「え?沙良どしたん?」

指先が、口が、震える私に気がついたのか、隣に座った麻沙美が肩を叩いた。ペンライトの設定が終わったのか、黒(というかグレーっぽい)色に光っていた。

「い、いや。テンション上がってドキドキしてきただけ。今はまだライト消しときな。」

せっかく麻沙美も来ているのにチケットを無駄にしたり嫌な思い出にしたくなくて虚勢を張る。

公演が始まったら大丈夫。全部忘れられる。

いつもライブ見たらテンション上がりすぎてセトリなんか全く覚えてない。ただ高揚から来る肉体疲労があるだけ。

大丈夫。今まで忘れてたじゃない。

「ペンライトとうちわは胸から上に上げちゃだめだからね」

からからに乾いた口から、ライブ注意点を麻沙美に告げる。

会場もそろそろ満席に近づいてきた。ざわめき出す。数千人が歩くたびに床が揺れる。
その揺れがさらに私の動悸を駆り立てた。


しびれる指先で、スマホをマナーモードにする。

メールが1件。入っていたけど見る気にはならなかった。
夫からだったから。

夫は、私の趣味を理解してくれているとばかり思っていた。
いや、理解したうえで、自分の行いを正当化したかっただけなのかもしれない。

ずっと浮気癖があるのは知っていた。

知ったうえで結婚したのは私だったから、この前のような事があるのは予測できた事なんだ。


「沙良、私トイレ行きたいから一緒に来て」

震える左手。全てを掴み上げた麻沙美の手は力強くて、カサカサだった。嫌、私の手が冷や汗まみれだったのかも。