それは、颯が転校してきて1週間が経った日。


「よぉ」

「また来た」

「別に良いじゃん」


 僅かに笑顔に見える表情で、コーヒーを手に颯はやってきた。転校初日から、ほぼ毎日と言って良いほど、彼は私のところにやってくる。


(よく飽きないことで……)


 パックのジュースを飲みながら、私は呆れていた。毎日昼休みになると、こうして2人きりになるが、特に何か特別なことをするわけではない。ただ、他愛のない会話を、ほんの少し交わすだけ。


 でも、この日はちょっと違った。


「なぁ、紗夜」

「何?」


 呼ばれて颯の方を見ると、彼はなぜか、躊躇うような表情をしていた。何が言いたいのか、と首を傾げていると、颯は私から視線を逸らし、恐る恐ると言った様子で口を開く。


「その、さ……。紗夜の髪って、地毛?」

「えっ?」


 予想外の言葉に目を丸くすると、颯は珍しく慌てた。


「えっと、初日から周りより結構茶色いなって思ってて。けど、紗夜って真面目そうだけどさ、校則破ることはないと思う。だから、そうかなって」


 なるほど、と颯が気まずそうにする理由が分かった。自分と同じように、私も髪の毛のことに触れられるのが嫌だと思ったのだろう。


(意外と気遣いをしてくれるよね、颯は)


 彼の優しさに、口元が緩む。特に口調や抑揚を変えることなく、ただ答える。


「そうだよ。これ、地毛なんだ」


 そして、さらりと一房を撫でた。


「隔世遺伝でね、お母さんの方のおばあちゃんも地毛が茶色だったんだって」

「へぇ」

「だから、おばあちゃんも相当苦労したらしいよ」

「ああ、染めていると勘違いされるからか」

「そう」


 昔はきっともっと風当たりが強かっただろう。中学も高校も、いちいち説明するのが大変だったらしい。特に入試なんかは、毎度証明書を書くのに先生に頼み込んだそうだ。


(それを考えると、私の方がまだマシなのかな)


 それじゃあ、この時代に生きづらさを感じている私は弱い人間なのだろうか。


「それにしても、よく地毛だと思ったね。流石に真面目=染めてないとは限らないと思うけど」

「それは……」

「それは?」

「紗夜も事情があるから、俺の髪色にも興味無かったのかって、少しだけ、そう思ったんだ」

「そっか」

「推測、合ってた?」

「ちょっとは、ね。……そんなことはない、とは言い切れないから」


 颯の言っていることは、多分間違っていない。確かに、心の何処かでは、自分と同じだから、自分の人生においては珍しくないから、颯に興味が湧かなかったのかもしれない。


「そっか。まあ俺は、どっちだって良いけど」

「そうなの?」

「紗夜が見た目じゃなくて中身で友達になろうとしてる、それだけで良い」

「ふーん」


 同感だった。見た目で決めつける人間なんかと関わってもろくなことにならない。私を、事情を分かってくれて、その上で普通に接してくれる、そんな人を求めている。


「ねぇ」


 私は声を上げた。颯が尋ねてきたなら、私も。


「颯も、地毛なの?」


 聞いといてだけど、なんとなく、簡単には答えてくれないと思っていた。けれども、颯はさらりと言う。


「うん、そうだよ」

「えっ」


 地毛という可能性は大いにあった。と言うより、そっちの方じゃなければただの校則違反で咎められているし。でも、やっぱり驚きが隠せない。


「何で驚くの?そうだと思って聞いたんじゃないの?」

「そうだけど……。改めて地毛だって聞くと、ちょっと実感湧かないっていうか……」


(そっか。染めてるわけないもんね)


 けれども、地毛で銀なんて見たことがなかった。突然変異みたいなものだったりするのか、と考えていたところ、颯が答える。


「俺さ、幼い頃、病気だったんだ。それで、薬のせいかストレスのせいか分からないないけど、いつの間にかこうなってた」

「そう、だったんだ……」


 それ以上、何も言えなくなる。聞いてはいけないことを、聞いてしまったのかもしれないと後悔した。私より、よっぽど辛い思いをしていたんじゃないか。


「なんか、ごめん……」

「なんであやまるの?」

「だって、辛い記憶、思い出させたかもしれないから……」


 俯きがちで言うと、颯は小さく笑った。


「そんな申し訳なさそうにしなくていいって。それに、病気はもう治ったし。まあ、良い思い出とは言えないけど、そこまで悪いものでもなかったから。気にしないで」


 颯はそう言って微笑む。寛容な彼の心に、少しだけ救われた。