響はクラリネットパートのグループメッセージに今日の部活は少し遅れると送り、彩歌と人気(ひとけ)のない校舎裏までやって来た。
「天沢さんは、中一の時かなちゃんに何があったか知ってるんだね?」
 響がそう聞くと、彩歌は頷く。
「俺は……それでもやっぱりかなちゃんに吹奏楽部に入って欲しいし、かなちゃんのフルートをもう一度聴きたいって思ってる」
 響は本音を彩歌に伝えた。
 すると彩歌は激しい怒りを響に向ける。
「それが奏を傷付けるんだよ! そんなことも分からないとかあり得ない!」
 切り付けるような鋭い口調だ。
「あたしは、これ以上奏が傷付くのを見たくない! 部活なんかやってたせいで奏はあんなことになったんだから!」
 彩歌は悲痛な表情だった。
 部活と個人的に出場するコンクールが重なったせいで無理をした奏のことを彩歌も知っていた。そのせいで腱鞘炎が酷くなり、コンクールを棄権したことも。
「天沢さんは、かなちゃんのこと大切なんだね」
 響は彩歌がどれだけ奏を大切にしているか分かった気がした。
「当たり前じゃん!」
 彩歌は噛み付くようにそう返した。そして言葉を続ける。
「奏がいなかったら、あたしは独りぼっちだった……」
 その口調はいつもの刺々しい様子とは違い、弱々しかった。
「もし良ければ、中学時代のかなちゃんの話、天沢さん視点で教えて欲しい」
 柔らかく、穏やかな口調の響。
 彩歌は響の真っ直ぐさに根負けしてポツリポツリと話し始める。
「あたしは……何かよく周りの男子から美人って言われたせいで小六の時クラスのリーダー格の女子からいじめられてた」
 その話を聞き、響は意外そうに目を丸くする。気の強そうな彩歌からは想像がつかない過去だ。
「中学でもそのいじめっ子と同じクラスで最悪だった。男共は『女子怖え』とか言うだけであたしの立場悪化させるだけの最低な奴らばっかだったし。あいつらは自分が楽しければあたしがどうなろうと構わないみたいだし」
「何か……ごめん」
 響は身に覚えがないのだが、何となく謝ってしまった。
「でも奏が庇ってくれた。奏は最悪ないじめっ子にあたしへのいじめの証拠を突き付けて、弁護士呼んで法的措置を取るって脅しまでかけてくれた。そのお陰であたしへのいじめが一切なくなった」
「へえ……かなちゃんが」
 こちらも響にとっては意外だった。大人びていて大人しい奏がそんな行動を取るとは予想外である。
(かなちゃん、イタリアで生活してたからかな?)
 何となくそう思った響である。
「だから、あたしも奏が(つら)い時、側で支えたい。ただそれだけ。あたしは奏を傷付けるものから奏を守りたいだけ」
 それは彩歌の真っ直ぐな思いだった。
「そっか。話してくれてありがとう」
 響は穏やかな笑みを浮かべた。
「俺、かなちゃんと話したんだけど、あの子は本気で音楽を嫌ってなさそうだって感じた。中学時代のかなちゃんを知ってる天沢さんからはどう見える?」
 柔らかで真っ直ぐな口調の響。
 彩歌は悔しげに響を睨み、黙り込む。
「俺は、かなちゃんのフルート、凄く好きなんだ。あの音をもうもう一度聴きたい。かなちゃんのフルートは、本当に凄いよ。あの子が小四の時、初めて出場したフルートコンクールのジュニア部門で一位になったんだ」
 響は空を見ながら表情を綻ばせる。
「知ってるし。奏のフルートは最高なんだから。奏はコンクールも頑張ってた。中学の吹奏楽部の中で一番の実力だった」
 彩歌は拗ねたような表情だ。
「うん。……天沢さんは、かなちゃんのフルート、もう一度聴きたい?」
 響がそう聞くと、彩歌は悔しそうに頷いた。
「あたしも、奏のフルート大好きだから」
「そっか。俺と同じだ」
 柔和な笑みの響。
「あんたと一緒とか嬉しくない! あたしの方が奏と仲良いんだし!」
 強気な口調に戻る彩歌。
 響はそれに少しだけホッとした。
「そうかもね。……俺はかなちゃんに吹奏楽部に入ってもらえるよう、フルートをもう一度吹いてもらえるよう説得しようと思ってる。もしそれでかなちゃんが傷付いてしまったのなら……天沢さんがあの子を支えてあげて欲しいんだ」
 真っ直ぐ真剣な表情の響。
「……分かった」
 彩歌は根負けして悔しげに頷いた。
「あんたさ、奏のこと好きでしょ」
 ギロリと響を睨む彩歌。
「うん。小さい時からかなちゃんのことが好きだよ。女の子として」
 響はやや頬を赤く染めながら肯定した。
「ムカつくんだけど」
「痛いよ」
 彩歌に足を蹴られ、困ったよう眉を八の字にする響。
 しかし、彩歌の表情はどこか柔らかかった。
「奏泣かせたら許さないから」
 そう言い捨て、彩歌はその場から去って行った。
「うん、ありがとう。天沢さん」
 響は彩歌の後ろ姿に向かってそう呟いた。





♪♪♪♪♪♪♪♪





 その週の土曜日。
 普段土曜日も部活はあるのだが、この日は顧問の先生の都合で部活は休みだった。
「ああ、どうしよう」
 響はリビングで母親が困っていることに気付いた。
「母さん、何かあった?」
 響は首を傾げている。
「いやこの前、響から大月さんの話聞いたじゃん。それで、せっかくだし先週お父さんと二人で旅行した時、大月さんにもお土産買ってみたのよ。それで響から大月さんの連絡先と家も聞いたし、今日渡しに行こうかなって思ったんだけど、急な仕事が入って。お父さんも出掛けてるし……」
 響の母親は困ったようにお土産の袋を持っている。
 響はこれがチャンスだと思った。
「母さん、じゃあ俺が届けようか?」
 ニッと笑う響。
「良いの? じゃあお願い。日持ちしないものだから、なるべく早くね」
 響の母親は彼にお土産の袋を託す。
「分かった」
 響は早速準備する。
 奏にメッセージを送った。
《かなちゃん、うちの親がかなちゃんの両親に渡したいお土産があるって。今から俺が届けるけど、家に行って大丈夫?》
 すると、すぐに既読が付いた。
《はい。大丈夫です。でも、今両親も祖父母も不在で私一人ですよ》
 奏からそう返事があった。
《うん。丁度かなちゃんと話したいこともあったから、行くね》
 響はそう返事をし、お土産と自身のクラリネットケースを持って家を出た。

(うわあ……大きい家ばっかり……)
 地図アプリを使い、奏の家まで歩いていた響。
 現在響がいる場所は高級住宅街。
 いかにも富裕層が住んでいそうな家ばかりで響は気が引けてしまう。
(あ、ここだ。かなちゃん、こんな凄い家に住んでるんだ……。そういえば、マンションの隣の部屋に住んでた時も、かなちゃんの家の家具は高級そうだったなあ。かなちゃんの両親、どっちも金持ちだって聞いたことあったし……)
 響はたどり着いた奏の家を見て完全に気後れしていた。
 それは響が今まで見た中で一番大きく高級感ある外観の家だった。
 響は奏に到着したとメッセージを送り、門のベルを鳴らした。
 するとインターホンから声が聞こえる。
『どちら様ですか?』
 控えめな奏の声だ。
「小日向響です。かなちゃん、来たよ」
 響は緊張しながらインターホンに向かって話した。
『今開けます』
 インターホン越しに奏がそう言い、それ程待たないうちに玄関から奏が出て来た。
 奏は広い庭を通り、門の前にやって来て鍵を開ける。
「どうぞ」
 奏は上品な白いリボンブラウスに、紫のロングスカートを履いていた。
(かなちゃん、私服が上品だ……。綺麗……)
 響は思わずドキッとし、見惚れていた。
「響先輩?」
 奏は怪訝そうな表情だ。
「あ、ごめん」
 響はハッと我に返る。
「ありがとう。……凄い家だね。庭も広いし」
 響は家と庭を見渡し目を大きく見開いていた。
「曽祖父の代から住んでいる土地みたいです」
 奏は控えめに微笑んでいた。
「お邪魔します……」
 響は家に入り、豪華な玄関に圧倒されていた。
(うわあ……! 凄過ぎる……! こんな家に住むなんて、やっぱりかなちゃんお嬢様じゃん……!)
 響は家中キョロキョロ見渡していた。
「とりあえず、リビングにどうぞ。今紅茶を淹れますね」
 奏はそう言い、響をリビングに案内した。
 響の予想通り、リビングも高級感があった。
 緊張しながらシックなソファに座る響。
 肌触りから高級そうな感じがし、緊張感が余計に高まる響である。
 奏は慣れた様子で高級感ある空間を歩き、紅茶を淹れている。
(様になってるなあ……)
 響は思わず奏に見惚れていた。
「どうぞ」
「ありがとう」
 しばらくし、出された紅茶を飲む響。
 今まで飲んだことのないような高級な味がした。
「それで、うちの親からのお土産なんだけど」
 少し落ち着きを取り戻した響は、お土産が入った袋を奏に渡す。
「ありがとうございます、響先輩。両親にも伝えておきますね」
 奏は響からお土産を受け取った。
 響の一つ目のミッションはこれでクリアである。
「うん。それとさ、今は学校じゃないし、昔みたいにタメ口でも良いよ」
「でも……響先輩は一学年上ですし……」
 奏は困ったように苦笑した。
「じゃあ無理にとは言わないけど」
 響は柔らかく微笑んだ。
 そして、残るミッションは一つ。
 響は先程とは違う緊張感を持ち、持って来たクラリネットケースにゆっくりと手を伸ばす。
「響先輩、何でクラリネットを持って来たのですか?」
 怪訝そうな表情の響。
「かなちゃんのフルートがまた聴きたくて。俺がクラリネット吹いたら、もしかしたらかなちゃんも乗ってくれるかなって思った」
 真っ直ぐ奏を見る響。
 奏の表情が強張った。