「大人ってあっという間だよな。そんで、いつの間にか仲の良かった友達と年に数回しか連絡取らないとか、仕事で昨日も今日も同じことしてばっかりだってよく聞くし。俺、そういう話聞いてめっちゃ不安だった。皆と連絡取りにくくなるのも楽しいこと無くなっていくのも嫌だった。でも、そうならないようにしてやるって、思っても上手くいかねぇ」

他人の後悔した話を聞く度に同じようにはならないように、と動いても全然上手くいかない。
聞いたところで大抵の場合は防げない。
その話はあくまで他人の話で『いつ頃にああだったから今はこうしとけよ』と言われても、それが必ずしも自分に当てはまるわけじゃない。

「大人の話、不安になるだけだよね」
「そ、めっちゃ不安になる。だけど、十八歳になったらいきなり何でも大人みたいにできる訳じゃないんだから子どもの頃からそんな焦らなくてもいいのかもって今思ったよ。そりゃ、大人になっても子どもの気分のままは絶対に嫌だ。ただ年取っただけの大人になるのは御免だ」

大人になって働いているだろうに協調性がなく自己中心的な大人をたくさん見てきた。
それが陽の言う"ただ年を取っただけの大人"なんだろう。

心は未成熟なまま、社会で生きていけても常識とされていることができない大人にはなりたくない。

一年、一か月、一日。
長く生きているのならその分、成長できる。
これは成長が著しい子どもも、そうでない大人も同じ。

大人は楽しみを失っていくと言われる中で、昨日と何にも変わっていない、同じことを繰り返してばかりだ、と思う日もあるだろうけど確かに人は変わるんだ。
成長も衰えもする。

そして、体は成長の限界があっても心は長い時間をかけて少しずつ成長する、または衰えるもの。
心の変化が成長か衰退か。
原因となるのは自身の行動なのではないだろうか。

「いつ死ぬかは分からないけど、平均寿命ぐらいで死ぬって考えたら俺らまだまだ時間あんじゃん。俺は大人になってからのこと考えて不安になり過ぎるよりも今この瞬間にしかできないことをめいいっぱい楽しみたい。大人になるための土台は子ども時代の経験だと思うんだ。楽しみが多くて、無邪気にそれを楽しんでた子どもの頃に得たものが大人に必要なものなんじゃないかって」

陽の言うこと全てが正しいのか私にはわからない。
何せ、大人を聞いただけの子どもの想像。
本当を知るのはもう少し先。
でも、今の私には子どものうちに得た経験が枝分かれしてどこかで絡み合って夢や希望への道のりになる気がした。

「なぁ、槭」

私の手に陽の手を重なる。
陽の手から熱を感じ、私の体温もグッと上がったようだった。