彼女はそのまま走って教室を出て行く。

待って、と声を掛けるも、当然それぐらいでは止まってくれない。

チャイムが鳴ったが、僕はそんなのお構いなしに慌ててそれを追いかけた。

──あの鉢、なかなか重量感のありそうなのに、香月は想像以上に足が速い。


ようやく追いついて彼女の手を掴んだのは、学校を出て、しばらく進んだ先の川原だった。


「何で追いかけてくるんです……!」

「だって君が逃げるから」


もう逃がしてなるものか。僕はそんな思いで、香月を後ろからぎゅっと抱きしめる。


「二人で、どこか遠くに行く?」

「え……」

「君のことを受け入れてくれない家族なんて、こちらから願い下げだ」


本気だった。

僕は、彼女とならどこへでも行ける。逆に、もう彼女のいない世界なんて考えられなかった。


「……この鉢、私の母の呪いなんです」


香月が、抱きしめる僕の手をそっとほどきながら、ぽつりと言った。


「呪い? 香月のお母さんの?」

「母は、厳しい人でした。小さい頃からピアノやバイオリン、華道やバレエ……他にもたくさんの習い事をさせられて。だけど厳しいだけじゃなくて、すごく優しくもあって、私のことを本当に愛してくれていて。……そう、思っていました。母が亡くなるそのときまでは」


無意識に息を止めていた。

家族の話なんて聞いたのは初めてだった。……いや、そもそも香月はあまり自分のことを語らない。

何故か頭にかぶったまま取れない鉢。僕の父に拾われ、高校生ながら働いている理由。
気にならなかったと言えば嘘だが、何となく聞いてはいけないような気がしていた。


「お母さん、亡くなってたんだ」

「はい、私が13歳のときに。心臓の病気でした。……母は亡くなる直前に、『夢のお告げだ』って言って、家にあった一番大きな食器を……この鉢を、私にかぶせました」

「鉢はそのときに……。でもどうして」

「自分の死期を悟って、普通の精神状態じゃなかったんだと思います。だけど、何故かそれ以来、この鉢はずっと外れないんです。どれだけ引っ張ってもだめ。金槌で叩いてみてもヒビが入る気配すらないんです。……こんなの、呪いだとしか思えません!」