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次の日。
ボクは図書室の当番のために学校へやってきた。
一番乗りで図書室に到着する。
花咲さんはまだ来ていないのか……。
静かな空間が広がる中、ボクは受付の席に座って、図書室の本を手に取った。
ページをめくるけれど、頭の片隅には花咲さんのことがちらついて、内容がまったく入ってこない。
どうしても、彼女のことが気になってしまう。
今日もまた、ボクは彼女にからかわれてしまうんだろうか。
本心では、それはイヤだけど、どうせなら上手く交わしてやりたい。
そう思いながら、ボクはただ静かに花咲さんが来るのを待っていた。
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しばらくして、図書室のドアがゆっくりと開く音がした。
ボクは反射的に顔を上げる。
きっと、いつものように楽しそうな顔をした花咲さんが入ってくるに違いない。
そう構えていたけれど――入ってきたのはまったく知らない女子生徒だった。
見た目は、控えめでおっとりとした印象を受ける。
初めて見る顔だな……。
「あの……星野くんだよね?」
少し遠慮がちな様子で、ボクに話しかける彼女。
ボクとは初対面のはずなのに、どうして彼女はボクの名前を知っているのだろうか。
「う、うん……そうだけど……」
ボクは不思議に思いながら答えた。
「初めまして。私、陽菜の友だちの橘美咲です」
橘さんが言う“陽菜”は、花咲さんのことだ。
それにしても、なんで彼女の友だちがここにいるのだろうか。
「今日、陽菜がどうしても来れなくて、その代わりに来たの。よろしくね」
「あっ、そうなんだ……よろしく」
てっきり花咲さんが来ると思っていたので、ボクは拍子抜けしてしまった。
橘さんがボクの名前を知っていたのは、花咲さんが教えたからなのだろう。
そっか……。
今日、花咲さんが来ないってことは、からかわれることはないんだ……。
って、なにガッガリしてるんだ!
いいじゃないか。
平穏な時間を過ごせるんだから。
でも、昨日花咲さんに会ったときは特に何も言っていなかったのに。
急に彼女が来られなくなったなんて、どうしたんだろう。
家の用事でもできたのか、それとも風邪でも引いたのか……少し心配になったけれど、真相はわからない。
「ごめんね、陽菜じゃなくて」
橘さんは少し気まずそうに視線を落としながら謝った。
まさか謝られると思っていなくて、なんだか申し訳ない気持ちになる。
「いや、それを言うのはこっちのほうだよ。夏休みなのに、わざわざ花咲さんの代わりに来てくれてありがとう」
どう返事をすればいいのか一瞬迷ったけど、とりあえずボクは橘さんに感謝の気持ちを伝えた。
図書室の仕事はひとりでもできるから、代行はいらなかったのに。
もしかすると、ボクをひとりにしないように気を遣って、花咲さんが橘さんに頼んでくれたのかもしれない。
「ううん、気にしないで。ちょうど学校に来る用事があったから」
本当は、橘さんが無理して来ているのかと少し気になっていたけれど、彼女の言葉でホッとした。
「星野くんって、思ったよりも話しやすいね」
「そうかな? 普通だと思うけど」
自分ではそう思っているけれど、他の人には話しかけづらいと思われているのだろうか。
最初こそ会話はなかったけれど、花咲さんはボクに話しかけてくれたしな……。
「陽菜から、星野くんの話をよく聞いてたんだ」
「花咲さんから?」
橘さんは「うん」と言いながら頷いた。
いったい彼女は橘さんに何を言ったんだろうか。
「星野くんは基本的にクールだけど、からかうのが面白いってさ」
その言葉に、ボクはなんだか間接的に花咲さんにからかわれているような気がして、内心ムッとした。
花咲さんめ……。
ボクの知らないところで、自分の都合のいいことを橘さんに話していたなんて。
「それは花咲さんが勝手に言ってるだけだから」
ボクはすかさず訂正すると、橘さんはクスクスと笑った。
「陽菜と仲がよかったんだね」
「……橘さんに比べたら、そんなことないよ。というか、橘さんが一方的に俺に絡んでただけだから」
果たしてこれを仲がいいと言えるのかは、いささか疑問だ。
だって、ボクは花咲さんにからかわれてばかりだから。
「そういえば、今日花咲さんが来れなくなった理由って知ってる?」
何気なくした質問に、橘さんの笑みがふっと消えた。
その瞬間、不穏な空気が流れて、胸騒ぎがする。
「えっと……それは……」
橘さんは目を伏せたまま、言葉を詰まらせた。
ボクに何かを伝えようとしているけれど、ずっと口をもごもごさせているだけだ。
彼女の不安に似たような気持ちが、こちらまで伝わってくる。
橘さんの様子から、これ以上無理に聞くのはやめようと思った。
「ごめん、困らせるようなことを聞いたみたいで……」
「ううん、こちらこそ……詳しく言えなくて、ごめんね……」
視線を下げて、申し訳なさそうに謝る橘さん。
「ううん、いいんだ。気にしないで」
ボクは彼女が責任を感じないように、軽く笑って見せた。
橘さんは小さく頷いたけれど、その表情は終始曇ったままだ。
彼女の反応からして、どうやら橘さんは花咲さんが来れなくなった理由を知っているようだった。
本当はそれを知りたい。
でも、その理由に触れることがだんだん怖くなってきて、どうしても踏み込む勇気が持てなかった。
橘さんとの間に、少し気まずい空気が流れる。
なんとかして、その雰囲気を変えるために話題を振ってみることに。
そうすると、橘さんは何事もなかったかのように普通に答えてくれたけれど、その悲しげな表情がどうしても頭から離れなかった。