空を見飽きた葵が少し散歩にでも行こうかと腰をあげると、
「葵様。失礼いたします」
 後ろの襖が開いて、世話係のシノが部屋に入ってきた。
 シノは、一年ほど前に竜堂家から送られてきた若い世話係だ。
 もともと、葵の世話係はキヨとマキノのふたりだった。ふたりとも葵が三つの頃から世話係に付いてくれていたのだが、高齢で穏やかな性格のキヨと無口だが仕事は完璧にこなすマキノとの距離感が葵にはちょうど心地よかった。
 ところが、一年前にキヨが病気をして世話係を続けられなくなり、まだ若いシノが代わりにやってきた。
 新入りのシノは、龍神様の花嫁と接するための決まり事をきちんと教えられていないらしい。必要な会話以外はしてこなかったキヨやマキノと違って、シノは必要なことも不要なこともよくしゃべる。
 明るい性格でおしゃべりなシノは、所作も仕事も大雑把で、葵には少しうるさかった。
「葵様。章太郎(しょうたろう)様からお着物が送られてまいりました。離縁の雨が降りやんだ朝、葵様を迎える日にこれを着てほしいとのことですよ。ご覧になってみてください」
 部屋に入ってきたシノが、持っていた着物を畳の上に広げる。
「まあ、華やかで素敵ですよ。ね、葵様」
 蝶と洋花の模様が入った空色の着物。葵の目に、それは質素な民家の和室の上で随分と派手で異質に見えた。
「そうね。しまっておいて」
 葵が着物を遠目にちらっとだけ見て顔をそらすと、
「あまりお気に召しませんでしたか?」
 シノが残念そうな声で聞いてきた。
「そういうわけではないけれど……。離縁の雨が降って止むまで、わたしは龍神様の花嫁としての役割を果たさなければいけないから」
「そうはおっしゃいましても葵様。十六のお誕生日まであと三日ですよ。ここを出る準備だって、ちゃんと進めておかねばいけません。葵様の人生はまだこれからなのですから、離縁したあとのことを少しくらい考えたって、龍神様はお叱りにはならないと思います」
「……そうね」
 気のない声で答える葵に、シノが小さく肩をすくめてみせる。
 付き合いの浅いシノのことを、葵はいまいち信用できていなかった。さらに、ここに来る前にシノが仕えていたのが竜堂家の章太郎であるということも、葵が彼女を信用しきれない要因になっている。