「なんとかくん、大丈夫?」
「やっと名乗っていないことに気づいてくれましたか……」

 永続する魔法は存在しないということらしく、ミネの暴走した水魔法は踵が水に浸る前くらいには自然と止まってくれた。
 履いていた靴下も靴も、絞り出せば溢れんばかりの水を吐き出すこと間違いないってくらい履き心地が悪い。むしろ気持ちが悪い。

「タオルです……ご迷惑をおかけしました……」
「ありがと……」

 ミネが顔を拭くためのタオルを手渡してくれたが、このタオルもタオルで拭き心地が良くない。
 もさもさしていて、あ、安いタオルだって、すぐに判断できてしまった。

「デッキブラシ持ってくるねぇ」
「あ、私もお手伝いしま……」
「この世界、魔法が存在するんですよね……」

 ミネの言葉を遮って、この世界の人間にとっては当たり前の事実を確認する。

「だったら、魔法で乾かせばいいんですよ」

 俺にとっては、当たり前のことじゃない。
 でも、この世界にとって魔法が身近に存在するものだとしたら、俺は人生を変えることができるってことだ。

「え、でも、なんとかくん、魔法っていうのは……」

 自分が思い描いた魔法を発動させるために集中してしまったために、リリアネットさんの言葉に返答はできなくなってしまった。
 でも、おかげで妄想の世界に浸ることができた俺は第二の魔法を発動させる。

「凄いです……」

 第二の魔法どころか、同時に第三の魔法を発動しているかもしれない。
 夏の暑さを思い出させるような太陽の力を借りて水を蒸発させ、排水が間に合っていない厨房を乾かしていく。
 そして、この場にいる三人が着ている衣服も同時に乾かしていく。

「こんなにあっさり魔法が発動するなんて……」
「すっごいよ! すっごいね! ミネちゃんっ!」

 あんなに気持ち悪かった靴も靴下も一緒に乾き始め、元の履き心地を取り戻していく。

(もっとこう、洗い立てみたいな……ふわふわな感じにならないかな……)

 妄想の力、最高。
 そんな言葉を叫んでしまいたくなるくらい、魔法は都合よく願いを叶えてくれる。

「ふわふわです……」
「え、え、え、なんか素材が変わったみたい……」

 厨房にいる三人が着ている衣服は、恐らくそこまで高価なものではないことが見て分かる。
 でも、魔法の力を借りた衣服たちは、柔軟剤の効果を備えたくらい柔らかく仕上げることができた。

「こんな簡単に魔法が発動するなんて、なんとかくんは天才だねっ!」
「その、なんとかくんって言う呼び方やめてもらえます!?」
「でも、なんとかくんはなんとかくん……」
「アルトです! ア・ル・ト!」

 新しく始まった人生も在音という名前かどうかは知らないけど、前世は海外でも通用しそうな名前だったことに今は大きく感謝したい。

「なんとかさん、その調子で、こちらの食材を洗ってもらえると助かります」

 この子(ミネ)、絶対に俺のことを名前で呼ぶ気がない。
 そんなことを思いつつも、丁寧に俺の新しい人生を導いてくれるミネには素直に感謝したい。
 大男たちから酷い扱いを受ける人生の始まりだと思い込んでいた俺からすれば、ミネとリリアネットとの出会いは天国以外の何物でもない。

(欲を言えば、名前……呼んでほしかったけど……)

 絶望しか待っていないと思っていた俺の人生を救ってくれた二人には、めちゃくちゃ感謝しなければいけない。
 だからこそ、名前で呼んでほしいなんてことを強く言える立場に俺はない。

(それに、たいして親しくもないのに名前呼びをさせるとか有り得ないよなー……)

 強制させたくないし、無理もさせたくない。
 ほぼ赤の他人状態の、この関係。
 前世で友達らしい友達を作ることができなかった俺からすれば、この距離をどうやって縮めていいのか分からない。