あの一件から一週間近く経った。
家族の見舞いもないし、西崎は部活で忙しいのかきていない。
精神的にも安定してきているので、安心だ。
僕自身、暇ではない。寝たきりだったために体が弱くて、リハビリが必要なのだ。
「順調に戻ってきていますよ、これからも少しずつ」
そう言ってくれる看護師に笑みをうかべる。
今は、レバーを引けば動く車椅子を使えばどこにでも行ける。
売店で菓子パンを買うこともできる。
とはいえ、お金はないので買えないのだが。
看護師が、出ていくと変わるように西崎がきた。
「久しぶりだね」
「一週間ぶりかも」
ニコニコの笑顔で椅子に座った彼女。
甘い香水の匂いが、鼻口をくすぐる。
いいことでもあったのかもしれない。
「なんかあった?」
「聞いちゃうの?」
そのくせ嬉しそうだ。聞いてくれと圧をかけていたから聞いたのに。
「実はね、演技褒められた」
「えぇ、よかったじゃん」
「覚えるの難しかったけど、嬉しいよ」
と、溢れた喜びが見てとれる。
「おめでとう」
「ね、演劇見にきてくれる?」
「あぁ、真島が行くって言うなら見に行こうかな」
「えー、一人でもいいから来てよ」
「わかったよ」
「絶対だよ?」
「うん、絶対」
まるでカップルにありそうなやりとり。落ち着け、僕。
「いつやるの?」
「もう二週間もないかも。十一月の初めの土曜日」
「確かに。もう二週間もないのか」
彼女はそれまでの期間、ずっと練習してきて、これからの二週間も練習するという。
なんだか、変わっていく彼女に僕は一緒にいていいのか疑問に思った。
こんな僕が、ここにいていいのだろうか。
死にたがりの僕が、彼女たちと。
「外出許可って出てるの?」
「出てない。これから、取らなきゃ」
「すぐ出る?」
「わかんない」
「えー」
「すぐ取ってもらえるようにするから」
面会時間終了のチャイムがなる。
ギリギリの時間でわざわざ会いに来てくれた彼女に感謝だ。
夜、看護師に外出許可の願いの旨を伝えた。
それなりに仲良くなった看護師のせいで、デートなのかと問われ流石に困った。
彼女とは友達以上の関係ではない。
真島もいてこそ、三人の仲みたいなものだ。西崎も真島も恋愛感情なんてものはないだろう。
夜の窓の外の景色に目をやる。
あの夏の夜を何度も思い出す。
あの夜死んでいたら、今の地獄はどこにもない。
この先、生きていて楽しいことなんてないのだろう。
就職に向けて、面接練習とかして。就職して、仕事をして。
それも全部、弟の将来のために。
僕の将来なんてものは一切考慮されたことはない。
命令に従うだけのロボットのよう。中身のない空っぽな存在に思える。
だけど、今は、この瞬間が好きだった。
西崎がいて、真島がいて。
この二人とゲームとかただ話すだけでも楽しい。
この瞬間が永遠にあればいいのに。
時間が無情に過ぎていく。
何もないまま消えていく。
得るものもない。
あと一年半もしたら、就職か。
それも全部弟のため。
母親から聞いた。弟は、大学進学まで視野に入れて偏差値の高い高校に行く予定らしい。
それは私立の高校でも同じで、高い学費を払うことになるのだろう。
養育費もまともに払ってもらっていない今、僕が働くしかない。
そんなこと言っても、なりたいものもなくて、ただ死にたいだけで生きてきたばかりに。やりたいことすら見つからない。
適当に工場にでも勤めて、生活しようか。
将来なんて今まで考えることもできなかったのに、意外だ。
そんな自分に驚いてしまう。
生きる希望がない。あるのは地獄だけ。
この世界に、希望があるなら、それは死だけだ。
死ねた我妻が羨ましい。
マンションの四階だったからいけなかったのだろうか。
わからないけど、でも、なんとなく今は死にたくない。
西崎と真島がいるのなら。
学校はどうしようか。
我妻がいないにしても、クラスでまた馴染めるだろうか。
あれだけ知らないふりを見て見ぬ振りをされてきたのだ。
今更、仲良くなりたくないし、馴れ馴れしくされたくない。
やめようか。
母親に連絡する。
学校辞めます、通信制の学校にします、と。
すぐに既読がついた。
了解ですと、返事がくる。
苛立ちが募った。
ちゃんと僕が死んでいれば、保険金とかで弟の学費は多少楽になっただろうに。死に損ないが。
母親に電話をしてみた。
もしもしと、声が聞こえる。
「あのさ」
「うん」
「ごめん」
「今、どこ」
また死のうとしていると思ったのだろうか。ベッドの上なのに。
心配かけていることに気づく。
でも、それも今更じゃないか。
お金のために仕事を始めて、家族を養うほどの金銭は足りない。だから、僕もバイトをして家計の足しにした。
はずなのに、僕は詰めが甘く父親にバイト代を取られた。
親不孝者が何をしても、不幸に転じるのなら生きる意味はあるのか。
「ベッドの上だよ」
「そう」
「お金、また働くから」
「……もう無理しなくていいのよ」
「無理はしてない。安心して、大丈夫だよ」
「あなたは、いつもそうだった。大丈夫大丈夫って。父親の理不尽から守れなくてごめんなさい」
涙ぐむ母親の言葉に、あぁまた僕は心配をかけさせてしまったのだと自責の念に駆られる。
「陸のことも気づけなくて」
「気にしないで」
「馬鹿な母親でごめんなさい」
だから、通信制の学校もすぐに了承できたのか。
察してしまう。
「でも、僕が通信制に行ったらお金は」
「大丈夫よ、気にしないで」
僕の言った言葉を使ってくる。大丈夫じゃないんだろと、開いた口を閉ざす。
「あなたの苦しみを理解してやれなくてごめんね」
「……ねぇ、僕の名前は何が由来なの?」
父親は、言った。生まれた時何も思わなかったから空。空っぽで、愛を感じられなかったから空。
それが、母親も本当なら、その言葉を飲み込みたくなかった。
「あなたね、泣くこともせず、病院から見える空模様をみてたの。ずーっと、みてるの。だから、空。空が好きなのかなって思って」
「……」
空っぽだから空、じゃなかった。
母親は、
「僕のこと、好き?」
父親と違って。
「好きだよ」
優しい、温かみを感じる声。
思わず涙が、こぼれた。必死に拭う。
声が漏れないように、抑える。
「またどこか出かけよう。退院したら、どこか行こう。あなたの好きなところにいくらでも行こう」
「でも、お金」
「気にしなくていいの。行きましょう、みんなで」
「弟は」
「陸は、大丈夫よ。受験が終わってからでも」
「……そっか」
「そうよ。誕生日はまだ先だけれど、ケーキでも食べましょう」
「いいよそこまでしなくて」
「ずっと我慢させたでしょ。もう、我慢しなくていいから。我儘でいいから」
とめどない涙が、頬を伝う。何度も何度も伝っては、掛け布団が濡れていく。
ベッドにある机に額を乗せる。左手で頭をおさえる。
今度は机が濡れていく。
スマホを置いて、右手で涙を拭った。
必死に。
スマホから小さく母親の声が聞こえる。
「あなたをもう一人にしないから」
唇を噛んで、声が出ないように。
「あなたの好きなように生きて」
限界だった。
「……っ!!……ありがとっ!!」
きっと、嗚咽も聞こえたかもしれない。電話を切った。
絶望で泣き叫ぶことは知ってた。
でも、嬉しくて泣くことは知らなかった。
僕は、一人じゃなかった。
頼れる人がいた。母親がいた。
一緒にいてくれる人がいる。
その優しさや温もりが今は一番嬉しかった。
夜のベッドで一人泣いていることは誰にも知られていないといいなと、思った。
外出許可が、でた。
西崎にLINEを送ると秒速で返ってきた。
真島も連れて、行くことになった。
久しぶりに楽しみができた。
そして、二週間後、僕は演劇を見に劇場まで足を運んだ。
家族の見舞いもないし、西崎は部活で忙しいのかきていない。
精神的にも安定してきているので、安心だ。
僕自身、暇ではない。寝たきりだったために体が弱くて、リハビリが必要なのだ。
「順調に戻ってきていますよ、これからも少しずつ」
そう言ってくれる看護師に笑みをうかべる。
今は、レバーを引けば動く車椅子を使えばどこにでも行ける。
売店で菓子パンを買うこともできる。
とはいえ、お金はないので買えないのだが。
看護師が、出ていくと変わるように西崎がきた。
「久しぶりだね」
「一週間ぶりかも」
ニコニコの笑顔で椅子に座った彼女。
甘い香水の匂いが、鼻口をくすぐる。
いいことでもあったのかもしれない。
「なんかあった?」
「聞いちゃうの?」
そのくせ嬉しそうだ。聞いてくれと圧をかけていたから聞いたのに。
「実はね、演技褒められた」
「えぇ、よかったじゃん」
「覚えるの難しかったけど、嬉しいよ」
と、溢れた喜びが見てとれる。
「おめでとう」
「ね、演劇見にきてくれる?」
「あぁ、真島が行くって言うなら見に行こうかな」
「えー、一人でもいいから来てよ」
「わかったよ」
「絶対だよ?」
「うん、絶対」
まるでカップルにありそうなやりとり。落ち着け、僕。
「いつやるの?」
「もう二週間もないかも。十一月の初めの土曜日」
「確かに。もう二週間もないのか」
彼女はそれまでの期間、ずっと練習してきて、これからの二週間も練習するという。
なんだか、変わっていく彼女に僕は一緒にいていいのか疑問に思った。
こんな僕が、ここにいていいのだろうか。
死にたがりの僕が、彼女たちと。
「外出許可って出てるの?」
「出てない。これから、取らなきゃ」
「すぐ出る?」
「わかんない」
「えー」
「すぐ取ってもらえるようにするから」
面会時間終了のチャイムがなる。
ギリギリの時間でわざわざ会いに来てくれた彼女に感謝だ。
夜、看護師に外出許可の願いの旨を伝えた。
それなりに仲良くなった看護師のせいで、デートなのかと問われ流石に困った。
彼女とは友達以上の関係ではない。
真島もいてこそ、三人の仲みたいなものだ。西崎も真島も恋愛感情なんてものはないだろう。
夜の窓の外の景色に目をやる。
あの夏の夜を何度も思い出す。
あの夜死んでいたら、今の地獄はどこにもない。
この先、生きていて楽しいことなんてないのだろう。
就職に向けて、面接練習とかして。就職して、仕事をして。
それも全部、弟の将来のために。
僕の将来なんてものは一切考慮されたことはない。
命令に従うだけのロボットのよう。中身のない空っぽな存在に思える。
だけど、今は、この瞬間が好きだった。
西崎がいて、真島がいて。
この二人とゲームとかただ話すだけでも楽しい。
この瞬間が永遠にあればいいのに。
時間が無情に過ぎていく。
何もないまま消えていく。
得るものもない。
あと一年半もしたら、就職か。
それも全部弟のため。
母親から聞いた。弟は、大学進学まで視野に入れて偏差値の高い高校に行く予定らしい。
それは私立の高校でも同じで、高い学費を払うことになるのだろう。
養育費もまともに払ってもらっていない今、僕が働くしかない。
そんなこと言っても、なりたいものもなくて、ただ死にたいだけで生きてきたばかりに。やりたいことすら見つからない。
適当に工場にでも勤めて、生活しようか。
将来なんて今まで考えることもできなかったのに、意外だ。
そんな自分に驚いてしまう。
生きる希望がない。あるのは地獄だけ。
この世界に、希望があるなら、それは死だけだ。
死ねた我妻が羨ましい。
マンションの四階だったからいけなかったのだろうか。
わからないけど、でも、なんとなく今は死にたくない。
西崎と真島がいるのなら。
学校はどうしようか。
我妻がいないにしても、クラスでまた馴染めるだろうか。
あれだけ知らないふりを見て見ぬ振りをされてきたのだ。
今更、仲良くなりたくないし、馴れ馴れしくされたくない。
やめようか。
母親に連絡する。
学校辞めます、通信制の学校にします、と。
すぐに既読がついた。
了解ですと、返事がくる。
苛立ちが募った。
ちゃんと僕が死んでいれば、保険金とかで弟の学費は多少楽になっただろうに。死に損ないが。
母親に電話をしてみた。
もしもしと、声が聞こえる。
「あのさ」
「うん」
「ごめん」
「今、どこ」
また死のうとしていると思ったのだろうか。ベッドの上なのに。
心配かけていることに気づく。
でも、それも今更じゃないか。
お金のために仕事を始めて、家族を養うほどの金銭は足りない。だから、僕もバイトをして家計の足しにした。
はずなのに、僕は詰めが甘く父親にバイト代を取られた。
親不孝者が何をしても、不幸に転じるのなら生きる意味はあるのか。
「ベッドの上だよ」
「そう」
「お金、また働くから」
「……もう無理しなくていいのよ」
「無理はしてない。安心して、大丈夫だよ」
「あなたは、いつもそうだった。大丈夫大丈夫って。父親の理不尽から守れなくてごめんなさい」
涙ぐむ母親の言葉に、あぁまた僕は心配をかけさせてしまったのだと自責の念に駆られる。
「陸のことも気づけなくて」
「気にしないで」
「馬鹿な母親でごめんなさい」
だから、通信制の学校もすぐに了承できたのか。
察してしまう。
「でも、僕が通信制に行ったらお金は」
「大丈夫よ、気にしないで」
僕の言った言葉を使ってくる。大丈夫じゃないんだろと、開いた口を閉ざす。
「あなたの苦しみを理解してやれなくてごめんね」
「……ねぇ、僕の名前は何が由来なの?」
父親は、言った。生まれた時何も思わなかったから空。空っぽで、愛を感じられなかったから空。
それが、母親も本当なら、その言葉を飲み込みたくなかった。
「あなたね、泣くこともせず、病院から見える空模様をみてたの。ずーっと、みてるの。だから、空。空が好きなのかなって思って」
「……」
空っぽだから空、じゃなかった。
母親は、
「僕のこと、好き?」
父親と違って。
「好きだよ」
優しい、温かみを感じる声。
思わず涙が、こぼれた。必死に拭う。
声が漏れないように、抑える。
「またどこか出かけよう。退院したら、どこか行こう。あなたの好きなところにいくらでも行こう」
「でも、お金」
「気にしなくていいの。行きましょう、みんなで」
「弟は」
「陸は、大丈夫よ。受験が終わってからでも」
「……そっか」
「そうよ。誕生日はまだ先だけれど、ケーキでも食べましょう」
「いいよそこまでしなくて」
「ずっと我慢させたでしょ。もう、我慢しなくていいから。我儘でいいから」
とめどない涙が、頬を伝う。何度も何度も伝っては、掛け布団が濡れていく。
ベッドにある机に額を乗せる。左手で頭をおさえる。
今度は机が濡れていく。
スマホを置いて、右手で涙を拭った。
必死に。
スマホから小さく母親の声が聞こえる。
「あなたをもう一人にしないから」
唇を噛んで、声が出ないように。
「あなたの好きなように生きて」
限界だった。
「……っ!!……ありがとっ!!」
きっと、嗚咽も聞こえたかもしれない。電話を切った。
絶望で泣き叫ぶことは知ってた。
でも、嬉しくて泣くことは知らなかった。
僕は、一人じゃなかった。
頼れる人がいた。母親がいた。
一緒にいてくれる人がいる。
その優しさや温もりが今は一番嬉しかった。
夜のベッドで一人泣いていることは誰にも知られていないといいなと、思った。
外出許可が、でた。
西崎にLINEを送ると秒速で返ってきた。
真島も連れて、行くことになった。
久しぶりに楽しみができた。
そして、二週間後、僕は演劇を見に劇場まで足を運んだ。