「水の量、これくらい?」
「完璧です」
「うん、うん、洗い物しやすいねっ」

 魔法の力で水道の蛇口を捻ったときのような水の量を二人に提供すると、二人は水の恵みに感謝しながらニンジンとじゃがいもを洗い始める。

「ありがとうございます、なんとかさん」
「ありがとね、アルトくんっ」
「…………」

 俺は、ミネに嫌われているんだろうか?

(いやいやいや、それはさすがに被害妄想すぎるか……)

 俺とミネは出会ったばかりであって、嫌われるほどのようなことは何もしていないはず。

(あー、でも、ミネはミネで、何か不満があるとか思わなくもないけど……)

 前世で碌な人間関係を築くことができなかった俺のことだから、この短時間の間に何かをやらかしてしまったかもしれない。
 俺はミネに対して何か重大なミスを犯してしまっているのかもしれない。

「…………」
「大丈夫ですか?」
「うえっ!?」
「……うえっ?」
「いや、あの、悪い! 考え事してた! 一人で物思いにふけった!」

 ああ、どうしよう。
 ミネと、どうやったら仲良くなれるんだろう。
 様々な、ありとあらゆる行事を欠席してきた俺に親友と呼べるような存在はいない。
 ましてや彼女なんて高貴な存在がいるはずもない。
 完全に対人スキルが不足の俺には、この状況も含め、今後ミネとどう付き合っていけばいいのか分からない。

「……緊張されていますか?」
「あ、えっと……」
「こんなに魔法を連続で成功させるなんて、奇跡を起こしちゃってるもんねぇ」

 いちいち俺の様子を気遣ってくれるのに、どうして名前を呼んでくれないのか謎な存在のミネ。
 でも、俺からしてみれば、この共同作業自体が物凄く幸福すぎる夢を見ているかのようで、名前を呼ばれないことなんてどうでもよくなってしまう。

「なんとかさんは、天才ですね」

 ミネは、そんな泣きたくなりそうな感情を揺さぶる言葉を投げてきた。
 ミネの言葉が鼓膜に優しく触れてきてくれて、涙腺というものが崩壊しそうになっている。

「たまたま……魔法との相性がいいんだと思う……」

 高校を受験することができなかったあの日の俺に、新たな青春を与えようとしてくれるミネ。
 凶悪な男たちに誘拐されたあとだっていうのに、これから先の未来に希望が待っているんじゃないかって気持ちで満たされていく。

「相性がいいというのも、立派な才能の一つですよ」
「だねぇ。この世界は誰もが魔法を使えても、魔法を上手に使える人間の数が少ないからねぇ」

 新しく始まった人生に絶望しか抱いていないかった俺に、安心感を与えてくれる二人。

(ああ、やっぱり世の中には、素敵な人っていうのが存在するんだな……)

 単純な思考って言われるかもしれないけど、単純でいいやって思えてくる。
 二人の前では、思考そのものがポジティブになっていくような気がする。

「その……魔法学園……みたいな教育機関は……」
「魔法学園は、お金持ちのお嬢様やご子息が通われる場所ですから」
「私たちみたいな庶民には、手の届かない場所だよねぇ」

 魔法学園に通えば、魔法の成功率を高めることができるんじゃないかって考え自体が安易なものだってことに気づかされた。

「まだ……その、夢を見たって……」

 まだ、夢を諦めなくてもいい年齢のはず。
 でも、自分の声があまりに弱すぎて、二人を励ますことすらできない。

「私たち下働きは、寝食が保障されていれば十分なんですよ」

 ミネは悲観した声ではなく、はっきりとした声を発した。
 これが自分の日常だって現実を、しっかりと受け入れている。

「命があるだけ、ありがたいよねぇ」

 この独房のような場所に用意されていた厨房での仕事は、二人にとって過酷なものではないってことが分かる。

「あいつらに無理強いさせられてるとか……」
「良くしてもらっていますよ」

 俺が発動させている水魔法を利用して、ミネは淡々と野菜を洗うっていう業務をこなしていく。

「最低賃金も出してくれないところ、いっぱいあるんだよぉ」

 何も楽しいことなんて起きてもいないのに、リリアネットさんは嬉しいことがあったんだと言わんばかりの柔らかい笑みを浮かべた。

(これが、青春……?)

 ミネの外見は小学生の高学年に見えても、これだけしっかりと喋ることができているから、それ相応の年齢だと思う。
 リリアネットさんだって、十五の俺とたいして年齢差はないはず。
 現代日本なら学校に行っていても可笑しくない二人は、労働という選択を選んだ。
 もしくは、労働するって選択を選ぶことしかできないということ。

「魔法学園に通うことができたら、人生変わるのでしょうか」
「基礎教育機関しか通ったことがないから、わからないよねぇ」

 高熱で受験自体ができずに、高校生になるって夢を叶えることができなかった。
 当たり前のように教育機関に通うことができる環境っていうのが、どんなに恵まれているのかってことを二人の会話が教えてくれる。

「ミネ」

 左手は食材を洗うための水魔法を継続しながら、右手はミネの頬を目がけて水鉄砲を飛ばす。

「っ」

 ミネの意識が現実から、攻撃を仕掛けた俺へと向いた。

「ここにいるだろ。魔法学園に通わなくても、魔法を成功させてる人間が」

 恥ずかしい。

「魔法学園に通わなくたって、夢見ることくらいできるんだよ」

 新しい人生を始めたばかりの自分が言葉にするにしては、出来すぎた言葉が口からさらりと出てきていることに驚かされる。

「だねっ、こんなに魔法の成功率が高い人、初めて会ったよ」

 リリアネットさんが朗らかな笑みを浮かべながら、優しすぎる声と言葉を送ってくれた。

「……まったく、出来すぎる後輩を持つ先輩の身になってください」

 手の甲で、頬を濡らした水を拭うミネ。
 その際に、ニンジンに付着した土がミネの頬を汚した。

(でも、言わないでおこう)

 その光景が、面白いって思えた。
 楽しいって思えたから、俺とリリアネットは目を合わせて秘密を共有する。

「何を笑っているんですか」
「ほら、俺のことは気にしないで、野菜を洗う」
「お夕飯の準備、間に合わなくなっちゃうよ~」

 何も学校に通うことが、二人にとっての幸福とは限らない。
 でも、凶悪そうな男たちに無理強いをさせられていないって分かっただけでも大きな収穫だった。

「ふぅ、なんとかさん、ありがとうございました」
「はいはい、もうなんとでも呼んでくれ」

 もう新しい世界での名前は、なんとかでいいんじゃないかってくらいミネは面倒くさい少女だということらしい。

「ふふっ、私にもこんな時期があったなぁ」
「リリアネットさん、お口を閉じてください」
「はぁ~い」

 ふと口から零れたリリアネットさんの言葉を聞いて、もしかするとミネは初対面の人間に対しては距離をとりがちなのかと妄想を膨らませた。

(なんだ、俺と同じ……)

 こんなに流暢に話をしているようで、俺の心臓は今にも破裂しそうなくらい速度が上がっている。
 言葉を交わすことが、こんなにも緊張するんだって初めての感覚を知っていく。