音漏れで、かの有名なウェディングソングをカバーするりーくんの声がした。

「今結婚式の歌いらんな。マジ。歌うにはまだ早いわ。もうちょい大人になってからにしよ。」
私より先に反応した麻沙美がちょっとイラついたように言う。十分プロデューサー面だった。

「うん。いらん」

「でもさ、もしそれ、結婚してたら普通に不倫カウント取れる奴じゃないの。それが彼氏ならまだ間に合うから辞めた方がいいんじゃない?」

「…相手には今まで助けてもらったからさ」

離れられないんだよ。夫からも、アイドルからも。

辛い時、そばにいたのはアイドルで、夫で。
私を辛くさせたのもアイドルで、夫で。

私が働けない間、金銭面を支えてくれていたのも夫だった。

「ごめん、そんな簡単な話じゃないよな。結婚って」
麻沙美はさっき私に買ったのと同じスポーツドリンクを飲み干した。
麻沙美は、今まで彼氏がいない。
人見知り故、初めて会う人には愛想がないと言われがち。
かといって、彼氏がいる人を揶揄したり、馬鹿にしたりはしない。
とても冷静なタイプなだけ。結婚したら現実を見て、生活できそうなのに。

麻沙美には幸せになってほしいけど、
今現状から結婚が幸せになる手段とも限らないのを知っている。
麻沙美も多分知っているから結婚を視野には入れてないんだろうなと分かっている。実家を出たことで、自由になれると信じていた。好きな人に支えられて生きていく事を幸せだと、好きなものを好きだということを幸せだと盲信していた。


「私、彼氏おったことないし、独身やし。
沙良とは全くの別人よ。
やから、沙良の事、十分には分からんと思う。
沙良も知ったような事言われたくないと思うから。私の感想を言うよ」

「前置き長」

うるさい、と軽くこつかれた。

「私は、距離を静かに置いたら?とは思うよ。
ここは田舎と違って他人が私らに興味がないでしょ?別居したって、浮気したって何も言わないでしょ?無理して、仲良くするくらいなら割り切って仮面夫婦になるか、別居して、週末婚とかにするほうが、沙良にとってまだ楽なんじゃない?」

麻沙美はスマホで高速バスの時間を見ていた。

「一緒に徳島まで帰ろ」

「お母さんに怒られへんかな」

「旦那から逃げてきた娘を怒るような親なん?それは私の家のことやろ」

麻沙美の家は、昔で言う【本家】【分家】とかがあるタイプの家庭で麻沙美は【本家】で暮らしていた。おじいさんが地主で割と横暴な人だったと覚えている。
麻沙美はその爺さんの横で恥ずかしそうに立っているところを町内会で私の母親は見ていたようだ。

『女ばかりでアカンわ、って孫わざわざ連れてきて周りに、言いふらすおじいさん。関わりたくないな』

母親がそう言っていたのを思い出した。

女だからというだけで麻沙美は、私は呪にかけられている気がした。


男を立てないと存在を許されない。
それが嫌だから、そんな事しないアイドルが好きだったのに、女を殴って姿を消した。
一人で息ができなくなって、好きな夫と結婚したのに、
夫は私を『家』や『安定している、怒らない人』
と認識している。

私を私として認識して、必要としてくれるのは誰?

それが分からなかった。
神楽くんが私の一票を欲してくれていたから。
私はこの会場にまで来られたのに。

麻沙美ともまた一緒に遊べたのに。


「旦那がもし私がいない間にその女を連れ込んでたら嫌だから、新品のゴムの箱の中身全部抜いてきた。帰って、もし中身が何個かあったらアウトだと思う。そうなったら帰ろうかな」

「しっかり罠してるやん。ほな、帰ってくる時、迎えに行くから連絡ください」

麻沙美は笑って立ち上がる。「尻がいたいわ。もうライブ終わったな」と伸びをした。

「ありがとう、麻沙美」
「私、沙良がずっと羨ましかったよ」
「私が?無い無い。普通よ」

「その普通に、私はなりたかったんよ。じゃあ、帰るわ」

麻沙美は下を少しだけ見た。

地面には吐き捨てられたガムがこびりついていた。