人気のない、夕暮れの講堂。
選挙後の混乱がようやく落ち着いたある日。
アルテミスとリベルタは、あるUSBデータを読み込んでいた。

それは、ティリットがシュヴァリエの旧端末から復元したものだった。
ファイル名は、ただ一言。

【Chevalier、フランス語で“騎士”を意味する言葉】

ファイルを開くと、そこには少年の声が録音されていた。まだ、機械のように整った話し方になる前の、柔らかく澄んだ声だった。

『僕はシュヴァリエ。世界が乱れる時、影からそれを律する者。それが、父が私に与えた名前だった』

画面に浮かび上がるのは、かつてのシュヴァリエ。
制服はまだ小さめで、髪は今より短く、あどけなさが残る。

その隣には、ロンドン警察の制服を着た男性。
シュヴァリエの父親だ。

『父は、正義の人だった。法と秩序を何よりも重んじる人で、僕はその背中が誇りだった』

シュヴァリエの家庭には、厳格な規律があった。

毎朝決まった時刻に起き、

一週間の予定を一分単位で管理し、

成績は常に上位、一パーセント以内、

友人は評価対象でなければならない。

『だけどある日、父はその正義のせいで、職を追われた』

彼の父は、内部告発をした。組織内の汚職、学園と警察の癒着。
それは正しい行為だったにも関わらず、父は秩序を乱したとされ、排除された。

『あの日、僕は知った。正義は声が小さいと殺されるってことを。真実は、構造に従わない限り、受け入れられないってことを』

シュヴァリエは変わった。
沈黙を学び、微笑を覚え、賢く従う者として自分を鍛え上げた。

けれどその裏では、夜な夜な匿名のネット空間で、騎士として動き出していた。

学園内の不公平な推薦制度、権力を握る家系の特権。
裏金や内部昇進、教師の偏向指導。

シュヴァリエは記録し、公開し、破壊してきた。

『最初はひとりで十分だった。けれど、世界は変わらない。秩序は崩れない。だから僕は、仮面の組織を作った。Eと名乗り、多数の影を導いた。Eは”Équilibre(均衡)”の頭文字、僕は、壊れた世界に均衡をもたらす者。騎士であり、支配者であり、そして……誰にも気づかれぬゴーストだった』

録音は、そこで終わった。

「誰かがシュヴァリエ君を声のない場所に追いやったのね」

シュヴァリエの音声を止めると、セレネが静かに言った。

「だから、彼は声を奪う者になった」

リベルタが呟く。

ティリットは、言葉を選びながらつぶやいた。

「守るために、壊すことを選んだんだ。シュヴァリエは、彼自身の正義だった」

アルテミスは、USBを取り出しながら言った。

「でも、もう彼女は仮面を脱いだ。これからは、自分自身として、歩いていけるはずよ」

リベルタが頷く。

「なら俺たちの騎士道も、ここで終わらせるわけにはいかないな」

調査室のランプが灯る中、新たな物語の予感が静かに満ちていく。