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あれから1年が経った。
ボクはトートバッグを肩にかけ、クロスバイクに乗って公園内の河川敷へと向かう。
朝早く、街はまだ静かだが、あちらこちらで蝉が元気に鳴いている。
河川敷が近づくにつれて、涼しげな川のせせらぎが聞こえてきた。
青空が広がる中、川の冷気を含んだ夏の風が頬をなでる。
その涼しさを感じながら、田舎道を走るのはとても気持ちいい。
目的地に着くと、邪魔にならないようにクロスバイクを停めた。
橋の下でできた日陰に腰を下ろして、天然水を一口飲んで喉を潤す。
四季折々の美しい風景が広がる河川敷。
春には満開の花が咲き誇る桜の木々が、今は青々と茂っている。
歴史的建造物を背景にした夏の風景を眺めながら、ボクはトートバッグから一冊の本を取り出した。
今ボクが読んでいるのは、恋愛小説だ。
この1年で、今まで読まなかったジャンルの小説を読むようになった。
恋愛小説を手に取るようになったのは、いろんな形の「人を愛する」ということを知るのが興味深い。
小説を読みながら、もう一度、天然水を飲んでボトルを置いて、ひと息ついた――そのとき。
「何読んでるの?」
背後からのぞき込むように声をかけられた。
「わあっ!」
突然のことで驚きの声を上げると、「うふふっ」と笑い声が聞こえた。
振り返ると、そこには花咲さんが立っていた。
花咲さんは無事に退院してから、経過も良好のようだ。
「花咲さん、驚かせないでよ」
「ごめんごめん。そんなつもりはなかったんだけど、突然話しかけたらどんな反応をするのか気になっちゃって」
そう言って、にんまりとほほ笑む花咲さん。彼女の笑顔には、以前と変わらぬイタズラっぽさがあった。
ボクたちはあれから付き合うようになったけれど、花咲さんのからかいは相変わらずだ。
でも、そのからかいが、ボクにとってはもうすっかり日常の一部になっている。
「ねぇ、星野くんは私のこと、どう思ってるの?」
突然の質問に少しドキリとするけれど、もう迷いはなかった。
「好きだよ、花咲さんのこと……」
ボクがそう言うと、花咲さんは顔を真っ赤にして、少しだけ目をそらした。
彼女の頬はほんのりと色づいていて、その姿に胸が温かくなる。
「もうーっ! 私が星野くんの照れた顔が見たかったのに!」
花咲さんが顔を覆いながら、照れ隠しのように軽く笑う。
その笑顔を見て、ボクは思わずほほ笑んだ。
花咲さんがボクをからかう理由が、なんとなくわかった気がする。
彼女は、ボクの素直な反応を見るのが楽しいんだろうな。
「ボクはもうあのときみたいな後悔はしたくないからね」
そう言いながら、ボクは花咲さんの手をそっと握った。
彼女の手の温もりが伝わってきて、今ここにいることが、これまでのどんな後悔も超えて大切な瞬間だと感じた。
そんなやり取りをしていると、花咲さんがふと近づいてきて、ボクの耳元に顔を寄せた。
「ねぇ、星野くん、耳貸して」
ボクは何の疑いもなく、花咲さんに耳を近づけた。
「私も星野くんのことが好きだよ」
花咲さんがボクの不意をついて耳元でそう囁くと、ボクは思わず顔が熱くなった。
ドキッとして目をそらそうとしたけれど、その言葉が頭の中で何度も響いていた。
花咲さんはそんなボクの反応を見て、満足そうにニヤリとイタズラな笑みを浮かべる。
「おかえしだよ」
そのひとことで、ボクはまたしても花咲さんにやられたと悔しくなった。
ボクが花咲さんをからかえたとしても、付き合った今でもボクはキミのからかいには敵わない。
でも、そんな花咲さんといっしょに未来を歩いて行くのは悪くないと思った。
**Fin**