
「どの口が言ってやがる。英雄って呼ばれてる癖に」

 スールは、二人のやり取りを目を細めて見つめていた。
 とても暖かい雰囲気を、二人からは感じる。それは、スールが今まで感じた事の無い、ほっとする感覚であった。

「スール、どうかしたか?」
「いえ、何も」
「ところでさぁ、スール。あんたは、神の存在がわかるんだよね」
「仰る通りです、ペスカ様」
「今、この大陸の南にどの位の神様が残ってるかわかる?」

 ペスカの言葉を受けて、スールは瞑想する様に少し目を瞑る。神の存在を感じとろうと、集中を始めた。
 数分が過ぎ、スールはゆっくりと目を開ける。
 
「一柱の存在しか感じませんな」
「それって、お兄ちゃんが言ってた、山さんかな?」
「山さんだろうな。でも何でだ? メルドマリューネに駆け付けてくれたドラグスメリアの神様は、もっといっぱいいたよな? 神の協議会でもそうだ。なんで、山さんだけしかいないんだ? 全員、やられちまったって事は無いだろ?」
「主よ。恐らく息を潜めているのでしょうな。土地に縛られる土着の神は特に」
「お兄ちゃん。それだけ、酷い状況って事だよ。それに」

 ペスカは、言いかけた言葉を止め、口を噤む。現状の情報では、想定しか出来ない。その想定にすら、欠陥がある様に感じる。

 ニューラを襲ったという新たな神を自称する存在と、トロールを操っていた存在は、同一なのか? それでは、セリュシオネの言った『分け御霊』そのものではないか。

 神格を分けるという行為がどれだけ現実的かはさておき、実際には東の地に現れた存在とトロールを操っていた存在は、両方ともロメリアそのものにしか見えなかった。

 ただ、それにも違和感がある。
 
 ニューラを襲った存在が本体、トロールを操った存在が『分け御霊』だと仮定しても、不可解な点が残る。
 『分け御霊』を作る際は、文字通り自分の神気を分ける必要が有る。それには大きな神気が必要になり、分けた後の本体は著しく神気が低下する。故に神々は、その様な非効率的な神気の使い方をしない。

 現に南の地に現れたロメリアは、然程強くは無かった。

 そんな事をして、何の意味が有る? ロメリアは少なからず、私達に恨みを持っているはず。それならば、全力で叩き潰しに来てもおかしくない。
 それともこれは、ロメリアらしい姑息な罠とでも言うのか?

 こうなると、メルドマリューネで倒したロメリアが、本体だったのか否かも疑わしくなる。それに、東の地を闇に変えたロメリアは、今度こそ本体なのか? 実は別の場所に居て、私達を嘲笑っているだけじゃないのか?

 ただ、もう一つ考えられる事がある。それは、神々の眷属化である。
 
 ロメリアは、かつての魔法研究所の元職員であるドルクを操って、エルラフィア王国を襲った事がある。
 二十年前の動乱で、ドルクは死んだ。その魂が、生と死の神セリュシオネの目を逃れて、地上に存在し得るはずが無い。
 だとすれば、ドルクは生前にロメリアの眷属となり、死をカモフラージュして生き延びていた。そう考えた方が、妥当かも知れない。

 ドルクの件と同じ様な方法で、本体である新たな邪神が東の地に居た数多の神々を取り込み眷属とした。それなら、短期間で闇が広がった事と、存在が複数体になっている説明がつく。しかし、これも非現実的に感じる。

 神を眷属とする事は、圧倒的な力の差が無くしては、成り立たない。この地に居る神々の多くは、ミュールの眷属が多いだろう。
 大地母神の眷属を奪う様な行為が、可能とは思えない。それ以前に『神格を分けて力を失っているはずのロメリア』が、他の神を眷属化する程の力が有ると思えない。

 共通しているのは、力の大きさ。如何にして短期間で、大陸の東を呑み込む程の、強大な力を身につけたのか。何か足りないパーツがある。

 ペスカは、考えれば考える程、そう感じてならなかった。
  
「ねぇ、私達はどのくらい寝てた?」
「丸一日は寝ていたでしょうな」
「あんたの眷属は、どれくらいで戻るかな?」 
「早ければ明日くらいには」
「じゃあさ、これから山さんの所に連れてってよ。私も会っておきたいし」
「これから、直ぐに出発されますかな?」
「うん。善は急げだよ」

 骨付き肉を持って、ペスカは立ち上がる。そして冬也は、ペスカの服の裾を掴んで座らせた。

「出発は、食ってからだ。出かけたければ、早く食っちまえ」

 ペスカは、勇んで骨付き肉を咀嚼し始める。それは少しでも、情報を搔き集めて現状を把握したい、心情の現れであった。
 対して冬也は、既に食事を終わらせストレッチを始めていた。

 ペスカ達が山の神の下へ向かう決断をする一方、西と北に向かったスールの眷属達は、吹き荒れる光り輝くブレスを見る。
 混迷が深まろうとするドラグスメリア大陸。明るい未来は未だ見えない。