間宮に言われてから、どうしたいのか考えた。
 今、心の底にしまい込んでいる感情とはなんだろう。
 学校のこと、家族のこと。
 わからないけれど、ノートに書いたそれは空白だらけ。
 人らしくいると言うのはどう言うことなのだろう。
 彼女にわかるものなのだろうか。
 気晴らしに、教室を見渡す。窓から二番目の後ろの席の俺は、クラスをちょうど見渡すことができる。
 隣には、我妻の席がある。
 彼が事故に遭い死んだこと。
 それ以降、いじめは無くなったし、クラスの雰囲気はとてもいいものだと思う。
 グループ派閥に順位をつけて、アニメオタクなんかを下に見がちだった彼。
 今では、そんなことはない。
 廊下側の一番前の席に座る真島。あそこは田中の席である。
 真島は今、彼らオタクたちと談笑している。
 おすすめのアニメを教えてもらってから、たくさんアニメを見て仲良くなっていった真島。
 きっとアニメオタクたちはこんなやつに教えたってどうせ見ないとか、明るいやつに絡まれたとかネガティブなことを言うだろうに、今その環境にそれらを感じることはない。
 彼は、アニメオタクに好かれたのだろう。
 俺はどうだろうか。このクラスにいるだろうか。
 必要なのはきっと、寄り添うことであって拒否反応を示すことじゃない。
 だけど、我妻は違った。それにハッとすることもあった。
『お前らがゲイだかなんだか知らねぇけどさ、それをクラスに伝えてなんになんの?それ言ったら、肯定してください?見守ってください?そんなのお前らの都合だろうが。なんで人に許しを求めてんの?』
 そして。
『それを認めりゃ、自分達は愛を育めます、か?傲慢だな。黙って隠れてやってくれよそんなこと』
 傲慢という響き。
 彼らにそんなつもりはなかったと思う。
 後ろの廊下で男子二人でいちゃつく彼らは、言い返した。
『でも、男女のカップルだって堂々と付き合ってるじゃん』
『自分から言うもんじゃねぇだろ。気持ち悪い。人に強要すんなよ。堂々と付き合ってんのが羨ましいなら、そうしておけば?それを傲慢だって言ってんの』
 そんなこと言って仕舞えば、彼らは言うだろう。我妻はそれを見たらいじめるだろ?と。
 しかし、彼ら二人は言い返すことはしなかった。
 田中といういじめられる存在が目の前にいるから。
 その場に田中はいないから、的にされる可能性を考えたのだと思う。
 我妻の前では、正しい判断だったと思う。
 いじめの現場を見たい奴なんていない。
 だが、どうだろう。
 今この場に我妻がいなくなってイキイキと生活できるようになった。それは、正しいことなんだと思う。
 ずっとギスギスしていれば、生活は苦しい。来なくなる奴も出ただろう。
 我妻がいなくなったことは正しいことなんだ。
 なのに、今の俺は我妻の死をなんとも感じていない。
 嬉しいとも悲しいとも思わない。
 それが、人らしくなくて気持ち悪かった。
 ため息をついて、窓の外の景色を見る。田んぼばかりの田舎丸出しの景色。数台の車が走っている姿。
 外の景色を見たってどうしようもないのに。
 LINEの通知がなる。
 間宮からだ。
『今日の十七時スタバ集合』
 彼女は、俺の学校が山を降りまっすぐ行ったところにあると知らないのだろう。ここから四十分はかかる。
『了解』
 スマホを閉じると真島が来ていた。
「お前もこのアニメ見てみろよ。面白いぞ」
「くだらない」
 適当にあしらうと彼は、スマホの画面を無理やり見せてきた。
「女性戦士の話か?くだらん」
「まぁ、それがなんともね。三話だけ見て」
 昔のアニメは、三話見ないと話が進まないなんて言葉を以前真島は言った。
「長い。一時間くらい取られるんだろ?」
「映画だと思え」
「無理だね。なら、映画行く」
「お、じゃあ、今日行くか?」
「どれだけ時間かかると思ってんだよ」
 最寄りの映画館までやはり四十分はかかる。
「なんだよ。冷めてんな」
 冷めてる。そう言われるとそうなのかもしれない。
 我妻が死んでから、いや、それ以上前から冷めているのかもしれない。
 間宮が言っていたように、俺は感情を抑え込んでいるのだろうか。だから、何も感じなくなってしまったのか。
「前の優しいお前はどこいったんだか」
「優しいとこなんてないよ」
 俺を見やるとスマホの画面を閉じて、ため息をつく。
「お前も演劇でも見に行くか?西崎が、主演だってよ」
「オーディション勝ち抜いたのか」
「らしいよ。すごいよな」
 裏方で、静かな彼女が勝ち取った主演。
 何が彼女をそうさせたのか、聞くまでもなかった。
 一学期からずっと仲のいい田中が影響を与えたんだろうことくらいすぐにわかった。
「西崎は、どうして裏方のままじゃないんだろうな」
 何を言いたいのかわからない表情を見せる真島。
「裏方の方が楽だったりしないのか?表に立つなんて柄じゃないし」
「変わりたいんだって。それを田中に見せたいって」
「……どうして」
 変わりたい気持ちがわからなかった。
 変わることで、何を得られるだろう。
 間宮を不登校にさせた俺なんか、こうやって静かに後ろにいた方がいい。
 ムードメーカーとして、盛り上げる必要もない。
 盛り上げて仕舞えば、またどこかで陰りがさす。
 やめておけ、そんなこと。後悔するだけだ。
「さぁな」
 俺の疑問に答えてくれる人は、いなかった。

 放課後、猛ダッシュでスタバに向かう。
 流石に遠い。自転車を漕いでも間に合うかわからない。
 どうして、こんなに焦るのだろう。
 自分の気持ちは、間宮に対して反省の気持ちしかない。
 時間厳守ということだろうか。それが少しの反省になるかもしれないと淡い期待を抱いたのだろうか。
 スタバに到着すると急いで、中に入る。
 キョロキョロとあたりを確認すると制服姿の間宮がいた。
 手を上げてくれた彼女に手を上げて反応を返す。
「ごめん、遅くなって」
「ううん。遠いだろうから、わざと早い時間に設定した」
「……遊んだか?」
「ごめんね?」
 企みにまんまと嵌められた。
 俺は女子に遊ばれがちじゃないか?西崎にも遊ばれたばかりだが?
「別にいいよ。なんか頼んだ?」
 首を横に振る彼女。これは俺が奢るしかない。スタバという高校生にとって高級カフェで。
 夏休み中にバイトしておいてよかったと思うが、もうそのお金もなくなりそうだ。
「奢るよ、行こうか」
「奢られるの嫌いなので、割り勘で」
「……」
 男の面を立たせてくれよ。プライドが……、そのプライドが……。
 平日の夕方ということもあって、人が少ないので、すぐに注文を行うことができた。
 さっと千円札を一枚出してカッコつける。
 ヘアセットも眉を整えることも欠かさなかった俺は今清潔感の塊だ。肌もまぁ綺麗なので。プライド高いので。
 しかし、女性店員は困り顔を見せていた。
 横からパッと小銭を出した間宮。
 あり得ないと金額を見直すと、千二百円近くしていた。
「……っ!?」
 ワンドリンク、六百円もするのか!?
「やば、女性経験ないのバレるわ」
「ハハッ、何それ、面白い」
 笑いのツボが浅いのか、彼女は笑っていた。女性経験というより、スタバの経験が乏しいだけだが。
 女性店員もくすくす笑っていた。あの、プライドってやつが……、男の威厳が……。
 ドリンクを待つ時間にいう。
「二百円を返す」
「いいよ、少しくらい出させて?割り勘させてくれなかったし」
 女子高生の意地とはなんだろうか。そんなものいらないから、反省を態度で示させてくれ。
「……ありがと」
「よろしい、感謝を言える男はモテるよ」
 いらんこと言うなよ。
 というか、間宮は中学生の頃と少し雰囲気が変わった。なんだか眉は整っているし、綺麗な笑顔を見せるようになったし。
「メガネさ、丸メガネに変えたんだな」
「……口説きにきてる?」
「なんでそうなるんだよ」
 ドリンクが来て、礼を言って席に戻る。
 やはりあの頃とは違った。
 女子は変わるのか。変化を望むのか。
 西崎のように、演劇で主演を務めるように。
 彼女もまた明るい女子高生になろうとしているのか。
「それで、なんで今日は」
「聞きたくてさ。高校入ってから変わったって聞いたから」
 俺と同じ学校に進学した間宮の女友達が、彼女に伝えたらしい。
「亡くなったんでしょ?あなたの友達」
「……」
 言葉がすぐに出ない。
「まぁ、そうだな。でも、間宮には関係ない」
「そうだけどさ。だいぶ雰囲気変わったって聞いてる。中学生の頃とは大違いって」
「いじめに加担したようなものだからな。昔と変わらない」
 間宮に許してもらおうなんて、傲慢だと思った。
 我妻が言うように、自分から伝えることで他者に強要するのは傲慢だ。
 わかってもらおうなんて、烏滸がましい。
「いじめ?」
 初めて聞いたような顔に、あたらめて思い返す。
 間宮の女友達は、同じクラスじゃないから全てを知っているわけじゃないのかと。
「うちのクラス、いじめがあったんだよ。結構ひどくてさ。殴るし、蹴るし。カーストはあるし。俺は、その主犯と仲が良かった。助けようだなんて一度も思わなかった」
「……」
「ずっと、もうこんなことが起きてほしくないって思ってた。高校入ったら、でしゃばらずにだけど、クラスがみんな仲良くあるようにって」
「……できなかったの?」
「無理だった。そいつ、最初めっちゃいいやつだった。すぐ仲良くなれたし。でもさ、気づいたら全部が遅かった。そいつとずっと話してたら出来上がってた。カーストが、順位が。……いじめが」
「……」
「でも、変えようとは思わなかった。一つ動かすことで、最悪の方向に行くことが怖かった。恐ろしかった。自分のせいでまた誰かが傷つくことが許せなかった」
 だからずっと思ってた。
「間宮が、学校に来なくなって。謝罪もできなくて。でも、謝ることが全てじゃないって思ったし。態度で示すべきだって言い訳もした。今日、間宮に呼ばれてきたのも贖罪のつもり」
 変わったと思われるのなら、変わったのかもしれない。
 そう思われるような、生活態度だから仕方ない。
「私に贖罪って」
「あの時は、本当にごめんなさい。許して欲しいとは思いません。あの時、会うとは思わなかったし、もう二度と会うことはないって思ってた。でも違った。だから、謝るなら今しかないと思ってる」
「……」
「俺が、感情を押し殺してるとかそんなこと気にしなくていい。いじめを見て見ぬ振りした俺なんか。間宮を不登校にさせた俺なんか。いい人じゃないし、優しい人じゃない。もっと言えば、ムードメーカーでもない。一歩間違えれば、その主犯と同じ人殺しだった」
 誰も死んでいないのが普通じゃない。いつかどこかで死んでいく。それが、俺の手で殺すことになっても。そうならなかったことが、不幸中の幸いだと言うのなら、俺はそれが許せない。
「……もう会わない方がいいと思うよ。間宮が、またあの頃を思い出して、苦しくなるなら俺はいないべき存在」
「勝手に話進めないで」
 ピシャリと厳しい声音で彼女はいった。
「でも」
「あなたが、そういう人だってわかってるから。私は、あなたに会うことにした」
 だってと続けた。
「主観的なあなたは、周りをちゃんと見れないもの。周りを見ることはできるのに、周りがあなたに対して思うことはわかってない。自分を責めすぎなの」
「いや、でも」
 俺は、間宮を不登校にさせた。
 事実は変わらない。
「いつ、私があなたのせいなんて言ったの?」
「中学の頃、会いたくないって」
「それはそうでしょ。女子にバレたら嫌だし。仲がいいって思われるのも嫌」
「……」
「ムードメーカーは、人気あるの」
「人気があって影響力があることを俺は知らなすぎた」
「だから、中学卒業してから会ってちゃんと話したいって思ったの」
 彼女の真剣な眼差しに俺は、なんだか笑えてきた。
 彼女の意思は変わってない。でも、なんだかんだ変化が垣間見える彼女の姿。
 俺は、何をしているんだろうか。
「そしたら、この有り様。スタバの値段もちゃんと見れないとか」
「お、おいやめろ。それは」
「だって、それだけでいいのに、女性経験とか言い出して。高校生が何言っちゃってんの?」
 と、ゲラゲラ笑う。
 つられて笑ってしまって、少し楽しかった。
 久々に笑ったかもしれない。楽しいと思えたかもしれない。
「間宮は、最近学校楽しいか?」
「楽しいよ。友達もできたし」
「彼氏は?」
「いないよ。モテると思う?」
「思うよ」
「嘘はいいから」
「ネガティブだな」
「どの口が言ってんの?」
 ちょっと怒った態度に、こんな顔するんだと意外だった。新しい一面を見れたかもしれない。
 そして、やはり思う。以前言ったあの言葉の真意はなんだろうか。
「感情を押し殺してるってどういう意味?俺は、やっぱりよくわからない」
「……そうだねぇ。そのままだよ。考えたくないだけじゃない?」
 眉間に皺が寄りそうになるのは、図星だからだろう。
 彼女に事情がバレている気がする。学校のことはバレているし、家のことも……。
 いや、そればかりは言うつもりはない。
「優しい人って、人に心配かけたがらないよね」
「……」
 バレていることは容易に察しがつく。
『優也は、優しいから待ってられるよね』
 幼稚園生の頃、父親がそう言い残して出て行った。
 母親にいつ帰ってくるのか聞いたことがある。
『いい子にしていれば、帰ってきてくれるよ』
 それが嘘だと言うことに俺は気づかないまま、いい子にしていた。優しい子でいようとした。
 クラスでも明るく優しい子でいれば、それでいい。
 先生から聞いた母親は安心した。
 でも、父親が帰ってくることはなかった。
 中学生の頃、父親とは離婚したと聞かされた。
 状況が飲み込めないまま、いつまでもいい人でいようとしていた。
 そして、今も離婚を信じようとは思わなかった。
「だから、今、あなたが隠していることが感情を押し殺す理由になると思ってる」
「間宮には関係ない話だと思うけど」
「関係ないかもしれない。でもさ、あの時、中学生の頃あなたがいなかったら私は暗いままだった。力になりたいだけだよ」
「…力になりたいなら、関わらないことをおすすめするよ」
「ほら、無神経に突き放そうとしない。やっぱり」
「優しくない」
 彼女の言葉に被せるように言う。
 吐き捨てた言葉は、彼女の口を止めた。
 あぁ、俺は怒っているんだ。こんなことで怒るとは思っていなかったけれど。
「悪いけど、間宮が思うより、優しくない。力になったところで君にメリットはないよ」
 日も暮れてきたので、帰ろうと告げる。
 その優しさだけで十分だといえば、彼女は唇を噛んでいた。
 彼女が俺に何を思っているのか、どんな感情を抱いているのかまでは知らないが、知ろうとは思わなかった。
 じゃあ、と自転車にまたがる刹那、視界のはしに見覚えのある制服姿が映った。
 あれは、我妻の葬儀にいた中学生男子だ。
 とても田中に顔が似ているので覚えていた。
「どうかした?」
 その中学生を見続けていたせいで、彼女に聞かれる。
「あ、いや、見覚えがあってさ」
 中学生と目が合う。
 彼もまた、俺を覚えていたのか遠くから会釈をしてきた。
 彼女に何も言わず、近づく俺。
「君、我妻の葬儀にいたよね」
 自転車も使わず歩いている姿にこの辺の人かと思ってしまうが、明らかに学区が違う。
 確か、真島の話なら田中と同じ学区の方だ。ここから少し離れるだろうになぜ。
「えぇ、まぁ」
 見ない制服に、中学生と来れば目立つが故に覚えてしまう。
「なんでここに?」
「僕は、受験の教材を買いに」
 母にお金を借りたと付け足す。
 近くに本屋があるけれど、一人でここまで歩くとは思えない。
 横にきた間宮が、尋ねる。
「受験生?」
 どう考えたって受験生な気がするけれど、今の学生は二年生から受験勉強を始めていたりするのだろうか。
「そうです。偏差値の高い学校に行こうと思ってて」
「名前は?」
「田中陸です」
 ……田中。
 もしかして。
「田中空の弟?」
「はい」
 俺は、言葉を失った。
 同じクラスの男だ。そして、いじめの主犯と仲が良かった。その事実を知ったら、どうなってしまうだろうか。
 いや、待てと冷静になる。
 ならどうして、彼はそのいじめの主犯である我妻の葬儀にきたのか。
「陸、話を聞かせてほしい」
 近くの飲食チェーン店で三人入ることにした。